美智子さま「残飯を雅子さんのカバンに入れておきなさい」

美智子さまの雅子さまへの攻撃性は尋常ではなかった。ともかく雅子さまは「ひとりぼっち」を強制させられた。
国際親善(2013年のオランダ国王の即位式)の折、
雅子さまにアイロンがけしていない衣装をあえて渡して着させたという驚くべき事件まで起きた。

もっと驚くべきは、2007年12月、雅子さまが晩餐会で食事を残され退室されると、
美智子さまは「もったいない」と仰り、側近に命じ、なんとその残飯を東宮職のクラッチバックの中にぶち込まれた。

驚いた東宮職に美智子さまは「病は気から、病は食欲から。帰ってから食べて元気出してね」と仰って、
満面の笑顔を浮かべられた。『普通、そこまでするか』と多くの方は驚いただろうが、『そこまで徹底的にする』のが
優しき美智子さまの深い慈悲だ。そしてこの美智子さまを慈母と褒めたたえたのが平成皇室であった。

美智子さまが雅子さまをイジメた原因について考察してみたい。
これは端的に言って、雅子さまに対する美智子さまの嫉妬であると思っている。

雅子さまの華々しい登場に、当時の美智子さまは心中複雑だった。
雅子さまは知性も美貌も兼ね備えた方で、そのインパクトは紀子さまなど足元にも及ばない。

もちろん当時の皇太子殿下ご自身が仰っているように、雅子さまは現代的なお方で、
旧来的な皇室のあり方になかなか馴染めなかったのは事実である。
だからといって雅子さまにアレコレ横槍を入れても良い理由にはならないのではないか。

結局のところ美智子さまは、ご自身以上に雅子さまが輝いて欲しくなかったのだろう。
ゆえに海外親善の仕事を割り振らなかったり、ことあるごとに、お茶会で雅子さまを「石女」を揶揄して攻撃し続けたのである。

「人格否定発言」に前後して、時の湯浅宮内庁長官が
秋篠宮家に第三子を所望されたことがすべてを物語っていよう(2003年12月)。

美智子さまは、香淳皇后からイジメられたことを根深く恨んでおいでだったので、
皇后となり頂点となった瞬間、いろいろはじけてしまったのかもしれない。

また雅子さまが皇后となったら、自分が香淳皇后にしたの同じく、
自分が隅に追いやられる番になるという恐怖が「雅子さまイジメ」を加速させたのではないか。

また、当時、メディアは美智子さまを「国民に寄り添う慈母である。平成は素晴らしい時代だ」と褒め称えた。
それに気を良くして美智子さまは「自分は正義で何をしても許される」と自認してしまい、
そのことが香淳皇后イジメ、雅子さまイジメを加速させてしまったのではないだろうか。

また紀子さまとの関係は良好であったので、将来は長男家ではなく次男家のお世話になればよいと仰っていた。
譲位され上皇后となってから、わざわざ赤坂御用地に引越しを希望された理由は
雅子さまと同じ空気を吸いたくなかったからもあるが、強い味方(秋篠宮家)が近くにいて欲しいと願ったに違いない。

だがここ数年で眞子さまと小室圭さんの一件が表になり、秋篠宮家と上皇ご夫妻の関係も微妙に変化がきている。