この事件の真相は未だに不明な点もあるが、事件の性格としては証言となりうる園児が知的障害者のために正確な証言を聞き出すのが難しかったことがあげられる。
また捜査当局が「マンホールの蓋を園児が開けることができない」「二人の園児が同じ場所で死亡し、蓋が閉じられていることが不自然」と判断したことが、最終的に山田の殺人罪起訴に繋がった。
なお、二人目男児死亡事故に関しては一人目女児死亡事故と違って園児達による事故とする詳細な供述はない。しかし、状況証拠から一人目同様園児達による事故と考えられている
(なお、1980年の園児の供述では、一人目女児死亡事故の際に二人目の男児も一緒にいたとして、二人目の男児が他の園児達と一緒に死亡二日前に死亡現場の浄化槽の近くで遊んでいたことになる)。
現在、甲山学園は閉鎖されているが、病院として機能している。
また被害者女児と被害者男児の両親は社会福祉法人甲山福祉センターを相手取って管理責任が欠けていたために子供を死亡させたとして、精神的苦痛を理由に合計3367万円損害賠償を請求。
この裁判では原告が勝訴し、社会法人福祉センターは被害者両親に合計1133万円を支払うことになった。また、裁判中に甲山福祉センター側が「知的障害者死亡によって、両親は苦労を免れたため、
精神的苦痛を理由とする損害賠償は筋違い」と主張したため、知的障害者を育成する立場にある者が知的障害者の生存を軽視した差別発言として人権派の間で問題視された。