2019/4/5
日本人の議論は「のんき」すぎてお話にならない
危機感をもって「本質」を徹底的に追求せよ
https://toyokeizai.net/articles/-/275028
のんきな「教育」の議論
教育についての議論も、実にのんきです。教育の対象を子どもから社会人に大胆に変更しなくてはいけないのに、日本の大学はいまだに、
毎年数が少なくなる子どもの奪い合いに熱中しています。
教育の無償化に関しても同様の印象を感じます。「子どもを育てるコストが高い。だから子どもを産まない、つまり少子化が進んでしまって
いる。ならば、教育のコストを無償にすれば、少子化は止められる」。おそらくこんなことを考えて、教育の無償化に突き進んでいるのでしょう。
確かに、この理屈はもっともらしく聞こえなくもありません。
しかし、これは小手先の対症療法的な政策にすぎません。教育のコストが高いのが問題だから、無償化するという考え方も可能ではあります
が、そもそもなぜ教育のコストを高いと感じる人が多いのか。その原因を考えれば、「収入が足りていない」という根本的な原因を探り出すこと
ができます。
教育の無償化と、国民の収入アップ。どちらを先に進めるべきか、答えは収入アップに決まっています。要するに、少子化問題の本質は
教育費にあるのか、親の収入が足りないのかを、きちんと見極める必要があるのです。
事実、日本人の給料は、同程度の生産性を上げている他の先進国の7割程度です(購買力調整済み)。なおかつ長年、若い人を中心に
減少の一途をたどっています。問題の本質は教育費ではなく、給料なのです。
先進国の中では、少子化と生産性との間にかなり強い相関関係があるという研究があります。生産性が低く少子化が進んでいる複数の国で、
教育費の補助を出しても思い通りには出生率が上がらなかったという興味深い事実もあります。
ですから、教育費を無償にしても本質的な対処にはなりませんし、税金か借金でまかなうしかないので、結局経済に悪影響を及ぼすのです。