日本経済にとって、平成時代は「失われた30年」でした。1989(平成元)年の日本の1人当たり名目GDPは世界第4位でしたが、2018(平成30)年には第26位に後退。この間の増加率は約58%で、同期間に約174%も増加したアメリカに比べ、率直に言って見劣りするものでした。

その要因は複合的ですが、目につくのは日本の大企業の没落です。89年には世界の企業の時価総額ランキング上位50社の中に、日本企業は32社ありました。それが18年、ランキング入りしていたのはトヨタ自動車の1社だけです。

そのひとつの象徴が、日本のエレクトロニクス産業の敗北でした。私の考える「敗北」とは、事業の赤字が続くこと、ないしは事業を縮小・撤退することです。スマホで負け、有機ELで負け、GAFAには及びもつかない。5G技術にしても、蚊帳の外です。

こうした現状が生じたのは、1990年代から2010年ごろにかけての薄型テレビ戦争で、日本メーカーが敗れてお金がなくなったことに起因します。結果、薄型テレビに続くスマホや有機ELなどの次世代製品の開発で後れをとり、GAFAのようなプラットフォームビジネスや、5Gのようなさらに次世代のテクノロジー競争にも置き去りにされてしまいました。

「失敗の本質」を分析・把握し、克服する
日本経済が再び輝きを取り戻すためには、各企業が薄型テレビ戦争における「失敗の本質」を分析・把握し、克服する必要があります。一言で言えばそれは、トップ・マネジメント層の戦略の失敗(とりわけ、環境の変化に適切に対応する「ダイナミック戦略」の失敗)と、経営者の選任等におけるコーポレート・ガバナンスの欠如です。

まず、前者の失敗について説明しましょう。薄型テレビにおける日本企業の戦略の失敗は、大きく2つのカテゴリーに分けられます。1つは、最初はうまくいっていたのに、環境変化に伴う戦略の転換に失敗したパターンで、シャープとパナソニックがそれにあたります。もう1つは最初から苦労し、その後も傷が深くなるばかりだったパターンで、ソニー、東芝、日立製作所、パイオニアが該当します。

シャープは液晶の開拓者であり、当初は技術的に業界の先端を走っていました。一方で企業規模は比較的小さく、大量生産のための設備投資を機動的に行えるほどの体力はありません。そこで同社は技術力による差別化を戦略の核に置き、「亀山モデル」に象徴されるような大画面化や画質の向上に邁進しました。当初のうちはうまくいきましたが、他社もだんだん技術的にキャッチアップし、結局は価格競争に巻き込まれることを避けられませんでした。

パナソニックは液晶技術で後れを取っていたため、大型画面では液晶より有利とされていたプラズマディスプレイに経営資源を集中し、大規模生産でコストダウンを行って勝負に出ました。ところが、シャープをはじめとする液晶メーカーが徐々に大画面化に成功したため、消費電力や価格競争力で勝る液晶との競合が始まってしまいます。

そして両社に共通するのが、薄型テレビ市場がまさに飽和しつつあったタイミングで、それまでの戦略を転換すべく、大規模な工場を造ってしまったことです。その投資が重荷になっていたところに、08年のリーマン・ショック、さらに12年の家電エコポイント終了による需要減が起きたことで、より「負け」の傷を深くしました。

この2社以外の企業は、参入戦略の誤りや技術的な出遅れ、過去の成功体験や自社の技術力への過信、市場環境の変化に合わせた戦略転換の失敗などから、終始勝ち目の薄い戦いを強いられ続けました。そしてすべての日本の薄型テレビメーカーに共通することとして、先任社長が後継社長を選任した結果、前社長の影響力が残り続けるというコーポレート・ガバナンス上の問題が、戦略の適切な転換を妨げたことも指摘せざるをえません。「赤字続きだが前社長からのプロジェクトだから継続せざるをえない」といった案件が、どれだけ日本のメーカーの体力を削いできたことでしょうか。

以下ソース
https://president.jp/articles/-/30027