http://wired.jp/wp-content/uploads/2017/06/01-MJ-giphy.gif
ウェブサイトで人気のファイルフォーマット「GIF」は、2017年5月に30周年を迎えた。そう、GIFはミレニアル世代なのだ。

30年といえばウェブの世界では“古株”だが、これを妙に思う人もいるはずだ。GIFアニメの急増は、比較的最近の現象だからだ。いまでは、TwitterにGIFボタンがあるし、アップルもiOSのメッセージングアプリにGIF検索を追加している。

こうしたメインストリームからの承認は、たとえ10年前でも、思いもよらないことだった。確かに当時も、点滅テキストと埋め込みMIDIファイルとして文化的に認められてはいた。しかし、いまやGIFは、至るところで使われている。それも懐古趣味としてではなく。

中略

GIFがウェブ体験のメインストリームに戻ってきたのがいつのことなのかは、正確にはよくわかっていない。ニーマン・ジャーナリズム研究所は、2012年の夏季オリンピックがGIFアニメの「お披露目パーティ」だったとしている。この年、オックスフォード英語辞典が「GIF」を「今年の言葉」に選んだ。

GIFはその後、美術館で見られるようになり[日本語版記事]、また、マーケターたちがGIFに関わりたがる[日本語版記事]ようになった。

スティーヴ・ウィルハイトは2013年、ウェビー賞の功労賞を授与された。同氏がその席で、GIFは「ギフ」と発音するのではなく、ピーナッツバターのブランドの「ジフ」のように発音するのだと明らかにすると、ちいさな議論になった。

当時、GIFは一時的な流行であり、「ソフトグランジ」の流行とともに、1990年代への先祖返りなのだと見られがちだった。VineやSnapchatのようなもっと新しいものが、GIFに取って代わるのは確実だと思われていた。しかし、それから何年も経ったいま、Vineは消滅し、GIFはまだ生き残っている。

GIFの成功の一部は、ネットギークたちのおかげだ。彼らがGIFファイルの膨大な目録を構築し、選択できるようにしたのだ。落胆や喜びといった感情を表現したくなったら、Tumblr、Giphy、Tenorなどに行けば、出来合いのループを見つけられる。包括的な視覚的語彙が何年もかけて構築されてきているのだ。

より新しいフォーマットがさらなる選択肢を提示するかもしれないが、Tumblrのクリエイティヴ戦略責任者のデイヴィッド・ヘイズは、GIFでは技術的な制限が、弱点ではなく強みになっていると指摘する。というのも、芸術家たちは長年、制約を使って創造性を高めてきたからだ。「GIFには制約があり、人々はそれに挑み続けるでしょう」とヘイズ氏は語る。「ファイルサイズ、フレームレート、色の強さのトレードオフが求められます」

問うべきは、次に何が来るのかではなく、GIFが視覚言語の終点なのかどうかなのかもしれないと、ヘイズは語る。30年後に、どうなるかを見ることにしよう。
http://wired.jp/2017/06/16/gif-turns-30/