東芝の半導体子会社「東芝メモリ」の2次入札が5月19日に締め切られ、米国や韓国、台湾のメーカーが応札した。これに対し日本勢は、経済産業省が旗振り役となって、産業革新機構や米投資ファンドなどを中心とする「日米連合」への参加を呼び掛けてきたが、名乗りを上げる企業はまだない。かつて、「日の丸半導体」として世界を席巻した日本メーカーが、買収に腰が引けているのはなぜなのだろうか。(ダイヤモンド・オンライン特任編集委員 西井泰之)
買収金額も詰められず
入札した日米連合

 5月19日の「2次入札」の締め切り日になっても、産業革新機構と政策投資銀行、米投資ファンドのKKRが組む「日米連合」には遅れが目立った。

 それは、1次入札から候補で残ってきた台湾の鴻海精密工業(ホンハイ)、米半導体大手ブロードコム、韓国の半導体大手SKハイニックスがそれぞれ中心になった3陣営が予定通り応札した一方で、「日米連合」は買収金額さえ固められないままの入札だったことを見ても明らかだった。

 関係者は内情をこう話す。

「日米連合といっても、将来は株を売却して値上がり益で儲ける投資ビジネスと割り切るKKRと、半導体技術の海外流出防止を名目に経産省が後ろで糸を引く日本側では思惑が異なる。また機構内部でも、意思決定機関の産業革新委員会の委員を務める大手企業のトップ間で温度差があり、詳細を詰め切れなかった」

もともと、「日米連合」の構想が動き出したのは、1次入札の締め切り間近の3月末。日本企業に応札の動きがないことに対し、危機感を持った経産省が主導したものだった。革新機構を軸に、東芝メモリの一定比率の株式を保有することで、技術や人材の流出に歯止めをかけようという思惑もあった。

 とはいえ、巨額の債務超過解消を迫られている東芝が見込む売却額は2兆円以上。革新機構や政投銀、KKRともに単独で出せる資金に限界があるため、“官主導”で企業から出資を募り、買収資金を工面しようというものだ。

 途中からは菅義偉官房長官も根回しに入ったこともあり、大手企業には経産省幹部や経団連から出資を求める話があったという。

投資競争についていけず
敗れたトラウマに縛られる

 なぜ、日本企業は日米連合への参加を躊躇するのか。

 80年代半ば、コンピューターなどの記憶素子で使われるDRAMの生産で世界一に踊り出た日本の半導体メーカーは、日本製品の輸入急増に音を上げた米国との「日米半導体協定」によって“高値”が維持されたことで、我が世の春を謳歌する。

 だが、96年の協定切れ後に市況が急落。この間に、集中投資で最新鋭の製造ラインを整えた韓国勢や、設計に特化した米国勢、そして低コストで製造だけを請け負う新しいビジネスモデルを作り上げた台湾勢などにシェアを奪われていった。

 それでも日本のメーカー各社は、数年ごとに価格が変動する「シリコンサイクル」の山をにらんで、製造技術の開発に凌ぎを削り、最新鋭の装置を揃えた生産ラインを整備し続ける。その結果、1社当たりの投資額は数千億円規模に膨れあがった。

 一方で、半導体製造装置の技術革新が進むと、後発企業でも資金さえ投じて最新鋭の装置を揃えれば競争に参入できるようになった。そのため、投資ファンドからリスクマネーをかき集めて集中投資し荒稼ぎするプレーヤーが跋扈。 “マネーゲーム”の様相を呈した市場で、日本メーカーは完全に置いてきぼりを食らった。

以下ソース
http://diamond.jp/articles/-/129833