>>127
(続き)
 ――学術会議がどうなろうと「学問の自由」は守れるという声もあります。

 今回の政府の「解釈」は、あらゆる「任命」の話に拡大してしまいかねない。
アカデミズムの世界で言えば、国立大学の学長や大学共同利用機関の機構長の人事などです。
日本学術会議法が学術会議の推薦に基づいて首相が会員を任命すると定めているのと同じように、
国立大学法人法は国立大学法人の申し出に基づいて文部科学大臣が学長を任命すると定めています。
ことは学問の世界にとどまりません。例えば最高裁長官は内閣の指名に基づく天皇の任命ですし、
最高裁判事は内閣の任命です。高裁長官や判事などは最高裁が提出する名簿により
内閣が任命しています。今回の事件は、そうした諸制度を脅かすことになります。

 既に問題は飛び火しており、萩生田光一文部科学相は10月13日の閣議後会見で、
国立大学学長の任命について「基本的には(大学側の)申し出を尊重したい」とし、
文科相の判断で任命しないこともありうるとの認識を示しています。
元の解釈に戻さないと、国立大学などの人事に対して政府が恣意(しい)的な任命ができることになり、
学者や大学関係者の間に忖度(そんたく)が蔓延(まんえん)するでしょう。
学術会議だけでなく、約87万人の研究者が日々取り組む学術研究の独立性が崩壊し、
ときの政権の意向に左右されるようになってしまいます。

 ――人文・社会科学は国や社会の役に立つのかという意見もあります。

 学問の国や社会に対する役立ち方は、政治や行政とは違います。

 ときの政治は、比較的短い時間軸の射程で政策を考えて採用しますが、
学問の世界の時間軸は短いものから長いものまで様々です。
研究成果が社会に影響を与える時間軸も、政治や行政とは異なります。役に立たないように見える
基礎研究が実践的・実用的な分野の基盤になり、行政や産業の役に立っています。
人文・社会科学が考えた理論や概念も、いつの間にか国民の日常的な思考の材料になっています。(続く)