本島は3期目の任期中であった1988年12月7日の長崎市議会において、自身の体験などから「(昭和)天皇にも戦争責任はあると思う」
と発言した。当時は昭和天皇の容体が悪化しており、日本国内ではこのような天皇の評価に関連する発言に対して自粛ムードが漂っていたため、
この発言は大きくクローズアップされた。元々は「天皇にも戦争責任はあると思う。しかし、日本人の大多数と連合国軍の意志によって責任を免れ、新しい憲法の象徴になった。
私どももそれに従わなければならないと解釈している。」