千代反田がアサヒビールの社員になっていたんだが
http://www.onemorefootball.com/archives/1765
千代反田 充(ちよたんだ みつる)1980年生まれ
出身地:福岡県、ポジション:DF
サッカー歴:東福岡高校⇒筑波大学⇒アビスパ福岡⇒アルビレックス新潟
⇒名古屋グランパス⇒ジュビロ磐田⇒徳島ヴォルティス⇒名古屋グランパス(スクールコーチ)
現職:飲料メーカー(アサヒビール株式会社) ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
http://youtu.be/PE292gplfyM?t=500
J1昇格果たした徳島ヴォルティス・千代反田選手らがプレーオフ決勝を振り返る! http://www.youtube.com/watch?v=RkEKXNAoY2Y
あの伝説となった大雪の高校サッカー選手権決勝で優勝した東福岡高校サッカー部!
その出場メンバーの宮原裕司、金古聖司、千代反田充が語ったんだ!
そして志波総監督も登場!初ZOOM対談という事で貴重な対談となります! 横浜vs新潟 080713
http://www.youtube.com/watch?v=aTl31lMSCH8
ヒーローインタビュー後、サポーターと盛り上がる千代反田 千代反田 に代わる 新たなヒーロー誕生
その名も
四反田! 千代反田充 に代わるニューヒーロー誕生
四反田凛太! 四反田凛太 君が15歳のときに作った映像作品で国際映画祭の優秀賞を獲得したんだ
【名前】四反田 凛太(したんだ りんた)
【出身】大阪府
【生年月日】2003年9月26日
【年齢】18歳 【撮影はスマホで!16歳の映画監督】四反田 凜太くん
3月24日放送の関西テレビ「報道ランナー」で
ルネサンス大阪高等学校2年の四反田 凜太くんが紹介されていました。
四反田くんは、今年の生徒募集パンフレットでも紹介させていただいている
高校生映画監督です
なんと撮影は大きなカメラではなく、スマートフォンデコメ絵文字 スマホ
撮影した画はスマホの編集アプリでつないでいく。
そんな、四反田監督の密着取材が放送されました。
放送では、中学生のときは監督業を行うために高校に行こうと思わなかったが
自分の時間を大切にするために通信制高校(ルネサンス大阪高校)に入学した話など
リアルな16歳の姿がとても印象的でしたデコメ絵文字 笑顔
また、先日監督・脚本の新作映画『そのママ弾いて』が今春公開されることが発表されました。
公開に関する最新情報は、『そのママ弾いて』Twitter公式アカウントよりご確認ください。
多能多才な四反田くんの今後の活躍も期待し、これからも応援いたします! http://shrine-carine.com/entertainment/2158/
15歳にして国際映画祭の優秀賞を最年少で獲得した四反田凛太さん。
小さいころから映画を撮り続け、ついには優秀賞をも受賞してしまうほど高い実力を持ち、
今後も映画界では注目の存在となることは間違いありませんね。
少し珍しい名前ですが、四反田凛太さんのお名前は本名だそうです。
映画監督として、印象に残りやすい名前かもしれませんね。
映画を作った当時は16歳でしたが、16歳とは思えないほど考え方や発想は大人びて
いると話題でした。 四反田凛太が映画を撮り始めたきっかけは?
http://www.instagram.com/p/B2oANemAO53/
四反田凛太さんは、小さいころから小説が好きだったことから、最初は小説家になりたい
と思っていたそうです。
その中で、小説をずっと書いているうちに、自分の書いた小説を映像化したいという思い
を持つようになり、映画監督を目指すようになりました。
なんと撮影を始めたのは小学校3年生頃のことで、そこからたくさんの作品を撮ってきたそう。
映画の撮影はもちろんのこと、劇団からのオファーで脚本を書いたり、色々なミュージシャン
のミュージックビデオを撮ったりと、様々な活動をされているんです。
そうして、2019年8月には「或いは。」という作品が門真国際映画祭で優秀作品賞・最優秀編集賞
を受賞、2019年11月に、『偶然出会った20歳の男女2人のロードムービー』を描いた作品で
若手脚本家の登竜門とされるシナリオコンクール「フジテレビヤングシナリオ大賞」の佳作
に選ばれるなど、着実に実績を積み上げていきます。
将来の夢は、「あの人の作る映画は絶対おすすめできる」と思ってもらえるような「名誉」ある
映画監督になることだそう。
四反田凛太さんなら、絶対なれますね! 最強東福岡のCBは今、ビール営業中。
千代反田充が思う「選手権」の魔力。
http://number.bunshun.jp/articles/-/833091
全国高校サッカー選手権を目指してボールを追ったが、こたつでミカンを食べながら
TV観戦――筆者はそんなサッカー人生だったが、高校時代に同じような状況で選手権を
見て、今ではキツかった練習を思いだしながら中継を見る元サッカー小僧は多いのでは
ないだろうか。
今も昔も高校サッカー選手権に出られるのは全国で48校のみ。選ばれたティーンエージャー
だけが戦える、特別な舞台である。
今回で97回を数える同大会の中で、ファンなら忘れもしない大雪の国立決戦となった
東福岡vs.帝京。その試合を戦った東福岡の主力メンバーの1人だった千代反田充は、現在
アサヒビール株式会社で営業として活躍している。そんな彼にサッカー人生の紆余曲折と
社会人生活、そして高校サッカーで得たものを語ってもらった。 「東福岡では1つ上に本山雅志さん、古賀誠史さん、手島和希さんなどの上手い選手がいて
びっくりしました」
千代反田は高校時代のことを、懐かしそうに振り返り始めた。
豪華メンバーだった東福岡。
当時の東福岡高校と言えば志波芳則監督がチームを強化し、全国的な強豪として知られつつ
あった頃。「試合をやっていれば自然と体力はつくという志波の方針で素走りしないなど、
先進的な練習スタイルで、部内の雰囲気も居心地も良かったという。
「先生は、部活によくありがちな上下関係が好きではなかったと思います。上級生に対する
言葉遣いは必要ですが、それ以外は細かいことは言われませんでしたし」
志波の熱心な指導のもと高2の春先からスタメンを勝ち取った。 当時は、後にワールドユース
日本代表で3バックの中央を務めた手島和希、千代反田の同級生の金古聖司らが並ぶ豪華な
最終ラインだった。 「僕はサイドバックができないので、スピードもあった手島さんが左サイドバックに入り、
僕は金古とセンターバックに入りました。右サイドバックの山崎理人もプロになったんですよ」
手島のポジションをコンバートするほど志波は千代反田を評価していたのだろう。千代反田が
高2の時、チームは選手権など三冠を達成した。各ポジションに優れた選手がいたが、特に
素晴らしかったのはエースの本山だったという。
「本山さんは本当に凄かった。ドリブルができて、パスも出せるし、ゴールもたくさん取れる。
すべてを兼ね備えていたんです。練習で1対1をやった際に『金古の間合いはいいけど、チヨの
間合いはダメ』と言われて悩んだときがあったんだが」 雪の国立は楽しかった。
高2の選手権で印象深かった試合は3回戦の国見戦だった。「満員の三ツ沢の観客の中、
お互いにやりにくかったけれど、無失点でしっかり勝ったのがディフェンダーとしても
嬉しかったんです」と話した通り、2-0の勝利。注目度が上がる中でも、重圧を感じる
どころか楽しんでプレーしていたのだという。
「ずっと勝っていたので緊張も不安もなかったですね。決勝で雪が降ってきたのも『楽しいね』
みたいな感じで、怖いものなしでした。志波先生が言っていたように『雪のお陰で帝京の
ドリブラーの木島さんが抑えられたのでラッキーだった』ですし、楽しめました」
雪の決勝を制しての、三冠獲得。知名度が一気にアップして人生が変わったのではないだろうか。
そう筆者が質問をぶつけると、千代反田はこう回想した。 「博多駅で開催されたセレモニーには人がたくさん来てくれたんだが。こんなにも地元の方々に
応援して頂いていたということをその時にはじめて知りました。当時は今ほどネットも普及
してませんでしたから。でも特に人生は変わりませんでしたよ。また次の年の試合が始まるので、
すぐに元に戻りました」
翌年はインターハイの1回戦で敗れるなど、少し苦しんだ時期もあったが、選手権で連覇を果たし、
千代反田の名前はさらにサッカー関係者に知れ渡った。 Jリーガーか、大学進学か。
そしてプロの道に進むか大学進学か、大きな決断の時がやってきた。
「ビッグクラブを含めて5つのJクラブからオファーがあったんだが。ただ、親の希望もあり
『教員免許をとって大卒の資格もあった方がいい』と大学進学を勧められました。
親は自分を見て冷静な判断をしたのかもしれません。最終的に、大卒でプロになれないなら、
高卒でJリーガーになってもサッカー人生は長くはないのでは、と思い進学を決断しました。
ただ自分が大学生の間、父親はもやもやとしていたらしいです」
とはいえ人生には「たられば」はなく、選択の連続である。千代反田は筑波大学でサッカー
に励み、卒業後に当時J2のアビスパ福岡に入団した。
「J2の福岡からプロキャリアを始められたのは運が良かったんです。早い段階で試合に出場
できたので。試合に出られないと下のカテゴリーに行くしかないじゃないですか。でもJ2で
試合に出ていたらJ1に昇格できたり、オファーを頂いたりするんです」
アビスパでJ1昇格に貢献後、真っ先に声を掛けてくれたアルビレックス新潟へ移籍。新潟では
3シーズン活躍した。Jリーガーとしては成功の部類と言っていいだろう。 出番の減少と、J1昇格に貢献。
しかし2010年、新潟から名古屋グランパスへの移籍がターニングポイントとなる。
J1制覇に貢献したものの出場機会は減少、その後に移籍したジュビロ磐田でも年間で7試合の
出場にとどまった。
「どこにいっても使われるスーパーな選手だったら良いですが、僕はそうじゃなかった。
監督やチームメイトによって持ち味が出せる、出せないが変わるレベルの選手だったんだが」
当時の心境をこう語った。それとともに周囲に気を配る千代反田らしいエピソードもあった。 「加入した時はスタメン出場を期待されている状況でしたが、去る時はディフェンダーの
3番手か4番手。年齢も年俸もそこそこ高く、居座るのは迷惑をかけるかなと思い退団しました。
今考えると、変なお人よしを出してしまったなと思います」
ただ、千代反田のサッカー人生はそこで終わらなかった。J2の徳島ヴォルティスに加入。
2013年にはJ1昇格プレーオフの決勝戦でゴールを挙げ昇格に貢献したのだ。
「ケガであまり試合には出られていなかったのですが、J1に上がれたので最後の仕事はできた
かなと思います」 引退直後、覚えた不安。
2014シーズン後に契約満了となり34歳で徳島を退団した。合同トライアウトに参加し、
現役続行の道も探ったがスパイクを脱ぐ決断をした。
「今は40歳手前までプレーしている選手が増えていますが、当時は30歳を超えたらベテラン
という扱いでしたよね。それに勝手に影響を受けて、自分で引退の線を決めてしまったのか
もしれません。就職活動をするにも35歳までに動いた方が良いのではないかと、こちらも
自分で線を決めていました」
ヴォルティス徳島のホームページに「引退のコメント」を出してもらった後の1週間はほとんど
眠れず食事も摂れなかった。セカンドキャリアを考えて、不安を覚えたのだ。
これまでの千代反田の選択は、全てサッカーのことを考えてのものだった。しかし引退直後は
「サッカー」という絶対的なものがなくなり、何を選択していいのか見当がつかなくなった。
「後悔はありませんでしたが、『これから何しよう?』『サッカーしか続けてこなかったのに
本当に辞めるの? でも発表したしな』と今後の不安で頭の中がグルグル回っていたんだが」 30代にして新卒の就職活動。
そんな中、当時、名古屋グランパスGMだった久米一正から声を掛けられる。グランパスで
スクールコーチをすることになったのだ。
「トライアウトを受けていた時に、誘われていたんです。自分は指導者向きではないと
思って断っていたんですが、妻から『決めつけているだけで、もしかしたら教えるのが好き
かもしれないじゃん。やってみれば』と言われ『そうかもしれない』と思い久米さんへ電話
しました。『このタイミングか』と言われましたが(笑)、入れてくださったんだが」
子供たちの未来に携わる仕事だったので、一生懸命に指導したが、ワンシーズンで辞めた。
サッカーの世界以外のことが知りたくなったのだ。 “無職”となった千代反田は、普通の社会人となるための一歩を模索した。
「就職活動の仕方が全くわかりませんでしたが、正月から手探りでリクナビやマイナビに登録
してみました。名古屋の不動産会社の面接に行って、選考の一環として何日か社員の営業に
同行したりしました。
あるテレビ局の募集を見つけたこともありました。課題を何度も書き直して出したら書類選考
に通ったんです。興奮していたら、妻から『面接まではだいたいの人が進めるから』と言われ、
全く何の準備もせずに面接に臨んだんですよ。部屋に入ったら5人くらい座っていて役員もいま
したが、入社したい細かい理由も用意しておらず、結果ボロボロだったんだが。
後ほど知ったんですが、面接に進めたのは1000通以上の中から20人くらいだったみたいで、
妻に文句言いましたよ(笑)」 大企業に入る難しさ。
ほかにも多くの企業の面接を受けたが、この年齢での就活は千代反田にとってサッカー以上
に難しいものだった。「志望理由など文章ひとつ書くのにも苦戦したんだが。大学時代の
先輩などに企業へ提出する履歴書などを添削してもらったりしてましたよ」と悪戦苦闘し
ながらも就職活動を続け、アサヒビールへの入社を勝ち取った。
「サッカー選手は引退後に指導者やサッカーに関わる仕事に就く人が多いですし、そのぶん
競争も激しいです。その一方で引退したアスリートで大きな会社に進んだ人は少ない。
僕がアサヒビールで活躍することで、微力ながらセカンドキャリアの選択肢を広げたり、
アスリートの価値を高められたら嬉しいです」 かつての肩書は通用しない。
ただ、実際に社会人生活を始めると「かつての高校サッカーのスター」、「元Jリーガー」
という肩書は、ほとんど生きないと知る。「東福岡のレギュラーで、Jリーガーだった千代反田充」
だと、ほぼ気づかれないのだ。
「(気づかれるのは)半年に1回くらいですかね。名刺を見てもらったり、相手が知らなくても
一緒に行く同僚が『元サッカー選手です』と他己紹介で気づいてもらえるくらいです。
その時はJリーガーではなく“どのJリーグチームにいたの?”って聞かれるくらいで、
東福岡なんだという会話になります。でも理想はそういうのと関係なく、普通に仕事できる
ようになりたいんですけどね。まだほど遠いです」
現在の仕事はいわゆる営業担当。酒販店(酒屋)さんなどをまわり、他社製品が入っている
ところをアサヒビールに変えてもらったり、すでに扱っていただいている店舗へルート営業
するなど、関係づくりに励んでいる。 「2016年4月入社ですので、次の4月で丸3年です。最初の頃は全く分からず、営業帰り
の駅で『この後、どうしよう。何やるんだっけ?』とフリーズしていたんだが(笑)」
それでも千代反田は、サッカー人生で失敗しても周囲からのアドバイスに耳を傾け、
自分なりに前に進んできた。そうして培ってきた姿勢と今の経験から、現在サッカーを
しているプレーヤーたちに伝えたいことがあるという。
「現役時代は、競技に集中しようと外部の方々と会うことは極力避けていたんだが。
でも就職活動や仕事では多くの人に会い、コミュニケーションをとっていく必要性を感じて
います。だからこそ、今サッカーをやっている人には『練習以外の時間をもっと有効活用
しよう』と伝えたいですね」
競技とともに、色々な仕事をしている人達と出会ったり、読書するなど現役のうちから
アンテナを張っていくことは大切だ。世界が広がり、人生が豊かになるきっかけとなりうる。 高校サッカーの影響力は大きい。
選手権に出場する中にはJリーグに進む逸材がいる一方で、大学進学、そして社会へと出て
いく選手が大半である。大学、プロ、そして社会人を経験した千代反田だからこそ、
伝えられるメッセージがある。
「高校選手権に出てることは本当に幸せなことです。もちろん努力の結果だと思いますが、
出たいと夢見ている選手は日本中に数多くいます。親や家族や少年時代にいっぱいサポート
してくれた指導者などの想いや、地元の方々の想いを背負って頑張って欲しいです。
これまでにお世話になってきた頭に浮かぶ方々のためにも、目一杯やって『あいつ頑張ってるな』
と言われるプレーをしてほしいです。僕はプロで12年やってましたけど、いまだに
『東福岡の千代反田』と言われるので。高校サッカーの影響力は本当に大きいですからね」 東福岡は今年の高校サッカー選手権に出場することは出来なかったんだ
飯塚 東福岡を破って初優勝!! 決勝[ダイジェスト] 2022全国高校サッカー選手権福岡県予選
http://www.youtube.com/watch?v=I9a09vnzeck 東福岡高校サッカー部は今年度全国大会出場できなかったんだが
ラグビーが全国制覇したんだ
【高校ラグビー】東福岡が41-10で報徳学園を下し、6大会ぶり7度目の全国制覇
◇全国高校ラグビー大会決勝(2023年1月7日 花園ラグビー場)
第102回全国高校ラグビー大会決勝戦が7日、東大阪市の花園ラグビー場で行われ、東福岡が決勝で報徳学園(兵庫)を下し、
6大会ぶり7回目の全国制覇を成し遂げた。
春の選抜大会では決勝をコロナの影響で辞退、夏の7人制決勝では17―31で敗れ、いずれも報徳学園の優勝を許したが、
決着をつける花園でFW、バックスが一体となったラグビーで報徳学園の3冠を阻止した。
試合は東福岡が先手。開始早々と前半12分にトライを奪い、12-0とリードを広げた。報徳学園も同22分にトライを奪って反撃。
後半2分にはPGを決めて、2点差まで詰め寄った。
だが、東福岡は同10分にトライを奪って突き放すと、同18分、23分にも追加点。試合の大勢を決めた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a9f90ece49c8b3e3948f4c2ab84ff79efa6917fa 東福岡高校サッカー部
http://higashifc.com/calendar202301/
明日1/29は福岡県新人戦決勝
東福岡×福大若葉 [選手権]飯塚、東福岡のリベンジ許さず…1-0勝利で2年連続頂点に!!:福岡
https://web.gekisaka.jp/news/highschool/detail/?395904-395904-fl
第102回全国高校サッカー選手権・福岡県予選は12日に決勝を行った。
3年連続同一カードとなった決勝は、前年度王者の飯塚高が東福岡高のリベンジを
許さずに1-0の完封勝利。2年連続2回目の選手権出場を決めた。
[決勝]
東福岡高 0-1 飯塚高