エカテリーナもフョードロヴィチも、14歳の少年少女時代に、プロティスタントのドイツ文化圏から
遅れた野蛮で反乱が頻発する殺伐とした異文化のロシア正教文化圏にやってきた。

2人とも故郷のドイツ文化を捨て改宗してロシア風の名前をもらったが、ロシア文化に
順応できたのが、女性のエカテリーナのほうで、ロシア語を覚えたり馴染もうと努力家だった。
ドイツでプロティスタントのルター派のフランス人女性家庭教師に教育を受けたエカテリーナは
フランス語など数ヶ国が話せ、合理的で進歩的考えも持っていた。

男のフョードロヴィチのほうは、最後までドイツ文化を捨てきれずフリードリッヒ大王を崇拝し
軍隊もすべてドイツ式にして、ロシア正教の長老たちとロシア軍と貴族を敵に回して自滅。
プロイセンのフリードリッヒ大王もバッハの音楽を愛したように、ドイツ貴族は音楽が好きなのは
フョードロヴッチもその息子のパーヴェルも似たもの同士。DNAは違っても。

この時代は帝王切開なんてなかったし、20世紀初頭の「ダウントン・アビー」の時代でも
成功率は極端に低く冒険で、イギリス貴族の伯爵は進められても踏み切れず、その娘は
苦しみながら死亡して夫婦喧嘩になる。悪行の報いとはいえ哀れだね一番目の妻。

史実ではオルロフはオスマントルコとの戦争のあと大使に任命されたが、外交交渉を失敗したとか。
人痘による種痘方法はオスマントルコで発達してヨーロッパに伝わったのに、スルタンが保守的で
偏見があって天然痘で戦争中に死亡したのは皮肉な話。
もっとオスマントルコとの戦争や外交描写を描いて欲しかったが時間切れで残念。3に期待。