Q. あなたは自分の観察眼をどう評価している?

僕は視野が広く想像力豊かで冷静沈着で論理的なので、僕のその能力や資質に嫉妬する者は居るだろう。
彼らは悔しさから僕を否定するのだが、簡単に論破され、尻尾をまいて逃げていく。
常にその繰り返しなんだ。
僕は神を信じているので、何かについて考える時、常に天からインスピレーションが降り注ぐんだ。

Q. ところで、あなたを「心が冷たい」「共感性がない」と言う人が居るが、どう思う?

誰が僕をどう言おうが思おうが、それは自由である。
何故なら僕も色々な人を自分の自由に評価してるから。
だから誰かが僕を冷たい人間だと言おうが、それについて苛立ちを覚える事はない。
分析はするけどね、印象や感想には理由があるわけだから。
「心が冷たい」と感じるとすれば、多分…僕が冷静沈着だからだろうね。
誰かの不幸・死に対して“カルマ”“自然の理”“全宇宙の壮大なドラマにおいては大したことない出来事”
のように超・俯瞰で語るからね。
でも、僕はこう言う事で落ち込んでる誰かを励まそうとしてるんだよ。
この世の全ての不幸は魂の修行のために存在している。
そう考える事が出来るなら、受け入れて前に進もうという気持ちになれるだろう?
そのように気持ちを切り替える事はすぐには難しいかも知れないけど
僕が堂々と、それを主張する事で救われる人も居ると思う。
それに僕の考え方はドライなように見えるけど、実はウェットでもある。
一例として、人は誰かと死別しても何度も再会するというものがある。
何度も再会出来るなら、一時的な死別は受け入れられるだろう?
もう会えないと考えるから不幸な気持ちになるんだし。
多くの人が死別に対して「もう会えない」と考える中、僕は「何度でも会える」と説く。
そこに冷たさはないと思う。
見方によっては僕の考え方は限りなくウェットなんだよ。