2018年5月22日更新
2018年5月25日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにてロードショー
巨匠リドリー・スコットが暴く、エイリアンよりも禍々しき大富豪の実像

金離れの悪い人物を世間一般に「ケチ」というが、その規模が1700万ドルの身代金を払う払わないのレベルとあらば、そりゃ映画にもなるだろう。
1973年にローマで起こった大富豪親族の誘拐事件の顛末を、本作で巨匠リドリー・スコットは犯罪スリラーさながらに描き上げた。御歳80にして、
他人の血だまりでスッ転ぶ残酷SF「エイリアン・コヴェナント」(17)の後にこれを発表するとは、まったく創造の手綱を緩めないにも程がある。

しかも監督は年齢相応に枯れた題材ではなく、常にジャンルに一石を投じるような作品へと積極的にアクセスしているのだ。世界トップクラスの財に恵まれながらも、
誘拐された孫の身代金要求に応じようとしない石油王ゲティ(クリストファー・プラマー)。そのせいで孫の母親ゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)は、徒手空拳で誘拐犯との交渉を強いられる。
展開が進むにつれて表面化する人間の強欲や、命の対価を問うシビアな金銭闘争など、それらに対して本作は観る者に再考をうながしていく。


またケチという話に的を絞れば、孫を誘拐されたゲティ翁の守銭奴ぶりは、キャラが立ちまくっていて見ものといえるだろう。
他人に電話を貸すのも惜しいと、私邸に公衆電話を設置するなんてのは序の口。果ては身代金を息子に貸したことにし、金利を得ようともくろむなど、
度を超えた富裕層が繰り出すネジれた錬金哲学には「こんなのが身内でなくてよかった」と胸を撫でおろすばかりだ。

そんなゲティの、醜悪さを上塗りした下地に人格の見える肖像画が、クリストファー・プラマーによってこってりと描写されているのも素晴らしい。
当初はケヴィン・スペイシーが演じていたが、セクハラ疑惑で途中降板となった不名誉をプラマーが見事にカバーし、緊急の代役とは思えぬ存在感を示している。
またこうした交代を実現させ、映画を完成へと導いたリドリーの天才的な動きも賞賛に値する。

なにより、エイリアンよりも禍々しいそんな祖父と誘拐犯とで板挟みとなり、それでも我が子を救おうとするゲイルの存在は「エイリアン」(79)や
「テルマ&ルイーズ」(91)「G.I.ジェーン」(97)といった諸作の女性主人公へとリンクする。じつにリドリー・スコットらしいヒロイン映画だ。

(尾崎一男)

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