ユダヤジンとかジミントウとかチョウセンジンとかは排除しなきゃならならないから
ボクチン、非情に徹するんだー
は、まあそこまで悪くないんだが

いわゆる
「目的は手段を正当化する」は
結局「そのていどの正当化で成立する『目的』はその程度『目的』でしかなかった」
「あー ボクチンの高貴な『目的』ってその程度の『現実』で投げ出されるものでした、なんだなーw」に帰結するんだよなぁ・・・