2 九州倭国は基本自滅したのであって、近畿日本が攻め滅ぼしたのではない。
九州倭国は白村江の戦いで滅亡したが、この戦いに近畿日本は参加していない。

3 近畿日本は九州倭国に対して最大限の配慮を行なっている。
磐井の乱のとき、一気加勢に攻め滅ぼしても良かったはず。ところが敢えて許している。
むしろ磐井を筑紫の君と呼び、太宰府(倭京)を遠の朝廷と呼び、最大限の尊重をしていた。
中大兄皇子が即位をあのように遅らせたのも、即位を倭国滅亡まで待ったから。
このように可能な限りの配慮を行っている。