「私の暴言は『正当な批判』です」そう強弁する人びとの内面
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75266
アンチ活動でつながる絆

私を中傷すると、複数の人が褒めてくれたから、それが「間違った行為だ」などとはまったく考えもしなかったという。
むしろ「大勢が褒めてくれるのだからただしい」と思っていたようだ。御田寺をバッシングすれば、大勢の人に応援される。
こんなに大勢の人から嫌われている御田寺は、間違いなくとんでもない悪人であり、生きるに値しない人間の屑なのだ。
そう思い込んで疑いもしなかったようだ。

いわく現実の彼は、だれからも褒められたり、共感されたり、応援されたりすることのあまりない人生を歩んできたのだそうだ。
だが、SNS空間では違った。ここでは「自分のことを評価し、支持してくれる人」がたくさんいた。
その人たちの期待に応えることは楽しいし嬉しかったから、私の「アンチ」を熱心に続けたのだという。
やがて、自分のことを褒めてくれていた人たちから見捨てられるのが不安になり、
その不安を解消したいという欲求が、私に対するさらなる敵意へと変換されていった。
そうしているうちに、私は彼にとって「四六時中言動を監視し、
いつか倒さなければならない(社会的に死んでもらわなければならない)巨大な敵」に見えていたという。

しかし、アンチ活動自体は楽しいことばかりではなかったらしい。
むしろ、自分の人生が私によって振り回されるような感覚が、たまらなく不愉快でさえあったようだ。
ツイッターで、私が楽しそうにゲームをしている報告をしたり、新しい記事や仕事について発信したりする様子を目の当たりにした日は、
それだけで一日中憂鬱になり、死にたくなるくらいの気分になってしまったのだという。