英一郎くんが3年一人暮らししてたのは東京都豊島区目白の一軒家
3億円=土地代
ここに貸し駐車場(月3万 8台満車)
土地の持ち主はママン(親から相続)

三百三十平米を超える広大な土地の一角に建つ二階建て、延べ床面積約五十平米の木造住宅だった。
敷地内には定数八台の月極め駐車場があり、ベンツ、ポルシェ、アウディなどの高級外車が並ぶ
「この辺りは坪単価三百五十万円を下らない。あそこは土地だけで三億五千万円の価値があるでしょう。駐車場は月三万円で現在満車です」

ママンの実家は元織物業の名家で他にも複数の都内の土地・不動産を相続
実家は埼玉秩父の資産家
戦前から続く織物業で『秩父銘仙』の生産や買付けをしていました
戦後の闇市で巨万の富→資金をいち早く都内の不動産に変えて所持してた

パパンの実家も岐阜県出身だけど上京後は台東区で歯科医院を開業
「英昭さんの父は岐阜県可児市の出身で、上京後は台東区で歯科医院を開いた。(英昭の)弟は東大病院勤務の医師。長女は千葉大を卒業後、千葉県内の大病院に嫁いだ。
双子の二女と三女は上智大学大学院に進み、二人とも医療関係者の夫を持っています」(熊沢家の知人)

「お父さんと息子さんが目白駅前の『大戸屋』で食事しているところを見ましたが、お互い無言で食事をしていましたね」(居合わせた客)
 英昭の知人が次のように打ち明ける。
「実は、英昭さんは英一郎くんの病状を案じ、精神科医である妹の夫に相談し、改善の道を模索していたのです。
彼女の夫は、千葉県内で総合病院を運営する理事長で、(同病院の)事務長が長年、英一郎くんの面倒を見ていました」