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【急騰】今買えばいい株9697【】

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0001山師さん (ワッチョイ 0f7c-YYog)
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2018/02/02(金) 11:13:03.35ID:59PKAZTH0
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0649山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:12:40.44ID:kW4BA6hb0
に拵こしらえた、徒いたずらな女性の遊戯と取れない事もなかった。もっともその時の私には奥さんをそ
れほど批評的に見る気は起らなかった。私は奥さんの態度の急に輝いて来たのを見て、むしろ安心した。
これならばそう心配する必要もなかったんだと考え直した。
0650山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:12:56.54ID:kW4BA6hb0
 先生は笑いながら「どうもご苦労さま、泥棒は来ませんでしたか」と私に聞いた。それから「来ないん
で張合はりあいが抜けやしませんか」といった。
 帰る時、奥さんは「どうもお気の毒さま」と会釈した。その調子は忙しいところを暇を潰つぶさせて気
0651山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:13:12.58ID:kW4BA6hb0
の毒だというよりも、せっかく来たのに泥棒がはいらなくって気の毒だという冗談のように聞こえた。奥
さんはそういいながら、先刻さっき出した西洋菓子の残りを、紙に包んで私の手に持たせた。私はそれを
袂たもとへ入れて、人通りの少ない夜寒よさむの小路こうじを曲折して賑にぎやかな町の方へ急いだ。
0652山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:13:28.41ID:kW4BA6hb0
 私はその晩の事を記憶のうちから抽ひき抜いてここへ詳くわしく書いた。これは書くだけの必要がある
から書いたのだが、実をいうと、奥さんに菓子を貰もらって帰るときの気分では、それほど当夜の会話を
重く見ていなかった。私はその翌日よくじつ午飯ひるめしを食いに学校から帰ってきて、昨夜ゆうべ机の
0653山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:13:44.45ID:kW4BA6hb0
上に載のせて置いた菓子の包みを見ると、すぐその中からチョコレートを塗った鳶色とびいろのカステラ
を出して頬張ほおばった。そうしてそれを食う時に、必竟ひっきょうこの菓子を私にくれた二人の男女な
んにょは、幸福な一対いっついとして世の中に存在しているのだと自覚しつつ味わった。
0654山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:14:00.58ID:kW4BA6hb0
 秋が暮れて冬が来るまで格別の事もなかった。私は先生の宅うちへ出ではいりをするついでに、衣服の
洗あらい張はりや仕立したて方かたなどを奥さんに頼んだ。それまで繻絆じゅばんというものを着た事の
ない私が、シャツの上に黒い襟のかかったものを重ねるようになったのはこの時からであった。子供のな
0655山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:14:16.46ID:kW4BA6hb0
い奥さんは、そういう世話を焼くのがかえって退屈凌たいくつしのぎになって、結句けっく身体からだの
薬だぐらいの事をいっていた。
「こりゃ手織ておりね。こんな地じの好いい着物は今まで縫った事がないわ。その代り縫い悪にくいのよ
0656山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:14:32.57ID:kW4BA6hb0
そりゃあ。まるで針が立たないんですもの。お蔭かげで針を二本折りましたわ」
 こんな苦情をいう時ですら、奥さんは別に面倒めんどうくさいという顔をしなかった。
0657山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:14:48.48ID:kW4BA6hb0
二十一

 冬が来た時、私わたくしは偶然国へ帰らなければならない事になった。私の母から受け取った手紙の中
0658山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:15:04.87ID:kW4BA6hb0
に、父の病気の経過が面白くない様子を書いて、今が今という心配もあるまいが、年が年だから、できる
なら都合して帰って来てくれと頼むように付け足してあった。
 父はかねてから腎臓じんぞうを病んでいた。中年以後の人にしばしば見る通り、父のこの病やまいは慢
0659山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:15:20.58ID:kW4BA6hb0
性であった。その代り要心さえしていれば急変のないものと当人も家族のものも信じて疑わなかった。現
に父は養生のお蔭かげ一つで、今日こんにちまでどうかこうか凌しのいで来たように客が来ると吹聴ふい
ちょうしていた。その父が、母の書信によると、庭へ出て何かしている機はずみに突然眩暈めまいがして
0660山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:15:36.46ID:kW4BA6hb0
引ッ繰り返った。家内かないのものは軽症の脳溢血のういっけつと思い違えて、すぐその手当をした。後
あとで医者からどうもそうではないらしい、やはり持病の結果だろうという判断を得て、始めて卒倒と腎
臓病とを結び付けて考えるようになったのである。
0661山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:15:52.50ID:kW4BA6hb0
 冬休みが来るにはまだ少し間まがあった。私は学期の終りまで待っていても差支さしつかえあるまいと
思って一日二日そのままにしておいた。するとその一日二日の間に、父の寝ている様子だの、母の心配し
ている顔だのが時々眼に浮かんだ。そのたびに一種の心苦しさを嘗なめた私は、とうとう帰る決心をした
0662山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:16:08.47ID:kW4BA6hb0
。国から旅費を送らせる手数てかずと時間を省くため、私は暇乞いとまごいかたがた先生の所へ行って、
要いるだけの金を一時立て替えてもらう事にした。
 先生は少し風邪かぜの気味で、座敷へ出るのが臆劫おっくうだといって、私をその書斎に通した。書斎
0663山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:16:24.49ID:kW4BA6hb0
の硝子戸ガラスどから冬に入いって稀まれに見るような懐かしい和やわらかな日光が机掛つくえかけの上
に射さしていた。先生はこの日あたりの好いい室へやの中へ大きな火鉢を置いて、五徳ごとくの上に懸け
た金盥かなだらいから立ち上あがる湯気ゆげで、呼吸いきの苦しくなるのを防いでいた。
0664山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:16:40.61ID:kW4BA6hb0
「大病は好いいが、ちょっとした風邪かぜなどはかえって厭いやなものですね」といった先生は、苦笑し
ながら私の顔を見た。
 先生は病気という病気をした事のない人であった。先生の言葉を聞いた私は笑いたくなった。
0665山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:16:56.60ID:kW4BA6hb0
「私は風邪ぐらいなら我慢しますが、それ以上の病気は真平まっぴらです。先生だって同じ事でしょう。
試みにやってご覧になるとよく解わかります」
「そうかね。私は病気になるくらいなら、死病に罹かかりたいと思ってる」
0666山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:17:12.50ID:kW4BA6hb0
 私は先生のいう事に格別注意を払わなかった。すぐ母の手紙の話をして、金の無心を申し出た。
「そりゃ困るでしょう。そのくらいなら今手元にあるはずだから持って行きたまえ」
 先生は奥さんを呼んで、必要の金額を私の前に並べさせてくれた。それを奥の茶箪笥ちゃだんすか何か
0667山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:17:28.53ID:kW4BA6hb0
の抽出ひきだしから出して来た奥さんは、白い半紙の上へ鄭寧ていねいに重ねて、「そりゃご心配ですね
」といった。
「何遍なんべんも卒倒したんですか」と先生が聞いた。
0668山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:17:44.63ID:kW4BA6hb0
「手紙には何とも書いてありませんが。――そんなに何度も引ッ繰り返るものですか」
「ええ」
 先生の奥さんの母親という人も私の父と同じ病気で亡くなったのだという事が始めて私に解った。
0669山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:18:00.61ID:kW4BA6hb0
「どうせむずかしいんでしょう」と私がいった。
「そうさね。私が代られれば代ってあげても好いいが。――嘔気はきけはあるんですか」
「どうですか、何とも書いてないから、大方おおかたないんでしょう」
0670山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:18:16.54ID:kW4BA6hb0
「吐気さえ来なければまだ大丈夫ですよ」と奥さんがいった。
 私はその晩の汽車で東京を立った。
0671山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:18:32.59ID:kW4BA6hb0
二十二

 父の病気は思ったほど悪くはなかった。それでも着いた時は、床とこの上に胡坐あぐらをかいて、「み
0672山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:18:48.66ID:kW4BA6hb0
んなが心配するから、まあ我慢してこう凝じっとしている。なにもう起きても好いいのさ」といった。し
かしその翌日よくじつからは母が止めるのも聞かずに、とうとう床を上げさせてしまった。母は不承無性
ふしょうぶしょうに太織ふとおりの蒲団ふとんを畳みながら「お父さんはお前が帰って来たので、急に気
0673山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:19:04.49ID:kW4BA6hb0
が強くおなりなんだよ」といった。私わたくしには父の挙動がさして虚勢を張っているようにも思えなか
った。
 私の兄はある職を帯びて遠い九州にいた。これは万一の事がある場合でなければ、容易に父母ちちはは
0674山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:19:20.69ID:kW4BA6hb0
の顔を見る自由の利きかない男であった。妹は他国へ嫁とついだ。これも急場の間に合うように、おいそ
れと呼び寄せられる女ではなかった。兄妹きょうだい三人のうちで、一番便利なのはやはり書生をしてい
る私だけであった。その私が母のいい付け通り学校の課業を放ほうり出して、休み前に帰って来たという
0675山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:19:36.68ID:kW4BA6hb0
事が、父には大きな満足であった。
「これしきの病気に学校を休ませては気の毒だ。お母さんがあまり仰山ぎょうさんな手紙を書くものだか
らいけない」
0676山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:19:52.53ID:kW4BA6hb0
 父は口ではこういった。こういったばかりでなく、今まで敷いていた床とこを上げさせて、いつものよ
うな元気を示した。
「あんまり軽はずみをしてまた逆回ぶりかえすといけませんよ」
0677山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:20:08.58ID:kW4BA6hb0
 私のこの注意を父は愉快そうにしかし極きわめて軽く受けた。
「なに大丈夫、これでいつものように要心ようじんさえしていれば」
 実際父は大丈夫らしかった。家の中を自由に往来して、息も切れなければ、眩暈めまいも感じなかった
0678山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:20:24.54ID:kW4BA6hb0
。ただ顔色だけは普通の人よりも大変悪かったが、これはまた今始まった症状でもないので、私たちは格
別それを気に留めなかった。
 私は先生に手紙を書いて恩借おんしゃくの礼を述べた。正月上京する時に持参するからそれまで待って
0679山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:20:40.59ID:kW4BA6hb0
くれるようにと断わった。そうして父の病状の思ったほど険悪でない事、この分なら当分安心な事、眩暈
も嘔気はきけも皆無な事などを書き連ねた。最後に先生の風邪ふうじゃについても一言いちごんの見舞を
附つけ加えた。私は先生の風邪を実際軽く見ていたので。
0680山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:20:56.69ID:kW4BA6hb0
 私はその手紙を出す時に決して先生の返事を予期していなかった。出した後で父や母と先生の噂うわさ
などをしながら、遥はるかに先生の書斎を想像した。
「こんど東京へ行くときには椎茸しいたけでも持って行ってお上げ」
0681山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:21:12.69ID:kW4BA6hb0
「ええ、しかし先生が干した椎茸なぞを食うかしら」
「旨うまくはないが、別に嫌きらいな人もないだろう」
 私には椎茸と先生を結び付けて考えるのが変であった。
0682山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:21:28.71ID:kW4BA6hb0
 先生の返事が来た時、私はちょっと驚かされた。ことにその内容が特別の用件を含んでいなかった時、
驚かされた。先生はただ親切ずくで、返事を書いてくれたんだと私は思った。そう思うと、その簡単な一
本の手紙が私には大層な喜びになった。もっともこれは私が先生から受け取った第一の手紙には相違なか
0683山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:21:44.64ID:kW4BA6hb0
ったが。
 第一というと私と先生の間に書信の往復がたびたびあったように思われるが、事実は決してそうでない
事をちょっと断わっておきたい。私は先生の生前にたった二通の手紙しか貰もらっていない。その一通は
0684山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:22:00.67ID:kW4BA6hb0
今いうこの簡単な返書で、あとの一通は先生の死ぬ前とくに私宛あてで書いた大変長いものである。
 父は病気の性質として、運動を慎まなければならないので、床を上げてからも、ほとんど戸外そとへは
出なかった。一度天気のごく穏やかな日の午後庭へ下りた事があるが、その時は万一を気遣きづかって、
0685山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:22:16.61ID:kW4BA6hb0
私が引き添うように傍そばに付いていた。私が心配して自分の肩へ手を掛けさせようとしても、父は笑っ
て応じなかった。
0686山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:22:32.63ID:kW4BA6hb0
二十三

 私わたくしは退屈な父の相手としてよく将碁盤しょうぎばんに向かった。二人とも無精な性質たちなの
0687山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:22:48.55ID:kW4BA6hb0
で、炬燵こたつにあたったまま、盤を櫓やぐらの上へ載のせて、駒こまを動かすたびに、わざわざ手を掛
蒲団かけぶとんの下から出すような事をした。時々持駒もちごまを失なくして、次の勝負の来るまで双方
とも知らずにいたりした。それを母が灰の中から見付みつけ出して、火箸ひばしで挟はさみ上げるという
0688山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:23:04.77ID:kW4BA6hb0
滑稽こっけいもあった。
「碁ごだと盤が高過ぎる上に、足が着いているから、炬燵の上では打てないが、そこへ来ると将碁盤は好
いいね、こうして楽に差せるから。無精者には持って来いだ。もう一番やろう」
0689山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:23:20.72ID:kW4BA6hb0
 父は勝った時は必ずもう一番やろうといった。そのくせ負けた時にも、もう一番やろうといった。要す
るに、勝っても負けても、炬燵にあたって、将碁を差したがる男であった。始めのうちは珍しいので、こ
の隠居いんきょじみた娯楽が私にも相当の興味を与えたが、少し時日が経たつに伴つれて、若い私の気力
0690山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:23:36.66ID:kW4BA6hb0
はそのくらいな刺戟しげきで満足できなくなった。私は金きんや香車きょうしゃを握った拳こぶしを頭の
上へ伸ばして、時々思い切ったあくびをした。
 私は東京の事を考えた。そうして漲みなぎる心臓の血潮の奥に、活動活動と打ちつづける鼓動こどうを
0691山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:23:52.59ID:kW4BA6hb0
聞いた。不思議にもその鼓動の音が、ある微妙な意識状態から、先生の力で強められているように感じた

 私は心のうちで、父と先生とを比較して見た。両方とも世間から見れば、生きているか死んでいるか分
0692山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:24:08.65ID:kW4BA6hb0
らないほど大人おとなしい男であった。他ひとに認められるという点からいえばどっちも零れいであった
。それでいて、この将碁を差したがる父は、単なる娯楽の相手としても私には物足りなかった。かつて遊
興のために往来ゆききをした覚おぼえのない先生は、歓楽の交際から出る親しみ以上に、いつか私の頭に
0693山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:24:24.76ID:kW4BA6hb0
影響を与えていた。ただ頭というのはあまりに冷ひややか過ぎるから、私は胸といい直したい。肉のなか
に先生の力が喰くい込んでいるといっても、血のなかに先生の命が流れているといっても、その時の私に
は少しも誇張でないように思われた。私は父が私の本当の父であり、先生はまたいうまでもなく、あかの
0694山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:24:40.67ID:kW4BA6hb0
他人であるという明白な事実を、ことさらに眼の前に並べてみて、始めて大きな真理でも発見したかのご
とくに驚いた。
 私がのつそつし出すと前後して、父や母の眼にも今まで珍しかった私が段々陳腐ちんぷになって来た。
0695山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:24:56.65ID:kW4BA6hb0
これは夏休みなどに国へ帰る誰でもが一様に経験する心持だろうと思うが、当座の一週間ぐらいは下にも
置かないように、ちやほや歓待もてなされるのに、その峠を定規通ていきどおり通り越すと、あとはそろ
そろ家族の熱が冷めて来て、しまいには有っても無くっても構わないもののように粗末に取り扱われがち
0696山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:25:12.66ID:kW4BA6hb0
になるものである。私も滞在中にその峠を通り越した。その上私は国へ帰るたびに、父にも母にも解わか
らない変なところを東京から持って帰った。昔でいうと、儒者じゅしゃの家へ切支丹キリシタンの臭にお
いを持ち込むように、私の持って帰るものは父とも母とも調和しなかった。無論私はそれを隠していた。
0697山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:25:28.61ID:kW4BA6hb0
けれども元々身に着いているものだから、出すまいと思っても、いつかそれが父や母の眼に留とまった。
私はつい面白くなくなった。早く東京へ帰りたくなった。
 父の病気は幸い現状維持のままで、少しも悪い方へ進む模様は見えなかった。念のためにわざわざ遠く
0698山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:25:44.67ID:kW4BA6hb0
から相当の医者を招いたりして、慎重に診察してもらってもやはり私の知っている以外に異状は認められ
なかった。私は冬休みの尽きる少し前に国を立つ事にした。立つといい出すと、人情は妙なもので、父も
母も反対した。
0699山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:26:00.71ID:kW4BA6hb0
「もう帰るのかい、まだ早いじゃないか」と母がいった。
「まだ四、五日いても間に合うんだろう」と父がいった。
 私は自分の極きめた出立しゅったつの日を動かさなかった。
0701山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:26:32.74ID:kW4BA6hb0
 東京へ帰ってみると、松飾まつかざりはいつか取り払われていた。町は寒い風の吹くに任せて、どこを
見てもこれというほどの正月めいた景気はなかった。
 私わたくしは早速さっそく先生のうちへ金を返しに行った。例の椎茸しいたけもついでに持って行った
0702山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
垢版 |
2018/02/09(金) 18:26:48.73ID:kW4BA6hb0
。ただ出すのは少し変だから、母がこれを差し上げてくれといいましたとわざわざ断って奥さんの前へ置
いた。椎茸は新しい菓子折に入れてあった。鄭寧ていねいに礼を述べた奥さんは、次の間まへ立つ時、そ
の折を持って見て、軽いのに驚かされたのか、「こりゃ何の御菓子おかし」と聞いた。奥さんは懇意にな
0703山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
垢版 |
2018/02/09(金) 18:27:04.69ID:kW4BA6hb0
ると、こんなところに極きわめて淡泊たんぱくな小供こどもらしい心を見せた。
 二人とも父の病気について、色々掛念けねんの問いを繰り返してくれた中に、先生はこんな事をいった
0704山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
垢版 |
2018/02/09(金) 18:27:20.92ID:kW4BA6hb0
「なるほど容体ようだいを聞くと、今が今どうという事もないようですが、病気が病気だからよほど気を
つけないといけません」
 先生は腎臓じんぞうの病やまいについて私の知らない事を多く知っていた。
0705山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:27:37.00ID:kW4BA6hb0
「自分で病気に罹かかっていながら、気が付かないで平気でいるのがあの病の特色です。私の知ったある
士官しかんは、とうとうそれでやられたが、全く嘘うそのような死に方をしたんですよ。何しろ傍そばに
寝ていた細君さいくんが看病をする暇もなんにもないくらいなんですからね。夜中にちょっと苦しいとい
0706山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:27:52.70ID:kW4BA6hb0
って、細君を起したぎり、翌あくる朝はもう死んでいたんです。しかも細君は夫が寝ているとばかり思っ
てたんだっていうんだから」
 今まで楽天的に傾いていた私は急に不安になった。
0707山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:28:08.71ID:kW4BA6hb0
「私の父おやじもそんなになるでしょうか。ならんともいえないですね」
「医者は何というのです」
「医者は到底とても治らないというんです。けれども当分のところ心配はあるまいともいうんです」
0708山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:28:24.72ID:kW4BA6hb0
「それじゃ好いいでしょう。医者がそういうなら。私の今話したのは気が付かずにいた人の事で、しかも
それがずいぶん乱暴な軍人なんだから」
 私はやや安心した。私の変化を凝じっと見ていた先生は、それからこう付け足した。
0709山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:28:40.82ID:kW4BA6hb0
「しかし人間は健康にしろ病気にしろ、どっちにしても脆もろいものですね。いつどんな事でどんな死に
ようをしないとも限らないから」
「先生もそんな事を考えてお出いでですか」
0710山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:28:56.71ID:kW4BA6hb0
「いくら丈夫の私でも、満更まんざら考えない事もありません」
 先生の口元には微笑の影が見えた。
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間まに死ぬ人もあるでしょ
0711山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:29:12.72ID:kW4BA6hb0
う。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」
「何だかそれは私にも解わからないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
0712山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:29:28.86ID:kW4BA6hb0
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭かげですね」
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」
 その日はそれで帰った。帰ってからも父の病気はそれほど苦にならなかった。先生のいった自然に死ぬ
0713山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:29:44.73ID:kW4BA6hb0
とか、不自然の暴力で死ぬとかいう言葉も、その場限りの浅い印象を与えただけで、後あとは何らのこだ
わりを私の頭に残さなかった。私は今まで幾度いくたびか手を着けようとしては手を引っ込めた卒業論文
を、いよいよ本式に書き始めなければならないと思い出した。
0715山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:30:16.79ID:kW4BA6hb0
 その年の六月に卒業するはずの私わたくしは、ぜひともこの論文を成規通せいきどおり四月いっぱいに
書き上げてしまわなければならなかった。二、三、四と指を折って余る時日を勘定して見た時、私は少し
自分の度胸を疑うたぐった。他ほかのものはよほど前から材料を蒐あつめたり、ノートを溜ためたりして
0716山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:30:32.76ID:kW4BA6hb0
、余所目よそめにも忙いそがしそうに見えるのに、私だけはまだ何にも手を着けずにいた。私にはただ年
が改まったら大いにやろうという決心だけがあった。私はその決心でやり出した。そうして忽たちまち動
けなくなった。今まで大きな問題を空くうに描えがいて、骨組みだけはほぼでき上っているくらいに考え
0717山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:30:48.76ID:kW4BA6hb0
ていた私は、頭を抑おさえて悩み始めた。私はそれから論文の問題を小さくした。そうして練り上げた思
想を系統的に纏まとめる手数を省くために、ただ書物の中にある材料を並べて、それに相当な結論をちょ
っと付け加える事にした。
0718山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:31:04.75ID:kW4BA6hb0
 私の選択した問題は先生の専門と縁故の近いものであった。私がかつてその選択について先生の意見を
尋ねた時、先生は好いいでしょうといった。狼狽ろうばいした気味の私は、早速さっそく先生の所へ出掛
けて、私の読まなければならない参考書を聞いた。先生は自分の知っている限りの知識を、快く私に与え
0719山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:31:20.79ID:kW4BA6hb0
てくれた上に、必要の書物を、二、三冊貸そうといった。しかし先生はこの点について毫ごうも私を指導
する任に当ろうとしなかった。
「近頃ちかごろはあんまり書物を読まないから、新しい事は知りませんよ。学校の先生に聞いた方が好い
0720山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:31:36.87ID:kW4BA6hb0
でしょう」
 先生は一時非常の読書家であったが、その後ごどういう訳か、前ほどこの方面に興味が働かなくなった
ようだと、かつて奥さんから聞いた事があるのを、私はその時ふと思い出した。私は論文をよそにして、
0721山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:31:52.90ID:kW4BA6hb0
そぞろに口を開いた。
「先生はなぜ元のように書物に興味をもち得ないんですか」
「なぜという訳もありませんが。……つまりいくら本を読んでもそれほどえらくならないと思うせいでし
0722山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:32:08.90ID:kW4BA6hb0
ょう。それから……」
「それから、まだあるんですか」
「まだあるというほどの理由でもないが、以前はね、人の前へ出たり、人に聞かれたりして知らないと恥
0723山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:32:24.85ID:kW4BA6hb0
のようにきまりが悪かったものだが、近頃は知らないという事が、それほどの恥でないように見え出した
ものだから、つい無理にも本を読んでみようという元気が出なくなったのでしょう。まあ早くいえば老い
込んだのです」
0724山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:32:40.80ID:kW4BA6hb0
 先生の言葉はむしろ平静であった。世間に背中を向けた人の苦味くみを帯びていなかっただけに、私に
はそれほどの手応てごたえもなかった。私は先生を老い込んだとも思わない代りに、偉いとも感心せずに
帰った。
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2018/02/09(金) 18:32:56.80ID:kW4BA6hb0
 それからの私はほとんど論文に祟たたられた精神病者のように眼を赤くして苦しんだ。私は一年前ぜん
に卒業した友達について、色々様子を聞いてみたりした。そのうちの一人いちにんは締切しめきりの日に
車で事務所へ馳かけつけて漸ようやく間に合わせたといった。他の一人は五時を十五分ほど後おくらして
0726山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:33:12.77ID:kW4BA6hb0
持って行ったため、危あやうく跳はね付けられようとしたところを、主任教授の好意でやっと受理しても
らったといった。私は不安を感ずると共に度胸を据すえた。毎日机の前で精根のつづく限り働いた。でな
ければ、薄暗い書庫にはいって、高い本棚のあちらこちらを見廻みまわした。私の眼は好事家こうずかが
0727山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:33:28.80ID:kW4BA6hb0
骨董こっとうでも掘り出す時のように背表紙の金文字をあさった。
 梅が咲くにつけて寒い風は段々向むきを南へ更かえて行った。それが一仕切ひとしきり経たつと、桜の
噂うわさがちらほら私の耳に聞こえ出した。それでも私は馬車馬のように正面ばかり見て、論文に鞭むち
0728山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:33:44.88ID:kW4BA6hb0
うたれた。私はついに四月の下旬が来て、やっと予定通りのものを書き上げるまで、先生の敷居を跨また
がなかった。
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2018/02/09(金) 18:34:00.82ID:kW4BA6hb0
二十六

 私わたくしの自由になったのは、八重桜やえざくらの散った枝にいつしか青い葉が霞かすむように伸び
0730山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:34:16.92ID:kW4BA6hb0
始める初夏の季節であった。私は籠かごを抜け出した小鳥の心をもって、広い天地を一目ひとめに見渡し
ながら、自由に羽搏はばたきをした。私はすぐ先生の家うちへ行った。枳殻からたちの垣が黒ずんだ枝の
上に、萌もえるような芽を吹いていたり、柘榴ざくろの枯れた幹から、つやつやしい茶褐色の葉が、柔ら
0731山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:34:32.92ID:kW4BA6hb0
かそうに日光を映していたりするのが、道々私の眼を引き付けた。私は生れて初めてそんなものを見るよ
うな珍しさを覚えた。
 先生は嬉うれしそうな私の顔を見て、「もう論文は片付いたんですか、結構ですね」といった。私は「
0732山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:34:48.84ID:kW4BA6hb0
お蔭かげでようやく済みました。もう何にもする事はありません」といった。
 実際その時の私は、自分のなすべきすべての仕事がすでに結了けつりょうして、これから先は威張って
遊んでいても構わないような晴やかな心持でいた。私は書き上げた自分の論文に対して充分の自信と満足
0733山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:35:04.84ID:kW4BA6hb0
をもっていた。私は先生の前で、しきりにその内容を喋々ちょうちょうした。先生はいつもの調子で、「
なるほど」とか、「そうですか」とかいってくれたが、それ以上の批評は少しも加えなかった。私は物足
りないというよりも、聊いささか拍子抜けの気味であった。それでもその日私の気力は、因循いんじゅん
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2018/02/09(金) 18:35:20.94ID:kW4BA6hb0
らしく見える先生の態度に逆襲を試みるほどに生々いきいきしていた。私は青く蘇生よみがえろうとする
大きな自然の中に、先生を誘い出そうとした。
「先生どこかへ散歩しましょう。外へ出ると大変好いい心持です」
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2018/02/09(金) 18:35:36.83ID:kW4BA6hb0
「どこへ」
 私はどこでも構わなかった。ただ先生を伴つれて郊外へ出たかった。
 一時間の後のち、先生と私は目的どおり市を離れて、村とも町とも区別の付かない静かな所を宛あても
0736山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:35:52.82ID:kW4BA6hb0
なく歩いた。私はかなめの垣から若い柔らかい葉を※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)もぎ
取って芝笛しばぶえを鳴らした。ある鹿児島人かごしまじんを友達にもって、その人の真似まねをしつつ
自然に習い覚えた私は、この芝笛というものを鳴らす事が上手であった。私が得意にそれを吹きつづける
0737山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:36:08.85ID:kW4BA6hb0
と、先生は知らん顔をしてよそを向いて歩いた。
 やがて若葉に鎖とざされたように蓊欝こんもりした小高い一構ひとかまえの下に細い路みちが開ひらけ
た。門の柱に打ち付けた標札に何々園とあるので、その個人の邸宅でない事がすぐ知れた。先生はだらだ
0738山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:36:25.00ID:kW4BA6hb0
ら上のぼりになっている入口を眺ながめて、「はいってみようか」といった。私はすぐ「植木屋ですね」
と答えた。
 植込うえこみの中を一ひとうねりして奥へ上のぼると左側に家うちがあった。明け放った障子しょうじ
0739山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:36:40.86ID:kW4BA6hb0
の内はがらんとして人の影も見えなかった。ただ軒先のきさきに据えた大きな鉢の中に飼ってある金魚が
動いていた。
「静かだね。断わらずにはいっても構わないだろうか」
0740山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:36:57.01ID:kW4BA6hb0
「構わないでしょう」
 二人はまた奥の方へ進んだ。しかしそこにも人影は見えなかった。躑躅つつじが燃えるように咲き乱れ
ていた。先生はそのうちで樺色かばいろの丈たけの高いのを指して、「これは霧島きりしまでしょう」と
0741山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:37:12.87ID:kW4BA6hb0
いった。
 芍薬しゃくやくも十坪とつぼあまり一面に植え付けられていたが、まだ季節が来ないので花を着けてい
るのは一本もなかった。この芍薬畠ばたけの傍そばにある古びた縁台のようなものの上に先生は大の字な
0742山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:37:28.87ID:kW4BA6hb0
りに寝た。私はその余った端はじの方に腰をおろして烟草タバコを吹かした。先生は蒼あおい透すき徹と
おるような空を見ていた。私は私を包む若葉の色に心を奪われていた。その若葉の色をよくよく眺ながめ
ると、一々違っていた。同じ楓かえでの樹きでも同じ色を枝に着けているものは一つもなかった。細い杉
0744山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:38:01.12ID:kW4BA6hb0
 私わたくしはすぐその帽子を取り上げた。所々ところどころに着いている赤土を爪つめで弾はじきなが
ら先生を呼んだ。
0745山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:38:16.90ID:kW4BA6hb0
「先生帽子が落ちました」
「ありがとう」
 身体からだを半分起してそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片付かないその姿勢のままで、
0746山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:38:33.00ID:kW4BA6hb0
変な事を私に聞いた。
「突然だが、君の家うちには財産がよっぽどあるんですか」
「あるというほどありゃしません」
0747山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:38:48.89ID:kW4BA6hb0
「まあどのくらいあるのかね。失礼のようだが」
「どのくらいって、山と田地でんぢが少しあるぎりで、金なんかまるでないんでしょう」
 先生が私の家いえの経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ
0748山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:39:05.39ID:kW4BA6hb0
先生の暮し向きに関して、何も聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして
遊んでいられるかを疑うたぐった。その後もこの疑いは絶えず私の胸を去らなかった。しかし私はそんな
露骨あらわな問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えていた。若葉の色で疲
0749山師さん (ワッチョイ 3194-nHV3)
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2018/02/09(金) 18:39:20.90ID:kW4BA6hb0
れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」
「私は財産家と見えますか」
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