一つ一つの場面を切り取って繋げた物が結果的に波になるとするならば
スロットは完全確率であり、それを操作してる自分こそが波の大元を
作ってる正体なんじゃないだろうか?

で、あるなら読むべき波は台というよりかは正確には自分。

自分自身を見つめて今日の引きやこれからの引きなど波を読む人も居れば
自身の波(引き)を台に「投影」させて「台の波」として間接的に読む人もいる。
どっちも間違いではないと思うが、自分で自分を見るのは鏡を使わず自分を凝視
するのと似たような行為で、客観視が出来ず非常に難しい。まして鉄火場で熱く
なっているのなら尚更判断にくもりが出る。

それを回避する知恵として、無意識に台を自分に見立てて客観視する事により
波を読んでるんじゃないだろうか? 完全確率である以上、突き詰めればグラフに
意味はない(確率どおりにしか出ない)。にも関わらず、設定低めの台の下山グラフ
を見て何故か「こっからBIG2〜3回分は回復するな」とピンとくることがある。
逆に設定が高そうな台でも手をつけたらクソハマる予感がして敬遠する事もある。

グラフは結果論であって意味がない(確率どおりにしか出ない)のに、それを見て
何かしらの波を感じ判断を下す最終的なその根拠は、自分の波なんじゃないだろうか。

さらに考えをすすめると、その台のグラフはそれぞれの波を持ったさまざまな人が打った経歴であり
自分の波というのは他の人の波とも、もしかしたら影響しあって「関係」してるのかもしれない。
カマを掘られるとか、横に来たヤツが爆連する、あるいは自分の台と隣の台が同時に吹くなどなど。

そうであるなら台のグラフはその場に留まる人間達の好不調の波の記録であり、自分の波と他人の波を
照らし合わせてより一層今後の自分の引きがどうなのかを無意識に計算している。その計算や運の上下を
無意識ではなく表層意識で「台の調子」「台の波」と称して判断してるのではないだろうか?
そんなオカルト考察。ちょっと長すぎた。ごめん。