落語の噺のなかには、価格の不思議さを笑いのもとにしたものがいくつかある。なかでも、「千両みかん」は、価格と価値の関係をうまく描写している。この話をしっかり読み解くことができれば、あなたの経済学の理解度はかなり高いことになる。

 千両みかんの内容を簡単に紹介しよう。8月のある日、呉服屋の若旦那が急に明日をも知れぬ重病になる。医者によれば心の病であり、心に思っていることがかなえば全快するという。大旦那が番頭に、欲しいものを聞き出すように命じると、みかんが食べたい、ということだ。しかし、江戸時代なので、夏にはみかんがない。番頭は、何としてでもみかんを手に入れてこい、と大旦那に言われる。ようやくたどり着いたのが、天満のみかん問屋である。そこで、無傷のみかんが一つ見つかる。みかん問屋が言う値段は千両。番頭は大旦那に相談すると千両でみかんを買えということになった。若旦那は10房のうち7房を食べたところで、残りを両親に2房、番頭に1房食べてもらうように、番頭に差し出した。廊下に出たところで、番頭は、「3房で300両の価値があるみかん」をもって、逃げることに決めた。

 「千両みかん」の笑いのポイントは、個人特有のものやサービスに対する私的価値と共通価値を混同してしまうところである。私たちは、ある品物の価値と言われると、即座にいくらで売れるかという価格のことを思い浮かべる。そういう意味で、価格と価値は同じものだと考えることが多い。この番頭も、この場合の千両という価格は、大旦那の私的価値と等しいが共通価値ではないのに、価格といえば共通価値と同じだと思い込んでしまったのだ。しかし、少し考えてみればわかるが価格と価値、特に私的価値は異なるものだ。