心やさしく、正義感の強い人でした。手塚さんが描く作品の主人公がそうであったように。「鉄腕アトム」のアトム、「ジャングル大帝」のレオ…。
記者としてのかけ出しのころ、手塚番をおおせつかりました。手塚さんには、「赤旗」日曜版に「羽と星くず」を連載していただいていました。毎週一回、東京・練馬区のお宅に、原稿をもらいにいくのが仕事でした。手塚さんは三十歳半ば、売れっ子中の売れっ子でした。
 二階が手塚さんの仕事場で、階下が手塚番の”待合室”でした。いつも各社の十人ぐらいがつめていました。「○○社さん」。原稿があがると、ひもでつるしたかごがおりてきました。呼ばれた者は喜色満面、他はため息。みな毛布をかぶって徹夜覚悟でした。
 「赤旗」だけが例外でした。奥さんが来訪を告げると、仕事を「赤旗」用にきりかえました。「他社からうらまれます」というと、手塚さんは答えました。「『赤旗』のようなまじめな新聞にかかせてもらえるだけでうれしい。他社のは仕事、『赤旗』のは僕の気持ち」。
 事実、手塚さんは原稿料を受けとりませんでした。連載中ずっとプールし、終わったとき離島にテレビを贈ることにしました。手塚さんの発案でした。仕事の打ち上げに、編集長命で一席設けました。大衆的なトンカツ屋でした。後日、手塚さんは筆者を高級ステーキ店に呼び出しました。「礼しなきゃ」。
 「やさしくてヒューマンで、まじめ」。手塚さんの人柄そのものですが、実はこれ、手塚さんが「赤旗」にいつも使った言葉でした。