●【川端祐一郎】
https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200403/
ところで最近、新型コロナウイルス騒動のニュースを真面目に追うのをやめたのですが、
それはこのウイルスに怯える人々の悲鳴が、生命至上主義の凱歌にしか聞こえないからです。

300万の人命を失った大東亜戦争のさなかでも、
我々の祖父たちの言葉はもっと豊かだったのではないでしょうか。
戦争以外のことを語る余裕は少なかったかも知れませんが、
それにしても「死者が何名、ああ怖い」というような萎縮した言葉が、
国民の会話の空間を制圧することはなかったはずです。

しかし人類史に残る幾多の危機に比べて3桁も4桁も少ない犠牲の段階で、
人間を人間たらしめている「言葉」がこれほど平板になってしまうというのは、
パンデミック以上に深刻な社会的病理です

https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200424/
しかし今は、誰もが優等生を演じることを強いられている。強いられるばかりか、
自ら進んで「俺のほうが危機感がある」というような競争に明け暮れる人も少なくない。
そして恐ろしく多弁である割には、その論理を突き詰めると、
「命が大事」程度の恐ろしく平板な道徳原理しか持っていないことが多いのです