>>542
国家の構成員が支配者足ることが民主主義であるならば根源的テロルを容認することが前提となる。
支配者であることを止めたいという心情には大いに共感するところではあるが、
我々全員が支配者であることを止めることはできないのだ。
だから力無き者は慰みものになるのであり、“逆説的な意味”においてのみテロルが容認されるのである。

支配者であることを止めるのは自由だ。
すすんで慰み者になるのか、埒外での(しかしそれこそが現実の枠の内である)暴君となって欲望の限りを尽くすのか、
あるいは賢人となって幸福なる世界を実現せしめるのか(しかし国家は永続する前提なのだから世代を超えて
未来永劫賢人を産み出すだけ能力が求められる、端的に言ってそれは「神」であろう)。

我々全員が神であることを強いられているという選良主義を超えた超ド級の信仰が求められるのが
民主主義というものの本質であろう。

一方でそのようなことは土台実現不可能であるとの“健全”な懐疑を持ち続けなければならない。
人はそのパラドクスを呑み込むことでのみ創造的であり得るのだ。