>>179
日本という国号そのものが、新羅への優位を主張するために選ばれたという説があるくらいだ。


前野みち子「“国号に見る「日本」の自己意識”」
『言語文化研究叢書』第5号 (名古屋大学大学院国際文化研究科).
https://nagoya.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&;item_id=6504&file_id=17&file_no=1

八世紀初め以降、正史で積極的に用いられるようになる「日本」という国号は、
ヤマトと訓読するにせよ、ニチホン(あるいはニホン、ニッポン、ジッポンなど正確なところは分っていない)と
音読するにせよ、朝貢を求めてきた朝鮮との外交文書のなかで初めて使われるようになったものであり、
最初から朝鮮を強く意識した対外向けの国号だった。

「日本」とはつまり、四世紀末から七世紀半ばまで朝鮮(百済・新羅)からの朝貢を受けた事実に基づいて、
自国に大国としての価値を付与し、朝鮮への優位性を誇示する意図をもって選ばれた国号だったのである。2)


2) 神野志、前掲書(『「日本」とは何か』第二・三章)。
『日本書紀』には、神功皇后が送った兵を見た新羅王が、「吾聞く、東に神国有り。日本と謂ふ。亦聖王有り。
天皇と謂ふ。必ず其の国の神兵ならむ」として、この「東にいづる日」の方にある国に服従し朝貢を誓ったとある
(神功皇后摂政前期、仲哀九年十月条)。また、「百済王、東方に日本の貴き国(「日本貴国」)有りと聞き、
臣等を遣わして、其の貴き国に朝ぜしむ」(神功皇后摂政46年条)とも記されている。

また、明治初期の国学者物集高見(1847-1928)は、『日本書紀』における「日本」と「倭」の使い分けを、
「天の下の大號のには日本とかき、又一國の名(畿内のヤマトの国の意)の時も、おほやけにかゝれるをば日本とかゝれ」、
「人名も此こゝろばへにて、天皇の大御おほみには日本、さらぬ人のには倭とかゝれたり」と分析している
(「國號考」、『真註皇學叢書』第十一巻、1927 年、所収)。
ここからも、「日本(やまと)」という表記が、中国側から与えられ一般化した「倭(やまと)」の表記と比較して、
「天皇の統治」を強烈に意識した極めて政治的な意図をもつものだったことが分る。