>>976
スティグリッツは、新自由主義の起源を、アダム・スミス以来の古典的な考えが、復活したものに過ぎないと指摘しているが、
ではアダム・スミスの古典経済学の源流は、いったいどこにあるだろうか

アダム・スミス自身は、国家主義者との側面を有しており、道徳情操論などに代表されるような、ナショナルな主張も行っている
古典派経済学が、その自由性を顕著にしたのは、リカードの登場である
リカードがいかなる人物かと言えば、ユダヤ人であり、オランダからの移住者の家系である
父祖の代から金融事業者であり、父と共に働いてたが、宗教的対立から決別、ただ一人で金融事業を行い、成功者となった

スミスやマルサスが、それなりに安定した基盤のもとで育って成功し、学者然として余裕を持ち合わせていたのに対し、
リカードはあくまで一匹狼的な成金であり、金以外の基盤をなんら持たなかった
後にリカードは政界に進出するが、このとき彼は、なんの縁もゆかりも無いアイルランドの選挙区から立候補しており、今でいう落下傘候補であった

リカードを批判的に見るなら、金以外の何物にも頼ることのできない人物として取り上げられる
このような背景を持った人物が主張したのが、財政政策の無効(等価定理)、金融政策の否定(金本位制の支持)、そして自由貿易であった

後にケインズは「もし、リカードでなくマルサスが19世紀経済学の根幹をなしていたなら、今日の世界は賢く豊かになっていた」と評した