【疑義】倉山満part782【国土強靱化】
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スポーツ選手は(a)雇用者である場合と、個人事業主である場合がある。
また、個人事業主でも、(b)完全に一人でやっている場合と、(c)チームでやってる場合がある。
(a)と(c)は事業主がどのように賃金を分配するのが適切か?具体的にはCEOが現場の人の賃金に比べて、数百、数千倍の賃金を貰ってる根拠は何だ〜
(b)は稼いだ分がそのまま年収になるわけだから、年収自体はどうにもしようがないので、格差とはどうあるべきかという考え方に従って、税制の話になるのかな〜
哲学だから格差の考え方の話になるんだろうね
家族単位では男性1馬力世帯での「俺の金で食わせてやってるんだ」問題
でも、師匠(笑)が「すべて無駄だった」と言って自殺したやつの、
弟子だの、あるいはそのお仲間だのが、偉そうな顔して、
あれはどうだ、これはどうだと言ってるわけでしょ。
恥知らずというのは、強いという面もあるよね。
ただの延命ですけど。
逆に何とか文化財で残してやりたいくらいですよw ちゃんと馬鹿にしておきたいですよね。
多分、先も長くないだろうしw
あんだけ馬鹿な癖に、偉そうに大衆は馬鹿だのなんだの。
ほんと、気持ち悪い。
でも、「マルクス主義の末路」という感じはしますね。
こんなものの末路が見られるなんてお得な気分じゃないですか。
キリスト再臨の前座みたいなもんですけど。
ほら、邪魔だから多摩川なり鴨川なりナイル川なりに、はよ飛び込めやw >>471
> ほら、邪魔だから多摩川なり鴨川なりナイル川なりに、はよ飛び込めやw
これ、「酷い!」って言わないでね。
師匠がやってるんだから、言われなくてもやれや!ハハハw 売れている作家、芸術家、芸人なども似たようなもんか >>470
それは、「こいつらが死んでないことの方が間違い」だからでしょw
もっとも、「こいつらに間違ってないことがあるのか」って話ですけどねw 17年度の地方税収、過去最高の40.9兆円
景気回復で給与所得が拡大
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO32768100Z00C18A7EE8000
総務省は9日、2017年度の都道府県と市町村の地方税収入(速報)が過去最高の40兆9087億円だったと発表した。前年度から5750億円伸び、2年ぶりの増加となった。
景気回復で給与所得が拡大。株高で個人住民税が増えたほか、企業が納める地方法人二税(法人事業税、法人住民税)も微増となった。地方税収入には法人事業税の一部を国が吸い上げて地方に再配分する地方法人特別譲与税も含む。 >>458
自動車事故の死者数が4000人程度で済んでいるのは、信号や交通ルールの策定など過去に予算を付けて様々な対策をしてきたからだよ。
当然これらの予算の使い方は、交通量の予測や過去の事故の件数などから算定されている。この点で言えば、交通事故と防災対策に何ら違いが無いように思える。
費用対効果の議論についても、藤井参与などが著書等で指摘しているように、費用よりも効果が大きい防災対策は可能だし、実際にあるけれども、そうしたものであっても進んでいないのが、現状。
あなたが指摘するランダム性だけれども、確かにこれは災害がどこで起きるのか分からないという意味において、交通事故とは決定的な違いかもしれない。
けれども、交通事故にも当然ランダム性があるが、対策をしている。
また、これだけ台風や豪雨、地震などが多い国も珍しい訳だが、その全てが大きな災害とならないのは、
過去に交通ルール同様、様々な対策が取られてきたからであって、この点においても自動車事故と災害に差はないと言える。
こうして考えていくと、一体防災対策と交通事故対策の差がどこにあるのか分からなくなる。
多くの人は、災害は自然発生的なものだから、費用より効果が大きくても対策しなくても良いと考えて居るのかも知れないが。 スケ山先生きたああああああああああ
ちょっと眠そう?w >>477
消費税8パーセントにしても税収が伸びる!なら10パーセントにしても良いね😊 片山早口w スケ山先生も最初から早口言葉言ってるみたいだし >>486
これが島倉にはできないんだよなぁw
藤井・柴山・片山は頭の回転がはえーわ 討論で大店法が悪いって言ってたけど
個人商店とかじゃ子供ころに欲しい商品も無くて結局でかい店まで買いに行かなければならないとかあったから
大店法が無くてもいずれ個人商店なんか無くなっていただろ
特に今じゃアマゾンがあるから大店法なんか関係ないしな
こっち系の保守って昔から大店法批判するの好きだな >>488
むしろ今はamazon等のネット販売で、大店舗が追い込まれつつある状況だから、
もはや大店法批判は周回遅れになりつつあるな まぁ保守って時代の流れについて行こうとせず歴史やら伝統やらうるさいのがそれなりいるからなw 熊ちゃん超久々に見た気がするけど反安倍になってて草
重度の安倍とハシゲの信者だったのにな
熊ちゃんでも桜のようなバカウヨどもよりはマシだったということか
普通の日本人だったら安倍支持とかありえないもんな ずいぶん前の話だけど、イーコマースという仕組みを利用する事で、波に乗る個人商店もあるって一例を、ドワンゴの夏野剛が話してた。
夏野はワイン通なんだけど、某アーケード街の酒屋の二代目が、まだ二代目を継ぐ事がはっきりしてない時に海外に放浪の旅をしてて、そこでワインを飲み歩き、人脈とウンチクを備えて日本に帰ってくるなり、
父親に二代目を継ぐ代わりにネット展開を提案。そして楽天市場に出店するなり個別の相談をメールで受け付けるようなソリューションを展開。
瞬く間に人気となり、アーケード街の直接来店客よりもネットでの売上が遥かに上回ったという話。夏野もいつもその楽天市場のその店からワインをネット注文しているのだとか。 今思ったのだが参勤交代ってケインズの言う穴掘って埋める有効需要創出みたいなもんか 藤村の夜明け前なんか読むと宿場のマスターたちが参勤交代のための道路整備や
人や馬や金の捻出に苦労したみたいだが
現代に置き換えると加計学園運営に自治体が莫大な予算を献上するようなものか >>496
過去の集合写真を見てみると西部周辺にいた人達がゲストの時はクロスポーズでないことが多いようだw >>500
東谷さんだけ渋〜い顔してるのはそのためかw >>488
この問題の本質は、鉄道駅前→ロードサイドへの消費文化の移行なのであって
明らかに「道路開発のやり過ぎ」が原因にあるんだよ
大店法は、あくまで、その開発のベースの上に立った話
つまり、なぜ大店法批判が空振りに終わるかというと「どうしたいのか(ロードサイド文化を拒絶するのか?)」が明確じゃないからなんだよね >>494
穴掘って埋めるのは有効需要じゃないよw >>492
輸入ワインなんかよりも、国産の日本酒の方が、そういう動きは活発だし、意味があるもんだよ
夏野みたいなゴミの話を引用せずともw
中田ヒデがやってるのもそうだし、藻谷浩介の里山資本主義が売れたのも、そういう流れだしw >>494
目的も効果も需要創出ではない
需要創出ではなく、需要転移と言うのが正確だろう
本来、各藩の地元に投下されるはずだった(包括的な意味での)資源を、江戸と、江戸と藩にかけての街道に投下された
現在の日本の、一極集中型の構造の成立の直接のきっかけだね インバウント消費が半分以上カスなのも
中国人に、日本に来てヨーロッパ製品を買われても、日本に落ちる利益なんて微々たるもんなんだよ
フランスやイタリアの為の代理店をやってあげてるだけだからなw
まあ、国産のコスメ製品や電化製品も人気があるからいいけど、高価格帯は欧州ブランドに占拠されてるからね >>504
道路整備をしなければ公共事業も減るし
交通網ネットワークも悪くなってしまうんじゃないの? 週刊西田一問一答
http://youtu.be/9YfQwBThhSo
1:20?
質問「原田泰氏、岩田規久男氏、浜田宏一氏、上念司氏、田中秀臣氏、倉山満氏など、いわゆるリフレ派経済学者は、新自由主義者ですか?」
西田「その通りだと思います。以上です。」 >>481
>これらの予算の使い方は、交通量の予測や過去の事故の件数などから算定されている
決定的な違いは、自動車事故の「総」被害数が、大きなブレなく算定できるのに対し、
自然災害の「総」被害は、その算定が上下にブレるということ
向こう100年間、自然災害で流刑どれだけの人的・物的損害が出るか、見通しをつけるのは難しい
確実なものに立ち向かうのと、不確実なものに立ち向かうのでは、やはりその態度が変わって当然で、
そこを加味した上で議論を組み立てないと、話がねじれてしまうように思える
>費用よりも効果が大きい防災対策は可能だし、実際にあるけれども、そうしたものであっても進んでいないのが、現状。
費用対分析については、費用の計算について概ねの予測ができても、効果についての予測が難しい
堤防を1m高くしても、その河川が堤防まで水位上昇することがなければ、需要創出以外の効果は0となる
実際には、河川水位が上昇する確率を計算することになるが、これの不確実性が高いがための難しさがある
現在の科学の知見の範囲で、できるだけ正確な予想を試みるべきだが、科学は万能ではない 西田昌司って西部との対談本の中で「日本の伝統工芸品とか伝統芸能とか、そういう形が現れているものの継承にはあんま興味ない。どちらかというと日本精神のような思想面を保守することが大事だと思う」と語ってたからなあ。
三島由紀夫が「日本の伝統とは抽象的なものではなく個別具体的な芸術に宿る」と言っていたのとえらい違いだ >>510
その「やり方」に問題があるって事なんだよ
モータリゼーションだけを推進すれば、鉄道文化(駅前商店街)は廃れてシャッター商店街になるに決まってるし
車社会になるほど、ロードサイドの大きな駐車場を持つ、イオンモールのような存在が必要になるに決まってるだろ
じゃ、今のような地方の姿にしたくて道路を増やしたの?というと、全く答えが出て来ない
ノープランで道路だけ伸ばし、結果として地方は衰退したわけだ
せめて、それに対する、反省と自己否定は必要
じゃないと、同じ事を繰り返すだけだからな
ただし 「 今の地方の姿が、かつて描いた地方の理想社会 」 だというなら話は別だけどさ 地方のシャッター商店街問題には「駐車スペースが無い」という根本問題がある
東京都内には今でも商店街文化があるし、活性化すらされているんだけど、それは主に「鉄道の通勤客」が支えてるもんだからな
でも、地方では、車通勤が当たり前だよな
となると、買い物も「気軽に駐車場を利用できる」事が大前提になる
だから、ロードサイドの大店舗が求められるのは、当然なんだよ
そして、地方社会そうなってしまった根本原因は、鉄道主体ではなく道路主体でインフラ整備を進めてしまったからであって
「昭和の公共事業が間違っていた」という話なんだな まともに来られると反論出来ないホチュ達w 3284241のイエスマンだからw 自分の意見が無いからw 鉄道と車のコラボをすればええやん。
駅周辺に駐車場を作り、駅まで車で。 >>518
>>517については特に異論はないんだけど、
>>519でも指摘されてるように、まるっきり藤井とかと同じこと言ってる
自覚的にやってんのか無自覚にやってんのか分からんが、藤井を煽りながら藤井と同じこと言う姿勢には違和感 >>514
全体的に言いたいことは分かるということを念頭においてレスするが、
>決定的な違いは、自動車事故の「総」被害数が、大きなブレなく算定できるのに対し、
>自然災害の「総」被害は、その算定が上下にブレるということ
これも過去の災害データから算定可能だと思うのだが。
今回の災害場合なら、1時間当たりの降雨量や総降雨量から水害対策を立てて、その費用を算出すればいい。
また、被害の幅があるということであれば、対策に裕度を持たせればいい。
交通事故の被害数の算定できるのはそれだけ自然災害に比べて交通事故対策が充実しているからじゃないのかな。
そうした事は、災害対策を充実させる理由にはなっても、やらない理由にはならないと思うが。
>堤防を1m高くしても、その河川が堤防まで水位上昇することがなければ、需要創出以外の効果は0となる
この論理で行くのなら、過去に交通事故があって信号を付けたけれども、その後事故が起きていないからその信号は無駄だったということができてしまう。
他にも、阪神淡路大震災以降建造物に必要な耐震強度が引き上げられたが、
あなたの論理ではこれも過剰で、効果が無いと言うことになりかねない。
今回の例でも、災害対策を予め行ってきたところは、被害が少なかったという記事をこのスレでも見たが、
これらの対策も交通事故同様、過去のデータや予測を元に行われていて、
そういうものを見れば、交通事故対策同様、災害対策も可能であると言えるのではないかな。
そうした災害対策で得られた効果が費用対効果の面で無駄だと言うのであれば、仕方が無いなと言うしかないね。 >>521
でも、今の自民党は、従来型の公共事業しかやってないよ >>523
見るからに藤井は冷遇(半ば干)されてるからな >>522
>交通事故の被害数の算定できるのはそれだけ自然災害に比べて交通事故対策が充実しているから
仮に交通事故対策がまったく充実していなくても(ブラックアフリカの途上国のように)、交通事故の死者数はおおむね予想に近似する
これは、自動車というものは近代文明の機械的な営みの一部であるからだ
一方で、近代文明を超越した自然の力に対しては、いかに科学が発展した今日であっても不確実性が著しく高いまま
>過去に交通事故があって信号を付けたけれども、その後事故が起きていないからその信号は無駄だった
Aという一箇所で事故が起こってなくても、他の箇所を探せば必ず事故は起こっている
全体の比較を行えば、信号の交通事故抑止効果を、おおむね正確に予想ができる
対して、自然災害については、日本全国という広い規模で見てもその被害を数量的に予想できない(予想の幅を極めて広く取らざるを得ない)
被害を予想できない以上、防災の効果も算定することができない
>災害対策を予め行ってきたところは、被害が少なかった
たとえば、同一の降雨量であっても、例年の降雨量が多い高知県と、少ない愛媛県では、
常日頃の対策に差異が生じるのは当然であり、その結果として被害に差異が生じる
こと水害に関しては、今回のような豪雨は予想できなくとも、「例年」の降雨量の算出は概ね正確にできるため、
「例年」と「例外」の間の差異が、そちらの言うところの「裕度」に繋がって、被害の差異を生じさせたとまとめられる
いささか極端な言い方をすれば、
例年、雨の少ない地域に、例外的に豪雨が生じれば、被害が出るのは当然のことで、やむを得ない犠牲としての側面がある
100年に一度に備えられるほどの「裕度」を、どこまで人々が許容できるか? 柴山の動画で上がってないよね?
今日は用事があって見れてないんだよな… カリスマが出演したらクロスしてくれるかな?
一人だけウルトラマンをしたりしないかな? >>526
いつものようにあがってないだろうなぁ・・と調べったらあがってた!
【低容量】MX「激論!サンデークロス」片山さつき×藤井聡 米中関税戦争 日本はどうする? 2018/07/15 11:59~
https://www.youtube.com/watch?v=Jt1P9FB-wfA >>528
キター!ありがとう!さっそく今から見ます。 くららは昔の太ってた、少佐みたいな格好の時の方がカリスマ感あったわ >>532
そーそー
今の格好はテレビ映えするだろうが、カリスマ感は薄れる >>516
ノープランと言うより、計画を立てる前に必要性に迫られてる。
計画を立てて、どのような街にするか?という視点よりも戦後の道路整備は
車が走っても埃がたたない、ぬかるみにはまって前進しない、大型車がすれ違えたり
ハンドルを切り返さなくてもカーブを曲がれたりするための道路改良をしないと行けなかった。
後は戦争も影響ある。第二次大戦で軍事施設や軍事工場だけでなく、都市全体を空爆して破壊された。
戦後はその影響から内務省から独立して復興計画区域が定められ、都市の特色をもった都市集落を目指していたけど
経済状況が厳しくGHQからは『まるで戦勝国』のようだと言われるくらいの緊縮財政のもとからスタートしてる。
本来は50メートル、100メートルの幅員を必要個所として設け、防災や美観を追求し交通量を処理するという価値観よりも
都市の顔としての価値を追求してたらしい。 東京は地下鉄がかなり使用されてるけど他の都市はそうでもない。
大石さんの本で紹介されてるのが東京駅と名古屋駅の比較
起点液を除く全駅(A) 200円以内で行ける駅数(B) 割合(B/A)
東京駅 東京メトロ 118駅 83%
名古屋駅 名古屋市営地下鉄 11駅 13%
これは戦後と言うより明治時代の岩倉具視や大隈重信らが熱心だったというものらしい。
自動車による物流は戦後のものであるが、戦前・戦中の日本の物流・移動の中心は鉄道整備だった。
そして東京の地下鉄は大きなインフレを経験する前からの路線が多く値段が低く設定されており
1957年が最初の供用であった名古屋の地下鉄は建設年次が新しい路線が多い事もあり割高な料金設定になってる。
戦前・戦中の地下鉄建設に費用を回したことが東京の充実した交通ネットワークを作っている 投稿が二つに分かれます。すまない。
>>525
>>過去に交通事故があって信号を付けたけれども、その後事故が起きていないからその信号は無駄だった
Aという一箇所で事故が起こってなくても、他の箇所を探せば必ず事故は起こっている
あなたの堤防の例の1mというのは、全ての箇所を1m引き上げるという意味なの?
堤防を1m引き上げた方が良い場所もあれば、別の対策を講じた方が良い場所もあるんじゃないの?
>被害を予想できない以上、防災の効果も算定することができない
過去の被害データなどから、個別に災害対策を講じていけば、費用対効果は算定できると思うのだが。
仮に交通事故の方が正確であるとしても、過去の災害データから基準を作って、それに基づいて費用対効果を算定することは可能でしょ。 >>537
>堤防を1m引き上げた方が良い場所もあれば、別の対策を講じた方が良い場所もあるんじゃないの?
それこそ、今回の豪雨における、高知県(太平洋岸)と、愛媛県(瀬戸内)の違いが当てはまるものだった
「過去の予測」に基づいた「合理的判断」として、高知県と愛媛県を比較すると、高知県のほうで熱心な水害対策が行われていた
その結果として、高知県のほうが被害は少なくなった
愛媛や岡山の死者は、この合理性によって切り捨てられた人々であると言える
>仮に交通事故の方が正確であるとしても、過去の災害データから基準を作って、それに基づいて費用対効果を算定することは可能
その基準の振れ幅の範囲が、交通事故に対し、自然災害ではあまりにも大きいという差異がある
もちろん自然災害でも、その種類によって振れ幅が異なるけど、
日本列島における最大の自然災害と想定される、地震・津波・火山の複合被害については、それがあまりにも未知数 東京は地下鉄がかなり使用されてるけど他の都市はそうでもない。
大石さんの本で紹介されてるのが東京駅と名古屋駅の比較
起点液を除く全駅(A) 200円以内で行ける駅数(B) 割合(B/A)
東京駅 東京メトロ 118駅 83%
名古屋駅 名古屋市営地下鉄 11駅 13%
これは戦後と言うより明治時代の岩倉具視や大隈重信らが熱心だったというものらしい。
自動車による物流は戦後のものであるが、戦前・戦中の日本の物流・移動の中心は鉄道整備だった。
そして東京の地下鉄は大きなインフレを経験する前からの路線が多く値段が低く設定されており
1957年が最初の供用であった名古屋の地下鉄は建設年次が新しい路線が多い事もあり割高な料金設定になってる。
戦前・戦中の地下鉄建設に費用を回したことが東京の充実した交通ネットワークを作っている >>538
問われているのはその数字の妥当性
もちろん、専門家集団が努力して出した数字であるから、個人的に一定の敬意は払うけれども、
いかに専門家と言えども、こと自然災害については、その予想の正確性にかなりの振れ幅が生じるのは、過去の例が示している
より大きな数字になるかもしれないし、より小さな数字になるかもしれない
>裕度以前に決められた対策ができていないこともある
これは問題ではあるが、いざ事が起こってから「対策ができてなかった」と悔やんでも手遅れ
貼られている記事内容は、事前に対策不足の警鐘を鳴らすものであるのだけど、それが社会に浸透していてなかったことは間違いない
政治力学上の問題もあるが、人間の心理的な問題(たとえば正常性バイアス)が、不確実性の強い問題には働きがちになることで、事前対策が不十分となっている可能性が高い
そして、人間は、「自らの怠慢」によって被害が拡大したことを受け入れられないから、「運命」として被害を受容し、精神の安定を図ろうとする 災害にしても財政破綻にしても人間が未来を予測できるなんて傲慢でしかないよ >>542
その考え方は、スクラップ・アンド・ビルドに結び付くわけだな レッセフェール←新自由主義
↓
大恐慌←フィナンシャルクライシス
↓
通貨安戦争←非伝統的金融政策
↓
保護主義←今ここ!!
↓
ブロック経済←次ここ、日欧EPA、枢軸国入り
↓
WW2!←WW3! >>541
今回の被災地には、大きな砂防ダムがあった
で、 「 砂防ダムがあるから逃げなくてもいい 」 と慢心して、逃げ遅れて死んだケースが出てる
こういう場合も想定しないといけない 311でも同じケースが多発してんだよ
「避難所にいればいい」と思い込んでしまい、避難所ごと津波に巻き込まれた人が多かった
防災インフラなんて、すでに日本中に山ほどあるんだが、それは、むしろ 「 油断/スキ 」 を与えてしまう場合が多い
これは実証されてる事なのに、藤井とかは、こういう現実を無視するからな >>546
嫌、藤井は滅茶苦茶指摘してるよw
杖を例にだして、道具に頼ってしまう人間として。
だからこそ、片田さんとの対談で教育も大事と言ってるし。
むしろインフラの整備が怠慢を呼び、被害が大きくなることも視野に入れたうえで
物理的なものと、最終的には主体として動くしかないことも言ってる。
そこにハイデガーを言及して本来的人間(死を意識する)を語っていた。 >>545
それは、行政と住民の間で、事実の共有ができていなかったのが問題
あらゆる防災設備というのは、一定の「基準」に沿って作られる
降水量100mm/dayに対応できる基準によって作られた設備は、200mm/dayには対応できない
これは至極当然のことで、平時に考えれば、小学生でも分かる話
しかし、実際には、こんな簡単な話を理解できずに、たくさんの人が死んでいく
これは、もっぱら心理学上の問題である >>546
そこは逆の場合も考えておく必要がある
「防災設備が存在しなければ、慢心せず人は逃げるか?」
まったくそんなことはなくて、設備がろくすっぽない昔の日本や、現在の途上国では、とにかく人が死にまくる
人間というものは、設備があろうがなかろうが、「非日常」に対して、合理的な対応を取りにくいようにプログラムされている
もちろん、教育や啓蒙によって、このバイアスを克服し、被害を軽減することは不可能ではないが、
人間の内側の性質を変えることは、人間の外側の環境を変えることより、遥かに難しい そもそも自然災害に対して被害者を0にするのはかなり幸運じゃないと無理だからね。
勿論、行政はゼロを目指すべきだと思うけど、行政だけでは無理だし
防災教育にしても一定の強制力を働かせて徹底的に行うなどしないと難しいだろう。
それでも0は不可能に近い。なにをしても何かしら問題は出てくる。
常に後悔し過去から学んで少しづつ改善していくしかない BSNHKで面白いのやりそうだぞ
欲望の時代の哲学だって 公共事業で中抜きしまくってる亀井静香やチン太郎のようなゴミがいるから
ぶっ壊れるダムしか作れないんだよ
それでも欧米の約2倍の費用ぶっこんでるのに >>552
マルクス・ガブリエルか
若手の有名な哲学者だよね
名前は知ってるけど、何を言ってる人か何もしらないw >>541
>問われているのはその数字の妥当性
あなたは、被害総額が算定できないことを防災効果が計算できない理由に挙げていたのだから、この言い分はおかしいよ。
仮にこの数字の妥当性が疑われるのだとしても、それを元に費用対効果を算出して災害対策を行う事は非難されることではないよ。
それと、過去の災害については、被害総額が出ているので、それを元に費用対効果を計算して防災対策を講じることができる。
今現在ある知見に基づいて、何らかの対策を講じることは可能だし、必要だと思うけどね。
>これは問題ではあるが、いざ事が起こってから「対策ができてなかった」と悔やんでも手遅れ
たから、災害が起きる前に対策をすべきだと言っていて、それを数字で表したものもあると言っているんだが、
数値の妥当性が問題になるんだよねw
この下水道や堤防の対策にしても、あなたの立場なら災害における数値の妥当性から、否定してくれなければおかしいのだが。 >>553
もちろん中抜き等の存在による、「不正なコスト」については、大いに指摘されるべきであるが、
公共事業費について、海外と比較する際には、その前提条件についての検討も必要
たとえば、同じ距離の道路、同じ高さの堤防、同じ大きさの建物を作るにしても、
地形や建設基準によって、そのためのコストは大いに異なってくる
簡単な話、地震が起きない広大な平野と、地震だらけの山岳地帯では、どちらでコストがかかるかは、自明
これは、仮に、公共ではなく民間企業が事業を行うにしても、避けられない点
日本という国は、不幸にも、(土建分野における)地理的な条件が著しく悪いということは、頭に入れておかなければならない
くわえて、土地取得という、歴史的な問題も合わさってくるのが、コストの肥大化に繋がっている
その点、中国という、主要地域がほとんど平原で、土地取得も容易な隣国について、ときどき羨ましく思うことはある 中国が21世紀の国家モデルのベースになるのは確実だよ
これまで主流だった経済学は、元を辿ればイギリスがルーツだが、イギリスは完全に落ち目だからな >>557
まさしく大石さんが指摘してる処だね。
後は土地の細分化などであまりにも多くの人の土地所有の利害関係が多すぎるとか。
羽田空港とシャルル・ドゴール空港での土地細分化と所有者の数の違いなど。
土地の性質もそうだしね。マンハッタンの地盤がいかに強固なのか。
そして日本の基盤がヒビが無い処がないと言うほどヒビが多かったりする
他にも一級水系などで事細かく地域が分かれ、川が短く雨の影響を物凄く受けるとか
気候そのものが降水量が多い地域だとか、なのに川が急激なので上手く使用できないとか
あまりにも環境が違いすぎるという事実を無視しては何も始まらないからね。 アメリカって、ロシアと中国の成長を邪魔することしかしてないんだよね、今のトランプもそうだし
中東諸国やアフリカ南米の独立も、借金漬けにして阻害してる
バブル前の日本にも同じような事したが
その時時の 「 自分たちの覇権を揺るがす国の成長を邪魔する 」 のがアメリカの思想
ようは、大英帝国の失われた野望を、2世紀〜3世紀遅れで後追いしてるだけであって
あんなのに付き合ってたら、いつまでも次のステージに上がれないのよ >>556
>被害総額が算定できないことを防災効果が計算できない理由に挙げていた
これはこちらの書き方に問題があったかもしれないが、こちらの言わんとするところは、
自然災害の被害が「まったく算定できない」ということではなく、「その振れ幅が(たとえば交通事故に比べて)著しく大きい」という点
危機のカテゴライズとして、確実性が高く制御が容易な危機と、確実性が低く制御が困難な危機があるとまとめられる
前者には、既に挙げている交通事故や、癌や生活習慣病のような既知の病があり、
後者には、自然災害、未知の病(パンデミック)、あるいは戦争がある
指摘したいのは、この異なる二つの危機は、同一の思想軸によって対処できないという点
前者については、科学的な、単なる費用対効果の分析で概ね対処可能だが、
後者については、科学の制御が及びきらない関係、より根源的で、抽象的な人間精神が問われる複雑な対処を必要とする
たしかに、不確実性の高い自然災害や戦争に対しても、ある程度の試算を出すことは可能だし、その努力は必要だが、
その試算をもとに制御を試みるという姿勢について、どうにも科学万能論的な趣を感じてしまい、肯定しがたいものがある
より突っ込んだ言い方をすれば、防災は費用対効果といった科学的な文脈、言い換えれば「どのようにあるか」という文脈において語られるよりも、
「どのようにあるべきか」という、人間、または国家の価値規範の中で語られるべき課題ではなかろうか 防災云々言うのはいいが、公共事業増やしても地方は活性化しない
そういう 「 ありもしない夢 」 をデッチ上げ始めてる事が、将来的に禍根を残すと思う
「言ってたことと違うやろ」という話になるからな 今回の災害は 「 ダムがあったのに起こった 」 これを忘れてはいけない
土石流が治山ダム乗り越えて住宅地に 広島 安芸区
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180713/k10011531641000.html
「治山ダム」から土砂あふれ被害か…広島市安芸区の梅河団地
https://www.sankei.com/west/news/180713/wst1807130106-n1.html
もはや、防災目的で公共事業を拡大しろ、というレトリックは使えない 忘 れ て は い け な い
ダ ム は ム ダ だ っ た ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています