>>757
後醍醐帝のようなあまりに直接的な権力保持者は例外的であるけど、
平安時代まで、実態として天皇は最高統治者(+貴族の合議機関の輔弼)であり、
院政期を挟んで武家政権が成立してもなお、天皇権力が形式的に尊重された
実態としての権力を持つ武家政権であっても、武家による宮中への介入は限定的となっている

徳川政権初期に、京都と江戸の間で激しい駆け引きがあって、それは譲位をも引き起こしたが、
結果としてこれは京都の敗北に終わって、禁中並公家諸法度を受け入れる形となる
実態として天皇が蔑ろにされていたからこそ、江戸中期から国学思想が強く広まり、尊王運動という形に収束していったのだ

明治から昭和前期にかけては、文言上は天皇親政、実態はお飾りという極めて矛盾したものになっており、
過度な神格化という要素も加わって様々な禍根を残したことは、そちらの指摘する通りであろう

しかし、昭和後期からの天皇像もまた、極めて独特のものである
平民とも親しく交際した後白河は、同時代からも厳しい非難を受けている
天皇は神ではなくとも、聖なるものであり、それが平民となんら変わらない存在であってはならないというのが、
基本的な認識として共有されるべきであろう