>>5
>僕が興奮したのは、静かな気持ちで自分が首を吊るロープに滑りやすいように
>石鹸を塗り、それで平然、粛然と死んでいくという、ある種の近代合理主義の恐ろしさ

「悪霊」に登場する宏量(度量の広い?)なキリーロフは
自身の自殺を全人類に捧げる神への死刑宣告と位置付けて拳銃自殺をした
ようするに死に対してロマンティックな美化があった
スタヴローギンの場合はそういう美化を一切拒否して
まるで電灯のスイッチを切るかのように自殺した

死ぬために死ぬがそこに意味はない
なぜ死ぬのか?と言えば生きることに意味がないから
という単純な理由によりそれを証明するためにああいう醜い死を選んだ

西部の場合は死を美化するわけでもなければ生を否定するものでもない
あの死にざまから読み取るものや教訓はない
しかしそういう形を選んだのも西部の思想であり
そういう意味ではきちんと完結したものであった
まあ、オランダのように安楽死が認められていたら
そちらの方を選ぶと思うけど