西部邁 追悼 25
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西部が西洋の保守思想を学んだかというと、それもあやしい。
なんせ西洋(アメリカ)の保守知識人というのはレオ・シュトラウスみたいな奴を言うわけで
これは日本でいうと福田恒存でもないし小林秀雄でもない。強いて言うなら安岡正篤が近い。
シュトラウスの推薦文(米大学への)を書いたカール・シュミットも自宅に中世の稀覯本をためこんでいた。
中世の文献を解読しながら書くわけで誰も追随できない。
ニュルンベルグ裁判で訴追されて自慢の蔵書が没収されてからはやる気をなくしたと言われる。
ハイデガーもそんな感じだろう。西洋は西洋で怪物みたいな知識人が自分たちの文化を掘っている。
そんなところに日本人が入っていったって真髄がつかめるはずがない。
だからこう考えたらいいんじゃないのかな。
例えばシュトラウスの孫弟子のF・フクヤマ。彼はアラン・ブルームの門下生として学んだ後に渡仏し
ヨーロッパ現代思想に触れたのだが(その時の同窓生がJ・デリダ)、それに幻滅し、帰国して国務省に入った。
つまりアメリカ人だったので米国務省という世界を動かす組織で、哲学を政策として実行することができた。
米ネオコンについてもいえるが、ある種の知行一致が行われるわけだ。
日本人の西部の場合はそれは無理である。世界的な思想を学んでも日本は世界的なパワーじゃないから。
それで(誰かがレスに書いているが)どちらかというとポストモダン思想の方に行く。
朝生のスターにだった頃の西部のスタイルはポストモダン的な文明批評だった。 >>439
>右翼は天皇や日本を信じて疑わない天皇教、日本教の信者だと言ってたな。
>日本への言及が足りないというのも日本への信仰が足りないと言ってるようなものだと
しかしその程度の捉え方では
後に討幕思想にまで発展する後期水戸学や
実態においては社会主義思想である
昭和初期の皇道派の革新思想を料理することはできない
西部の手法は現実社会をあくまで西部個人の主観で裁断するのだが
実際の政治はそういった主観の抗争や誤解、
そこから派生する不測の事態が絡み合って動いていく
政治や歴史に関する西部のコメントには非常に凡庸な
たとえば色川大吉あたりが言う様な民主史観と
変わらないような主張が見られる
一例を挙げるのなら「日本は鎌倉時代から民主制だった」とかね たとえば西部が賞揚するオルテガの思想では
東洋と西洋とを分かつものとして理性が挙げられる
この場合の「理性」とは静態的かつ絶対な理念を最終とするギリシア的思考と考えてよい
オルテガの保守思想では歴史や伝統に基づく
旧習墨守の態度が東洋的停滞(と調和)の原因であり
理性に基づく旧習打破の姿勢こそがヨーロッパ的特徴であり優越性だとされている
ただし、近代市民社会において生じる理性と生の分離や
そこから派生する文化の大衆化によって社会停滞と人間精神の堕落がもたらされているので
この原因である「理性」を目的ではなく道具と再規定することによって
劣位にある生の復権と理性の更改を試みている
このオルテガの発想は生の哲学(意志主義)であると同時にプラグマティズムに近く
80年代日本で流行したフランス現代思想にも通じる発想でもある
マスコミ言論人として登場した西部が
中曽根康弘の新保守主義路線とも非常に親しかったのは偶然ではない
当然、伝統墨守の保守思想や右翼とも合うわけがない オルテガによる原脱構築ともいうべき
パースペクティブ(遠近法的主観主義とでもいうか)手法と
西部が名前を挙げるイギリス保守主義が親和関係にあるとは思えない
実際、西部は「経済倫理学序説」の序で
「もはやヒューム的懐疑主義的保守は不可能だ」と述べている
たしかにヒュームの懐疑主義とは理性に基づく計画主義(と破壊)を退け、
と同時に旧習やそこから導き出される法則も類似性に過ぎないとしているのだが
暫定的な道具として信じるのなら否定まではしないわけだ
この態度によると旧習遵守(社会的安定)と更改(つまり進歩)
というゆとりが思想的に確保される
しかし理性主義に基づく既成秩序破壊を前提としてその理性の破棄を考える
西部流保守主義ではこのバランス感覚が(意図的に?)見落とされる >>448
旧習打破っていうのはヨーロッパというより、フランス的なものじゃないのか?
西部がオルテガを持ち上げるのは理解に苦しむが、西部の原点はどう見てもフランスやスペインじゃないだろう
福田恒存の弟子を自認しているところからして、イギリス的経験主義だ
福田のスタンスは平衡感覚、この一点
福田にしろ西部にしろ何を目指してるのかよくわからないところは、まさにイギリス流だな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています