倉山スレで西部の権威を借りて藤井やダンスや三橋の経済理論にまでこれを機にケチを付けようとしてる魑魅魍魎は人間的に終わっているが
確かに桜討論で西部の中規模の税負担と三橋やら藤井やダンスのデフレ脱却してゆるやかなインフレや成長軌道後のアクセルとブレーキのバランスという認識の差異は最期まであったろうが
西部は経済における専門人、specialty 、specialistとしてのこだわりなんてとうに捨てていて総合人であろうとしたからそんなのは大きな意味はないんだ
藤井も西部の朝生からの発言者塾だか西部塾からの古い付き合いでダンスも親子二代東大時代の師弟関係からでそれぞれ通夜や葬式にも呼ばれているし
自殺や自死自体として歴史になったことを伝説や美化、個人崇拝、にしてはいけないのであって酒を酌み交わしユーモアと総合性を共有した関係に引き継ぎ
土建オンリーという批判も軽い。
現在の日本の軽さ、衰退、中身のなさの化身、権化である安倍が最期の場にしゃしゃり出てくるというのがまた皮肉であり個人的には強い不快感と嫌悪感があるが
この崩壊日本の象徴である政治のリーダー安倍がその社会や矛盾の中で苦悩し抗い続けた最期の見送りにも出しゃばるという強烈な皮肉は
西部さんなら最大のジョークとして笑い飛ばすのであろうし
遺族の方も許容されたのであるから。
安倍を倒してもMassや政治家、この社会全体が安倍コピーみたいなのが大量にいるのであるからして宇宙や世界はジョークなのである