>>723 (続き)
 この事態に安倍は激怒。この件の担当ではなかったものの、韓国に豊富な人脈を持つ杉山に事態の収束を託し、杉山は、
韓国に乗り込んだのだった。
          …(略)…
 さらに別の課題もあった。日本の歴代政権は慰安婦問題について「道義的責任を痛感する」との言葉を使ってきた。だが、
日韓慰安婦合意を表明するにあたり韓国側が「法的責任」の文言を入れることを主張。両国の間で鍔迫り合いが続いた。
          …(略)…
 そのような状況下で、十一月二日には日韓首脳会談が行われた。実に三年半ぶりのことだ。…(略)…
 後に安倍に聞いたところ、この首脳会談でお互いにかなり踏み込んだ発言をしたという。
          …(略)…
 この時、安倍は、韓国の外交当局者たちに比べて、大統領である朴の方が遥かに覚悟を決めているとの印象を受けたという。
 最終的に「法的」や「道義的」などの文言は付けずに「日本政府は責任を痛感している」との表現で解決を図った。十二月
二十八日、安倍は当時の外務大臣だった岸田文雄を韓国に派遣し、尹炳世外交部長官との共同記者発表の形で、日韓慰安
婦合意を発表した。
 その後、この合意に辿った経緯はよく知られている通りだ。
          …(略)…
 冒頭にも書いたように、第二次政権では、現実的な政策や外交と、保守陣営からの意向をバランスよく収めるのに苦慮する
場面も見られた。慰安婦合意の際には右翼団体が、安倍の自宅まで街宣を掛けている。また、合意直後には支持層から
首相官邸に十数万件におよぶ抗議メールが殺到したという。
          …(略)…
 安倍が幹事長代理や官房長官だった頃、小泉純一郎が「いかなる批判があろうと必ず参拝する」との公約通り、毎年、靖国に
参拝をしていた。そのため中国や韓国から猛烈な反発を招き、一時は首脳会談も途絶え、関係は冷え込んだ。日本国内でも
「中国や韓国が反対するのは内政干渉だ」と声を上げる人も増えていた。
(続く)