>>722 (続き)
 それはつまり、慰安婦をめぐる表現への指摘を意味した。最終的に談話には「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられ
た女性たちがいたことも忘れてはなりません」や、「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が
深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、…(略)…」といった文言あ記載されたのだった。
 談話発表の翌日八月十五日に、朴は「(慰安婦に対する)謝罪と反省を根幹とした歴代内閣の立場が、今後も揺るぎないと
国際社会に明らかにした」と評価する発言をし、一気に双方歩み寄りの機運が高まった。
          …(略)…
 この過程と同時並行して、実は水面下では度重なる「秘密交渉」が行われていた。日本は谷内正太郎安全保障局長、対する
韓国側は李丙琪大統領秘書室長。この二人が約一年にわたり計八回もの交渉を重ねている。
 一五年四月には「アドレフ合意」 と呼ばれる本国の了解を前提とした、担当者同士の暫定的な合意も結んでいる。この時
すでに、「日本政府は責任を痛感し、お詫びと反省を表明する」「日本政府の予算(後に十億円に決まる)で財団を設立し、
癒し事業を行う」「韓国政府は日本大使館前に設置された慰安婦像の移設に努力する」「両政府はこの問題が最終的かつ
不可逆的に解決されたことを確認する」「両政府はこの問題について互いに非難することを控える」など、同年十二月の正式な
合意で表明された論点は出揃っていた。
 だが、正式合意に漕ぎ着けるまでには紆余曲折があった。
          …(略)…
 この年の五月、日本は軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録を申請していた。だが、韓国が
「戦時中に朝鮮半島出身者が強制労働をさせられた」 と登録に反発。慰安婦問題とは別に両国の間で軋轢が生じていた。
 登録にあたって日本が提出する声明文書に、韓国は、違法性を示す「forced labor(強制労働)」の表現 を入れるよう主張。
その後の交渉で日本側が譲歩し「forced to work」 と記載することで合意していた。だが、六月末に韓国側が提示した草稿に
再び「forced labor」 の表現が入っていたのだ。日本政府は衝撃を受けた。土壇場になって卓袱台を引っくり返された形だ。
(続く)