少し長い引用ですが、以下の部分は小名木男爵が文芸作品をご自分の金儲けのための道具としか考えてないと言うことが良くわかります。

引用
番組の構成は、たとえばはじめに若い女性が野原の景色を観ている後ろ姿が出てきて、それを俳句にし、できた句の優劣を競うというものです。
俳句や和歌の楽しみ方は人それぞれとはいえ、あまりの情けなさに、日本の文化をいったいどこまでおとしめれば気が済むのかと、とても残念な気持ちになりました。

俳句を、単に五七五の形式と、言葉の技巧ばかりとしてしか認識していない。
他のことでもよくあるのですが、要するに形式(かたち)だけで、中身がまるでわかっていない。
韓流は、なんでも日本の真似をしたがりますが、毎度のこととはいえ、外観上の形だけです。中身がない。

もちろん、句に、うまい下手はあります。
子供の句と大人の句、素人の句と玄人の句では、やはりできが違います。
けれど、大切なことは心なのです。
つまり、詠んだ人が、どのような心象風景や、気持ちや思いをその歌に託したかが大事なのです。

その意味で、番組の構成が間違っているように感じました。
先にシーンを見せていますが、それは先にクイズの問題の答えを示しているようなものです。
先に答えを見せておいてから、問題を提示し、問題文の優劣を競っているわけです。
それではまるで俳句の意味がありません。
引用終わり

小名木男爵がご覧になった俳句講座は、俳句を作る人のための演習編的な講座でしょう。俳句講座を見る人の多くは、そのように自分で俳句を作りたからみているのですが、男爵は俳句をツールに用いてご自身のノウガキを信者に押し付け、目からウロコと言ってもらうことしか考えていません。
ですから俳句を作るための講座などというものがあることがご理解になれないのです。

ご自分がご理解になれないものを罵倒するのは男爵の常ですが、更に男爵は先生のやり方異議を唱えることによって自身のエゴを満足させ、クラスの出来ない連中の喝采を浴びるツッパリ中学生のようなスタイルで、信者を引き込むために講座を罵倒しておられます。

"けれど、大切なことは心なのです。" というお言葉には、"男爵、詩はイデーではなくて、言葉でつくるものなんですよ" とお答えしておきましょう。