国旗、国歌、軍歌、「教育勅語」、「天壌無窮の神勅」、御真影、修身、靖国神社、八紘一宇――。
「戦前っぽいもの」をカット・アンド・ペーストして、なんとなく愛国的な世界観を作り上げる。戦後、そんな「二次創作」がなんども繰り返されてきた。

8月15日に靖国神社に行くと、旧軍の軍装をしたひとびとの姿が目につく。外見からして、あきらかに旧軍の元軍人ではない。
高齢者の場合も、不自然に階級が高かったりする。つまり、かれらのほとんどは、民間人の「コスプレ」である。
これら架空の軍人たちは、くたびれた軍服に、しばしば高級な階級賞をつけ、エリートの象徴である参謀肩章や天保銭を帯びている。
そして軍旗を掲げ、軍刀を抜き、境内を練り歩いている。その異様な光景は、一度見たらけっして忘れられない。

もっとも、かれらはふざけているわけではない。むしろ軍装や行進を通じて、靖国神社や戦死者に対して崇敬の念を示しているらしい。
だからこそ、これまで許容されてきたのだろう。こうした終戦記念日の光景もまた、戦後特有のものである。民間人(子供など一部の例外を除く)が
軍人のコスプレをして靖国神社を参拝するなど、戦前であれば考えられなかった。

グローバリズムの時代、国民国家というシステムをいかに無理なく保守・管理・運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、
こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。これからの時代に対応するためには、「戦前っぽいもの」のパッケージを解体し、国民国家に関する教育の
再構築を行わなければならない。戦前の模倣やネタでさまざまな教育問題が解決するのであれば、こんな楽なことはない。

だが、そんなうまい話があるわけがない。

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