聖書では、キリストが何か犯罪を犯して上手く罰を逃れるのが語られる、
その犯罪を、絶対の神が許して無かった事にされるのが常だ。

最後の十字架の話も、ユダが奔走して身代わりを見つけ、それで、
罪を逃れた話と考えると、矛盾点は解消される。