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☆★☆三島由紀夫の主義・主張★☆★
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0439ナナシズム
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2011/02/22(火) 19:50:38.07ID:XXgmUw+o
(中略)
ところが、核兵器が発明されましてからモラルと兵器といふものが無限に離れてしまつた。といふのは使へない
からです。我々は人間が使へない武器を持つた時に、人間の思想と道徳の問題が最大の危機に直面したといふ
ふうに私は考へる。といふのは、使へない武器は恫喝にすぎませんから、恫喝によつて、どんな嘘も可能になる。
例へば膨大な核基地が何処かにあるといふことが、察知されますと、敵側からスパイを派遣してこれを察知するでせう。
あらゆる方法で情報を集めてこの核基地の所在を発見しようとするでせう。ところがこの核基地の所在が本当は
無くてもいいんです。無くても絶対ここにあると信じれば充分恫喝になるのですから、核兵器といふものは、
最終的にいへば、無くてもいいんです。あるぞといつてゐるだけで嚇かされるんです。勿論昔の法科をお出に
なつた方は、秋刀魚をもつて強盗に入つた場合に、強盗に入られた方がこれを凶器だと思つて間違へて金を
出した場合、これはどうなるのだといふ問題を出されたと思ふのです。

三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
0440ナナシズム
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2011/02/22(火) 19:52:56.68ID:XXgmUw+o
これは刑法上昔から錯誤の問題として出される珍問題の一つですが、核とは秋刀魚と同じやうな形をもつてゐる。
持たなくても持つてゐると嚇かすだけで効果がある。この場合には、核といふものはつまり心理的な武器になり、
人間の心理に嘘をつかせる、そして嘘であつても、とにかく恫喝されるといふ目的が達せられればいいので
ありますから、証明するやうな材料が最終的に無ければ無い程有利であるわけです。
これは、沖縄問題で非常によく出たと思ふのであります。といふのは佐藤さんがアメリカにいらした時に、沖縄の
核兵器の基地を撤去するかしないかの問題を新聞記者会見でつつこまれました。この問題についてはわれわれは
両国間の暗黙の腹芸としていへないとおつしやつた。これは勿論です。いへないことが核兵器の面白いところです。
もし、これが普通の武器でしたら使ふ武器ですから、ここに日本刀が三挺あるぞ、ここに機関銃が三挺あるぞと
いつた方が有利なはずです。それなのにいへないところに核の面白さがある。

三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
0441ナナシズム
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2011/02/22(火) 19:56:32.51ID:XXgmUw+o
ここで私は武器と魂、武器とモラルといふものの結び付きが非常にこはれてきた、それと同時に国民精神といふ
ものに対する影響が核によつて非常にマイナスに働いてきたと思ひます。といふのは国民精神といふのは正直な
ものです。国民が一心団結して火の玉になつて敵国にあたらう、あるひは国を守らうといふ時には、それの
よりどころとして日本には昔、日本刀があつたんです。あるひは、アメリカには、フロンティア・スピリットが
あつてピストルといふものを彼等は持つてゐます。そこに己の存在をかけますから、おれは命をはつてもこの
モラルを守るといふやうな気構へがある。しかし、あるかないか分からんものに対して、どうして人間はモラルを
かけることが出来るか。自分の全生涯をかけることが出来るか。そこに国民精神分裂の一つの原因とモラルの
退廃が潜んできた。
そこに参りますと、コンベンショナル・ウェポンといふものの戦略上の価値をもう一つ復活すべきではないだらうか。

三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
0442ナナシズム
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2011/02/23(水) 16:50:07.42ID:48Ub0gg0
人民戦争理論でなくて核でなくて、日本が闘へる、しかし一歩も日本によせつけないといふものを考へますと、
これは、私は英語を使つたコンベンショナル・ウェポンでなくて、日本には日本刀といふものがあるではないか、
日本刀で充分だと云ふ考へに到達せざるを得ない。私は、かういふのは単に比喩としていつてゐるのであつて、
日本は、日本刀だけで守れるとは限りませんから、五十歩百歩と云ふことを考へれば、たとへ非核ミサイルを
持つても、地対地ミサイルを持つても、地対空ミサイルを持つても、核でないから日本刀と同じことなのです。
全く同じことなのです。それならば日本刀の原理といふものを復活しなければ、どうしたつて防衛問題の根本的な
ものは出てこないんです。(中略)使へる武器だけを持つてゐるのは日本の利点だと考へなければいけない。
(中略)そしてここにつまり武士と武器といふものを、武士と魂とを結びつけることができなければ、日本の
防衛体制は全く空虚なものになつてしまふ、といふところが私の考へてゐる最終的のところです。

三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
0443ナナシズム
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2011/02/23(水) 16:51:30.37ID:48Ub0gg0
さて、武士といふものはどういふものか。私は、中曾根長官が就任されたとき、又聞きですから、軽率な判断は
慎みますが、自衛隊は一種の技術者集団である、そしていはゆる武士ではない、などと仰せられた様に仄聞して
をります。私の間違ひだつたら訂正致しますが、とんでもない話である。もし自衛隊が武士道精神を忘れて、
いたづらにコンピューターに頼り、いたづらに新しい武器の開発や、新しい兵器体系といふ玩具に飛びつくことに
よつてしか日本の防衛が考へられないやうになつたら、その体質において自衛隊には超近代軍隊といふものが持つ
非常な欠点が表はれる。それは軍の官僚化といふこと、次は軍の宣伝機関化だといふことだ。そしてかういふことは、
各国の軍隊で非常に困つてゐることでありますが、さらにもう一つ、軍の技術者化。この三つが問題です。(中略)
そのテクノクラットは、このテクノクラシーの社会でなんら軍人といふ意味をもたないのです。大会社の実験を
やつてゐる技術者と軍隊で一番新しい兵器を開拓した技術者と、スピリットとしてちつとも変わらないものになる。
そこに産軍合同の理念があるわけです。

三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
0444ナナシズム
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2011/02/23(水) 16:52:55.06ID:48Ub0gg0
もう一つは、軍のパブリシティといふもの、軍の秘密主義からなるたけ国民にパブリサイズすることとなれば、
軍の主張は必然的に大衆社会に追随することになりますから、いつまでたつても、軍といふものは、男性理念を
復活することができなくて、益々、おふくろ原理に追随しなければならない。もう一つ軍の官僚化といふことは、
軍が戦争しないうちに、あくまで、軍の秩序維持といふことに、頭を労してゐるうちに、シビリアンコントロールが
いきすぎて、軍の体質といふものが、野戦の部隊長といふものを生まなくなる。あくまでも、この静かな奇麗な
官僚機構の中の一環になつて、これは、政府には、非常に喜ばしい傾向かもしれませんが、武士としては、野性の
欠如した、非常に上官にペコペコするやうな、全く下らない人間が出来上る。そして、単なる戦争技術者になつて
一切スピリットが無くなる。このスピリットが無くなる空隙を狙つて、先に申し上げた共産勢力といふものは
自由自在に入つてくるんです。

三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
0445ナナシズム
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2011/02/24(木) 10:38:58.04ID:xP61fxpz
(中略)
よく外国人の記者からいはれますが、私は、小さな会などをやつてゐますから、お前は日本に軍国主義が
復活するのを鼓吹してゐるのではないか、軍国主義を鼓吹するために、さういふ事をやつてゐるのではないか、
といろいろいはれるんです。私はいつも、それについて申しますのは、武士道と軍国主義といふものを、一緒に
扱つたのがアメリカの占領政策の一番悪い処である。アメリカ人は、日本が負けた時に、武士道精神をもつて、
日本の武士道に対する敬意だけを残すといふことを遂にしなかつたではないか。彼等は、日本の武士道と日本の
末期的な軍国主義とを全く同一視した。そのために、剣道もやらせなくなつた。そして、まあ一時は歌舞伎ですら、
非常にこの復讐劇や、侍の精神を鼓吹したやうな歌舞伎はやらせなくなつた。
彼等は、外国人だから、仕方がないけれども、日本の武士道といふものは、軍国主義と如何に背反して悲劇的な
結末にいたつたかといふことを、歴史的に無視したからだといふ風にいつも説明するのです。

三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
0446ナナシズム
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2011/02/24(木) 10:39:59.53ID:xP61fxpz
私が外人に説明しますことは、乃木大将をもつて、日本の軍における、武士道といふものは、一応終つたんだ、
といふ風に説明するんです。(中略)私は、外人に極く概略的に説明しますことは、武士道と云ふものは、
セルフ・リスペクトと、セルフ・サクリファイスといふことが、そして、もう一つ、セルフ・レスポンシビリティー、
この三つが結びついたものが武士道である。そして、この一つが欠けても、武士道ではないのだ。もしセルフ・
リスペクトと、セルフ・レスポンシビリティーだけが結合すれば、下手すると、ナチスに使はれたアウシュビッツの
収容所長の様になるかもしれない。何故なら彼としても、自分自身に対する尊敬の念を持つてゐただらう。自分の
職務に対する責任を持つてゐただらう。しかしながら上層部の命令するとほりに四十万のユダヤ人を焚殺したでは
ないか。日本の武士道の尊いところは、それにセルフ・サクリファイスといふものがつくことである。この
セルフ・サクリファイスといふものがあるからこそ武士道なので、身を殺して仁をなすといふのが、武士道の
特長である。

三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
0447ナナシズム
垢版 |
2011/02/24(木) 10:42:02.03ID:xP61fxpz
そしてこの三つが、相俟つた時に、武士道といふものが、成り立つのだ、といふことを、外人に説明するんです。
ですから侵略主義とか軍国主義といふものは、武士道とは始めから無縁のものだ。武士道は、セルフ・リスペクトを
もつた人間が、自分の行動について最終的な責任を持ち、そして、しかもその責任を持つ場合には、自己を犠牲に
すること、一命を鴻毛の軽きに比するといふ気持が、武士道の権化で、これがないときには、武士道といふものはない。
ところが戦後の自衛隊にはこのセルフ・リスペクトといふものが常になかつた。また、セルフ・レスポンシビリティーは
あるかもしれないが、これも官僚的セルフ・レスポンシビリティーに堕してしまつたかたむきがある。第三に、
セルフ・サクリファイスについては、遂に教へられることがなかつた。といふのは、あくまでも人命尊重理念が、
先に立つてきたからであります。

三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
0448ナナシズム
垢版 |
2011/02/24(木) 19:26:53.80ID:xP61fxpz
(中略)
一旦終焉した武士道は、どういふ形で生き永らへたか。私は、軍閥といふものは、一朝一夕で成つたとは思ひません。
これは、やはり山県有朋以来の権道主義の政治家と軍人とが徐々に徐々に作りあげていつたものだと思ふのです。
その中では、セルフ・サクリファイスといふ理念は完全に失はれてしまつた。そして勿論、天皇の軍隊であり
ましたから、セルフ・リスペクトの点については欠ける処がなかつた。あるひは、セルフ・レスポンシビリティーの
点についても立派だつたでありませう。しかし、軍の主流は徐々に徐々に、その権力主義と、ファシズムを
受け入れる体制になりつつあつた。そして、全くこの頑固なセルフ・サクリファイスに生きようとする武士は、
段々辺境へ追ひやられてしまつた、まあ、いい例が、ノモンハン事件ですけれども、ノモンハン事件で、
参謀本部がとつた態度は、完全に責任逃れで、現地部隊長を皆自決させて、自分達だけが、一切責任を逃れて、
出世しようとしか考へなかつた。セルフ・サクリファイスの最後の花は、いふまでもなく特攻隊でありました。

三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
0449ナナシズム
垢版 |
2011/02/24(木) 19:28:50.11ID:xP61fxpz
軍のこれに対して、私に言はせれば、二・二六事件その他の皇道派が、根本的に改革しようとして、失敗したもので
ありますが、結局勝ちをしめた統制派といふものが、一部いはゆる革新官僚と結びつき、しかもこの革新官僚は、
左翼の前歴がある人が沢山あつた。かういふものと軍のいはゆる統制派的なものと、そこに西欧派の理念としての
ファシズムが結びついて、まあ、昭和の軍国主義といふものが、昭和十二年以降に始めて出てきたんだと外人に
説明するんです。私は、日本の軍国主義といふものは、日本の近代化、日本の工業化、すべてと同じ次元のものだ、
全部外国から学んだものだ、と外国人にいふんです。純粋な日本では、さういふものはなかつた。日本の武士とは
さういふものではなかつた。君等がそれを教へたんではないか、(中略)あくまで君等、ヨーロッパ文明の中にある
過酷さが、我々日本を毒したのではないか、我々日本の純粋の武士の魂の中にさういふものはなかつたんだと
いふことを口を極めて説くのであります。

三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
0450ナナシズム
垢版 |
2011/02/24(木) 19:30:03.72ID:xP61fxpz
軍国主義といふものが、実に、日本の明治以降、動いてきた歴史の中で、非常に、皮肉なものがある。といふのは、
我々は外国からいい影響だけ受けてゐたと思つたのは、非常な間違ひであつた。明治以降の日本が今日まで
やつてきた西欧化の努力によつて、近代国家になつたのであるけれども、その全く同じ理念が、軍国主義を
もたらしたのである。ここをよく考へないと日本の近代感覚といふものの一番大きな問題点は掴めない。日本は、
西洋から、善と悪の二つ、なにもかも全部採り入れた。その結果、こんどの敗戦が招来されたと私はみるのであります。
そして、軍国主義のいはゆる進展と同時に、日本の戦略、戦術の上にアジア的な特質が失はれていつたのは大きい。
といふのは、今のベトナム戦争でも判るやうに、アジア的風土の中で、非常にアジア的な非合理な方法によつて、
ゲリラ戦を展開して、敵を悩ましてゐる。日本は、かういふことを一切しないで、正に外国から得た武器によつて、
西洋の武器をもつて、西洋と闘はうとした。

三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
0451ナナシズム
垢版 |
2011/02/24(木) 19:31:29.01ID:xP61fxpz
これがまづ戦略的に大きな問題だつたのではないか。これは、私は大東亜戦争の敗因の一つではないかとさへ
思つてゐるわけです。参謀本部の頭の中に近代化された頭脳の中にその悪が潜んでゐた。 我々は、もう一つ、
ここで民族精神に振り返つてみて、日本とはなんぞや、武器と魂といふものを日本人は如何に結びつけたか、
そこに立ち返らなければ、日本といふものの防衛の基本的なものは出てこない。そのために、私は、終始一貫した
憲法改正論者で、それが、物理的に可能であるのか、不可能であるのか、そんなことは、おかまひなしに、
一介の人間としてそれのみをいつてゐるのは、決してそれによつて、日本を軍国支配しようとするつもりはないのだ。
あくまでそれによつて日本の魂を正して、そこに日本の防衛問題にとつて最も基本的な問題、もつと大きくいへば、
日本と西洋社会との問題、日本のカルチャーと、西洋のシビライゼーションとの対決の問題、これが、底にひそんで
ゐることをいひたいんだといふことです。

三島由紀夫「武士道と軍国主義」より
0452ナナシズム
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2011/03/03(木) 11:19:57.30ID:zJf9tyle
乃木大将の死とともに終つた陽明学的知的環境は、大正教養主義と大正ヒューマニズムの敵に他ならなかつた。
過去の敵であるばかりではなく、未来の敵にもなつた。といふのは、大正知識人が徐々に指導者となる時代、
昭和初年にいたつて、このやうに否定され忌避され抑圧された陽明学的潮流は、地下に潜流して、過激な右翼思潮の
温床となつたために、ますます大正知識人に嫌はれる対象となり、被害者意識から大正知識人が、後輩へあへて
伝へまいとした有害な「黒い秘教」になつたのである。
一方マルクシズムは、知識層の革命的関心の、ほとんど九十パーセントを奪ひ去つた。北一輝のやうな日本的
革命思想の追究者は、孤立した星であつた。マルクシズムが陽明学にとつて代り、大正教養主義・ヒューマニズムが
朱子学にとつて代つたといふこともできるであらう。朱子学の、なかんづく、荻生徂徠のやうな外来思想の心酔者は、
大正知識人にとつてもむしろ親しみやすかつた。しかし国学と陽明学はやりきれぬ代物だつた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0453ナナシズム
垢版 |
2011/03/03(木) 11:20:58.15ID:zJf9tyle
国学は右翼学者の、陽明学は一部の軍人や右翼政治家の専用品になつた。インテリは触れるべからざるものに
なつたのである。
今日でも、インテリが触れてはならぬと自戒してゐるいくつかの思想的タブーがあり、武士道では「葉隠」、
国学では平田(篤胤)神学、その後の正統右翼思想、したがつて天皇崇拝等々は、それに触れたが最後、
インテリ社会から村八分にされる危険があるものとされてゐる。さういふものを何か「いまはしい」ものと
考へるインテリの感覚の底には、明治の開明主義が影を落としてゐる。西欧的合理主義の移入者であり代弁者で
あるところに、自己のプライドの根拠を置いてきた明治初期の留学生の気質は、今なほ日本知識層の気質の底に
ひそんでゐる。決して西欧化に馴染まぬものは、未開なもの、アジア的なもの、蒙昧なもの、いまはしいもの、
醜いもの、卑しむべきもの、外人に見せたくないもの、として押入の奥へ片付けておく。陽明学もその一つで
あつたのである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0454ナナシズム
垢版 |
2011/03/03(木) 11:22:07.83ID:zJf9tyle
現代日本知識人は、かくて無意識のうちに朱子学的伝統を引いてゐる。すなはち、西欧化近代化の文明開化主義の
明治政府と、その劇画化としての第二次大戦後の政府との、基本方針を逸脱せぬところで、同じ次元で、これを
批判し、あるひは「教育」する立場に矜りを見つける。マルクシストさへ、近代化の方策の差といふのみで、
近代主義者には変りがないから、近代主義の先駆としての立場から、「保守的」政府を批判し、それ以上には
出ないのである。大内兵衛氏が、自民党内閣と社会党と双方に関係するのは、双方が近代主義の異腹の児で
あるといふ点で、矛盾はない。
現代日本知識人の身を置く立場や思想は、マルクシズムの神話の崩壊につれ、ますます朱子学の各分派といふ様相を
呈するであらう。私見によれば陽明学は、決してその分派に属さない。むしろ今こそそれは嘗てあつたよりも
激しい形で、提起され直さねばならない。あらゆる政治学が劇薬でありえなくなつた現在、菌にも耐性ができて、
大ていの薬では利かなくなつたのである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0455ナナシズム
垢版 |
2011/03/03(木) 11:24:34.93ID:zJf9tyle
さて今まではといへば、たとへば(中略)氏(丸山真男)はそのかなり大部の著書の中でわづかに一頁の
コメンタリーを陽明学に当ててゐるに過ぎない。氏は、陽明学をあくまで朱子学に依存する一セクトとして見、
これを簡略に説明して、朱子の「知先行後」に対して「知行合一」を主張するところの主観的、個人的哲学で
あるとなし、陽明学は朱子学の理の内包してゐた物理性をことごとく道理性のうちに解消せしめたが故に、
朱子学ほどの包括性をもたず、朱子学ほどの社会性を失つた、と説いてゐる。
しかしながら陽明学は、明治維新のやうな革命状況を準備した精神史的な諸事実の上に、強大な力を刻印してゐた。
陽明学を無視して明治維新を語ることはできない。
大体、革命を準備する哲学及びその哲学を裏づける心情は、私には、いつの場合もニヒリズムとミスティシズムの
二本の柱にあると思はれる。(中略)二十世紀のナチスの革命においては、ニイチェやハイデッカーの準備した
能動的ニヒリズムの背景のもとに、ゲルマン神話の復活を策するローゼンベルクの「二十世紀の神話」が、
ナチスのミスティシズムを形成した。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0456ナナシズム
垢版 |
2011/03/03(木) 11:33:21.99ID:zJf9tyle
革命は行動である。行動は死と隣り合はせになることが多いから、ひとたび書斎の思索を離れて行動の世界に
入るときに、人が死を前にしたニヒリズムと偶然の僥倖を頼むミスティシズムとの虜にならざるを得ないのは
人間性の自然である。
明治維新は、私見によれば、ミスティシズムとしての国学と、能動的ニヒリズムとしての陽明学によつて準備された。
本居宣長のアポロン的な国学は、時代を経るにしたがつて平田篤胤、さらには林桜園のやうなミスティックな
神がかりの行動哲学に集約され、平田篤胤の神学は明治維新の志士達の直接の激情を培つた。
また、これと並行して、中江藤樹以来の陽明学は明治維新的思想行動のはるか先駆といはれる大塩平八郎の乱の
背景をなし、大塩の著書「洗心洞箚記」は明治維新後の最後のナショナルな反乱ともいふべき西南戦争の首領
西郷隆盛が、死に至るまで愛読した本であつた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0457ナナシズム
垢版 |
2011/03/03(木) 11:34:27.64ID:zJf9tyle
また、吉田松陰の行動哲学の裏にも陽明学の思想は脈々と波打つてをり、一度アカデミックなくびきをはづされた
朱子学は、もとの朱子学が体制擁護の体系を完成するとともに、一方は異端のなまなましい血のざわめきの中へ
おりていき、まさに維新の志士の心情そのものの思想的形成にあづかるのである。
主観哲学であり、且つ道理を明らかにすることによつて善悪を超越する哲学であるこの陽明学といふ危険な思想は、
丸山氏のいふところの、まさに逆を行つて、権力擁護の朱子学、徂徠学の一分派といふ仮面に隠れながら、その実、
もつとも極端なラディカリズムと能動的ニヒリズムの極限へ向かつて進んでいつた。その「良知」とは、単に
認識の良知を意味するものではなく、「太虚」に入つて創造と行動の原動力をなすものであり、また一見、
武士的な行動原理と思はれる知行合一は、認識と行動の関係にひそむもつとも危険な消息を伝へるものであつた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0458ナナシズム
垢版 |
2011/03/04(金) 11:17:26.13ID:N8kgX55m
(中略)
私はさつき、死に直面する行動がニヒリズムを養成するといふことを言つた。陽明学の時代にはニヒリズムと
いふ言葉はなかつたから、それは大塩平八郎(中斎)の中斎学派がとりわけ強調した「帰太虚」の説の中に
表はれてゐる。
「帰太虚」とは太虚に帰するの意であるが、大塩は太虚といふものこそ万物創造の源であり、また善と悪とを
良知によつて弁別し得る最後のものであり、ここに至つて人々の行動は生死を超越した正義そのものに帰着すると
主張した。彼は一つの譬喩を持ち出して、たとへば壷が毀(こは)されると壷を満たしてゐた空虚はそのまま
太虚に帰するやうなものである、といつた。壷を人間の肉体とすれば、壷の中の空虚、すなはち肉体に包まれた
思想がもし良知に至つて真の太虚に達してゐるならば、その壷すなはち肉体が毀されようと、瞬間にして永遠に
偏在する太虚に帰することができるのである。
その太虚はさつきも言つたやうに良知の極致と考へられてゐるが、現代風にいへば能動的ニヒリズムの根元と
考へてよいだらう。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0459ナナシズム
垢版 |
2011/03/04(金) 11:17:47.93ID:N8kgX55m
ただ、この太虚が仏教の空観に、ともすると似てきてしまふことは、森鴎外も小説「大塩平八郎」の中でそれとなく
皮肉に指摘してゐる。仏教の空観と陽明学の太虚を比べると、万物が涅槃の中に溶け込む空と、その万物の
創造の母体であり行動の源泉である空虚とは、一見反対のやうであるが、いつたん悟達に達してまた現世へ
戻つてきて衆生済度の行動に出なければならぬと教へる大乗仏教の教へにはこの仏教の空観と陽明学の太虚を
つなぐものがおぼろげに暗示されてゐる。ベトナムにおける抗議僧の焼身自殺は大乗仏教から説明されるが、
また陽明学的な行動ともいふことができるのである。
陽明学をごく簡単に説明したものとしては、井上哲次郎博士の「王陽明の哲学の心髄骨子」といふ古い論文がある。
(中略)明代の哲学者王陽明は朱子哲学の反動としておこつた人であるが、朱子哲学が二元論であつたので、
これに対して一元論の哲学を唱導し、陸象山の思想を受けてこれに自由主義的あるひは平等主義的な傾向を与へて
陽明学を体系づけた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0460ナナシズム
垢版 |
2011/03/04(金) 11:18:12.18ID:N8kgX55m
(中略)
そもそも陽明学には、アポロン的な理性の持ち主には理解しがたいデモーニッシュな要素がある。ラショナリズムに
立てこもらうとする人は、この狂熱を避けて通る。
もちろん、認識と行動との一致といふことを離れて考へてみても、われわれが認識ならぬ知に達する方法としては
古人がすでに二つの道を用意してゐた。一つは、認識それ自体の機能を極限までおし進めるアポロン的な方法であり、
一つは、理性のくびきを脱して狂奔する行動に身をまかせ、そこに生ずるハイデッガーのいはゆる脱自、陶酔、
恍惚、の一種の宗教的見神的体験を通じて知に到達するといふ方法である。これは哲学の中の二つの潮流を
形づくると同時に、人間の行動様式、行動様式の表はれとしての倫理や文化などの、すべての分岐点として現はれた。
陽明学を革命の哲学だといふのは、それが革命に必要な行動性の極致をある狂熱的認識を通して把握しようとした
ものだからである。私がかう言ふのは、学問によつてではなく行動によつて今日までもつとも有名になつてゐる
大塩平八郎のことをいま思ひうかべるからだ。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0461ナナシズム
垢版 |
2011/03/04(金) 19:42:14.42ID:N8kgX55m
(中略)
大塩が思ふには、われわれは天といへば青空のことだと思つてゐるが、こればかりが天ではなくて、石の間に
ひそむ空虚、あるひは生えてゐる竹の中にひそんでゐる空虚もまつたく同じ天であり、太虚の一つである。
この太虚は植物、無機物ばかりではなく、人間の肉体の中にも口や耳を通じてひそんでゐる。われわれが持つて
ゐる小さな虚も、聖人の持つてゐる虚と異なるところはない。もし、誰であつても心から欲を打ち払つて太虚に
帰すれば、天がすでにその心に宿つてゐるのである。誰でも聖人の地位に達しようと欲して達し得ないことはない。
「聖人は即ち言あるの太虚にして、太虚は即ち言はざるの聖人なり」
太虚に帰すべき方法としては、真心をつくし誠をつくして情欲を一掃し、そこへ入つていくほかはない。形の
あるものはすべて滅び、すべて動揺する。大きな山でさへ地震によつてゆすぶられる。何故なら形があるからである。
しかし、地震は太虚を動かすことはできない。これでわかるやうに心が太虚に帰するときに、初めて真の「不動」を
語ることができるのである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0462ナナシズム
垢版 |
2011/03/04(金) 19:43:21.87ID:N8kgX55m
すなはち、太虚は永遠不滅であり不動である。心がすでに太虚に帰するときは、いかなる行動も善悪を超脱して
真の良知に達し、天の正義と一致するのである。
その太虚とは何であるか。人の心は太虚と同じであり、心と太虚とは二つのものではない。また、心の外にある虚は、
すなはちわが心の本体である。かくて、その太虚は世界の実在である。この説は世界の実在はすなはちわれであると
いふ点で、ウパニシャッドのアートマンとはなはだ相近づいてくる。
大塩平八郎はその「洗心洞剳記」にもいふやうに、「身の死するを恨みずして心の死するを恨む」といふことを
つねに主張してゐた。この主張から大塩の過激な行動が一直線に出てきたと思はれるのである。心がすでに太虚に
帰すれば、肉体は死んでも滅びないものがある。だから、肉体の死ぬのを恐れず心の死ぬのを恐れるのである。
心が本当に死なないことを知つてゐるならば、この世に恐ろしいものは何一つない。決心が動揺することは絶対ない。
そのときわれわれは天命を知るのだ、と大塩は言つた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0463ナナシズム
垢版 |
2011/03/07(月) 11:38:43.72ID:qF4dL3Qk
(中略)
われわれは心の死にやすい時代に生きてゐる。しかも平均年齢は年々延びていき、ともすると日本には、平八郎とは
反対に、「心の死するを恐れず、ただただ身の死するを恐れる」といふ人が無数にふえていくことが想像される。
肉体の延命は精神の延命と同一に論じられないのである。われわれの戦後民主主義が立脚してゐる人命尊重の
ヒューマニズムは、ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問はないのである。
社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全を保障しはしない。心の死ぬことを恐れず、肉体の死ぬことばかり
恐れてゐる人で日本中が占められてゐるならば、無事安泰であり平和である。しかし、そこに肉体の生死を
ものともせず、ただ心の死んでいくことを恐れる人があるからこそ、この社会には緊張が生じ、革新の意欲が
底流することになるのである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0464ナナシズム
垢版 |
2011/03/07(月) 11:39:41.12ID:qF4dL3Qk
(中略)
大塩平八郎の死は、前にも言つたやうに天保八年三月のことであつたが、それから四十年を経た、西郷南洲の
西南の役における死に思ひ及びと、西郷の生涯が再び陽明学の不思議な反知性主義と行動主義によつて貫かれて
ゐることにわれわれは気づく。西郷の「手抄言志録」によれば、その第二十一には、死を恐れるのは生まれてから
のちに生ずる情であつて、肉体があればこそ死を恐れるの心が生じる。そして死を恐れないのは生まれる前の
性質であつて、肉体を離れるとき初めてこの死の性質をみることができる。したがつて、人は死を恐れるといふ
気持のうちに死を恐れないといふ真理を発見しなければならない。それは人間がその生前の本性に帰ることである、
といふ意味のことをいつてゐる。
現にま西郷は幕吏に追はれた親友の僧月照と共に薩摩の海に舟を浮かべ、月照が示した和歌に同感して直ちに
彼と共に相擁して海に身を投じたことがある。そのときに死んだのは月照だけで、西郷は蘇ることになるのであるが、
彼はその後一生、月照と共に死ねなかつたことを憾みに思つてゐたやうである。

三島由紀夫「革命哲学としての
0465ナナシズム
垢版 |
2011/03/07(月) 11:40:34.72ID:qF4dL3Qk
(中略)
この(「南洲遺訓」)文章などは、われわれの中で一人の人間の理想像が組み立てられるときに、その理想像に
同一化できるかできないかといふところに能力の有無を見てゐる点で、あたかも大塩平八郎の行動を想起させる
のである。聖人がわれわれの胸奥に住むならば、その聖人とわれわれとは同格でなければならない。甚だ傲慢な
哲学であるが、それはあたかも「葉隠」の、「われは日本一なりとの増上慢なくてはお役に立ち難し」といふやうな
自我哲学の絶頂と照応してゐる。
このやうな同一化の可能性が生じないで、ただおとなしくこれを学び、ひたすら聖人に及ばざることのみを考へて
ゐるところからは、決して行動のエネルギーは湧いてはこない。同一化とは、自分の中の空虚を巨人の中の空虚と
同一視することであり、自分の得たニヒリズムをもつと巨大なニヒリズムと同一化することである。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0466ナナシズム
垢版 |
2011/03/07(月) 11:41:20.27ID:qF4dL3Qk
そのやうな行動の、次元を絶した境地は、吉田松陰が獄中から品川弥二郎に送つた書簡の中にもうかがはれる。
松陰は一つの空虚を巨大な空虚に結びつけ、一つの小さな政治的考慮を最高の理想に結びつけて、小さな行動を
最終の理念に直結させるための跳躍の姿勢をさまざまにためした。そのとき狭い獄舎の中で松陰が試みた精神的
ジャンプは、たちまち日常生活の次元を超えて、空間と時間とを新しい次元へ飛躍させたのである。
松陰が入つていつたこのやうな心境を証明するもつとも恐ろしく、私の忘れがたい一句は、「天地の悠久に比せば
松柏も一時蠅なり」といふものだ。(中略)
そのとき松陰は、人生の短さと天地の悠久との間に何等差別をつけてゐなかつた。われわれの生存がもつてゐる
種々の困難、われわれの日々の生が担つてゐるもろもろの条件を脱却して、直ちに最小のものから最大のものに、
もつとも短いものからもつとも長いものへ一ぺんに跳躍し、同一視する観点を把握してゐた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0467ナナシズム
垢版 |
2011/03/07(月) 15:25:04.97ID:qF4dL3Qk
(中略)
この陽明学はおそらく、乃木大将の死に至つて、日本の現代史の表面から消えていつたやうに思はれる。その後、
陽明学的な行動原理は学究を通じてではなくて、むしろ日本人の行動様式のメンタリティーの基本を形づくることに
なつて、ひそかに潜流し始めたものであらう。昭和の動乱の時代から今日に至るまで、日本人が企てた行動には、
西欧人が企及し得ぬ、また想像し得ぬさまざまな不思議な要素がふくまれてゐる。そしてその日本人の政治行動
自体には、完全な理性主義や主知主義に反するところの不思議な暴発状況や、無効を承知でやつた行動のいくつかの
めざましい事例がみられるのである。
何故日本人はムダを承知の政治行動をやるのであるか。しかし、もし真にニヒリズムを経過した行動ならば、
その行動の効果がムダであつてももはや驚くに足りない。陽明学的な行動原理が日本人の心の中に潜む限り、
これから先も、西欧人にはまつたくうかがひ知られぬやうな不思議な政治的事象が、日本に次々と起ることは
予言してもよい。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0468ナナシズム
垢版 |
2011/03/07(月) 15:26:28.36ID:qF4dL3Qk
日本における革命運動は、日本的革命とは何ぞやといふ問題をひさしく閑却してきた。革命はすべて外来思想であり、
マルクシズムも亦西欧の近代化の一翼に乗つて日本に入つてきた一思想であつた。そして、日本といふアジアの
後進国家が物質文明による近代化に乗り出したときに、その近代化に随伴する一つのアンチテーゼの思想が
移入されたのは必然的であつた。そして、マルクシズムの思想の日本化のためには、苦しい血のにじむやうな
努力が要つた。
転向の問題は、一度、外来思想を人間の肉体と心情を通して濾過し、その心情の根底において思想とは何ものかを
問ふといふことによつて、日本の知識人に重要な歴史的転機を与へた。もし、あの転向の思想的体験が戦後の
革命思想に正当に貫かれてゐたならば、私は「日本的革命とは何ぞや」といふ問題が、真に展開されてゐたで
あらうと思ふ。
しかしながら、戦後のアメリカ民主主義による突如の解放によつて、革命思想の日本化肉体化といふ問題は一時
置きざりにされた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0469ナナシズム
垢版 |
2011/03/07(月) 15:27:57.59ID:qF4dL3Qk
即ち、それは再び啓蒙思想に復帰し、近代主義に立ち戻り、すべてを振り出しから始めるといふ新しい楽天的な、
再度の近代化西欧化の代表をつとめるやうになつたのだ。戦後、このやうな近代主義がたちまち破綻したのは
当然のなりゆきである。
その後の新左翼の勃興は、かうした混迷、矛盾を経て老朽化していつた共産党的革命思想に対するアンチテーゼで
あつたが、その後被ら自身が自分の思想の肉体化といふことについて、風土性の問題から離れざるを得ぬといふ
時代的環境に置かれていつた。すでに農地改革以後、ブルジョア革命が成就した日本で、極度の急激な工業化と共に
大衆社会化状況が生まれ、工業化、都市化の進展は農村人ロの減少をもたらし、その思想の風土性は、帰るべき
故郷を失つた状態にあつた。主に学生運動は都市から発生し、その都市化の極点における空白においてのみ、
一般の大衆の精神的空白と相わたつた。そのとき、もはや革命思想は日本的、風土的なものに還元されるべき
手がかりを失つてゐた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0470ナナシズム
垢版 |
2011/03/08(火) 10:31:09.96ID:bTngyQZD
(中略)
七〇年は予想されたやうな波瀾も見せずに、再び占領体制下と同じやうな論理が復活するのに役立つた。いまや
自民党も共産党も同じやうな次元の議会主義政党に堕し、共に政治目標実現の最終的な不可能を知りながら、
目前の事態の処理によつて大衆社会をどちらがより多く味方に引きつけるか、といふ術策に憂き身をやつすやうに
なつた。このやうな政治行動は、すみずみまでソロバンづくの有効性によつて計量され、有効性の判断が政治行動の
メリットの唯一の基準になつた。すでに自民党がさうである如く、共産党も政権獲得のための票数の増加と、
日常活動による市民生活への浸透に目安をおいて、一刻一刻、一日一日の政治行動を、すべてこのプラクティカルな
目的に対する有効性によつて判断してゐる。
それをジャーナリズムはまた、理想主義の終焉、あるひは脱イデオロギーの時代が来たとよんでゐる。そして
工業化社会の果てに、ポスト・インダストリアル・ジェネレーション、脱工業化社会が来るといふことは、つとに
予見されたことであつたが、その予見は半ば当り半ば当らなかつた。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0471ナナシズム
垢版 |
2011/03/08(火) 10:32:08.32ID:bTngyQZD
工業化の果てにおける精神的空白は再びまた工業化によつて埋められ、精神の飢ゑが再び飽満した食欲によつて
満たされることになつた。そして先にも言つたやうに、人は心の死、魂の死を恐れないやうになつたのである。
陽明学が示唆するものは、このやうな政治の有効性に対する精神の最終的な無効性にしか、精神の尊厳を認めまいと
するかたくなな哲学である。いつたんニヒリズムを経過した尊厳性が精神の最終的な価値であるとするならば、
もはやそこにあるのは政治的有効性にコミットすることではなく、今後の精神と政治との対立状況のもつとも
きびしい地点に身をおくことでなければならない。そのときわれわれは、新しい功利的な革命思想の反対側に
ゐるのである。陽明学はもともと支那に発した哲学であるが、以上にも述べたやうに日本の行動家の魂の中で
いつたん完全に濾過され日本化されて風土化を完成した哲学である。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0472ナナシズム
垢版 |
2011/03/08(火) 10:32:44.66ID:bTngyQZD
もし革命思想がよみがへるとすれば、このやうな日本人のメンタリティの奥底に重りをおろした思想から
出発するより他はない。一方、国学のファナティックなミスティシズムが現代に蘇ることがはなはだむづかしいと
するならば、陽明学がその中にもつてゐる論理性と思想的骨格は、これから先の革新思想の一つの新しい芽生えを
用意するかもしれない。
われわれの近代史は、その近代化の厖大な波の陰に、多くの挫折と悲劇的な意欲を葬つてきた。われわれは西洋に
対して戦ふといふときに何をもとにして戦ふかを、つひに知らなかつた。そして西欧化に最終的に順応したもの
だけが、日本の近代における覇者となつたのである。明治政府自体が西欧化による西欧に対する勝利といふ理念を
掲げたときに、その実力による最終証明となつたものは日露戦争であつたから、その後の日本は西欧的な戦争を
戦ふことによつて西欧に打ち勝つといふ固定観念に向かつて進んで、第二次大戦の破局に際会した。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0473ナナシズム
垢版 |
2011/03/08(火) 10:33:21.73ID:bTngyQZD
一方目ざめたアジアは、アジア独特の思考によりベトナムや中共で西欧化に対するしたたかな抵抗の作戦を展開した。
それらはもちろん、地理的な条件やさまざまな風土的な条件の恵みによることはもちろんであるが、日本が
貿易立国によつて進まねばならない島国といふ特性を有しながらも、アジアの一環に属することによつて西欧化に
対する最後の抵抗を試みるならば、それは精神による抵抗でなければならないはずである。
精神の抵抗は反体制運動であると否とを問はず、日本の中に浸潤してゐる西欧化の弊害を革正することによつてしか、
最終的に成就されない道である。そのとき革新思想がどのやうな形で西欧化に妥協するかによつて、無限にその
政治的有効性の方向に引きずられていくことは、戦後の歴史が無惨に証明した如くである。われわれはこの
陽明学といふ忘れられた行動哲学にかへることによつて、もう一度、精神と政治の対立状況における精神の
闘ひの方法を、深く探究しなほす必要があるのではあるまいか。

三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
0474ナナシズム
垢版 |
2011/03/14(月) 13:38:08.85ID:5GrIRvfy
私が同志的結合といふことについて日頃考へてゐることは、自分の同志が目前で死ぬやうな事態が起つたとしても、
その死骸に縋(すが)つて泣く事ではなく、法廷においてさへ、彼は自分の知らない他人であると、証言出来る
ことであると思ふ。それは「非情の連帯」といふやうな精神の緊張を持続することによつてのみ可能である。
しかし、私はなにも死を以つてのみ同志あるひは同志愛の象徴とは考へない。また死を以つてのみ革命的な行動の
精華、成就とも考へるものではない。ただ真に内発的な激怒や行動だけが、ある目的のもとになされた行為の
有効性を持つのであるといふ考へ方だけは、私にとつて変ることのないものである。
死が自己の戦術、行動のなかで、ある目標を達するための手段として有効に行使されるのも、革命を意識するものに
とつては、けだし当然のことである。自らの行動によつてもたらされたところの最高の瞬間に、つまり、
劇的最高潮に、効果的に死が行使出来る保証があるならば、それは犬死ではない。

三島由紀夫「わが同志観」より
0475ナナシズム
垢版 |
2011/03/14(月) 13:38:59.84ID:5GrIRvfy
(中略)
「われわれ」といふ集団の感覚の次元で行動し、同志的結合を持続する時、個人はすでに、超個人的契機を
掴んでゐることが前提になる。その超個人的契機とは、神のやうな個人に直結した形である場合と同時に、神と
個人とを繋ぐコミュニティのイメージが必要となつてくるのである。そこには、もはやニュートラルな心情は
崩壊してゐるのである。
人間は、このやうなコミュニティを媒介としてしか、つまり伝統的共同体を形づくるところの超個人的なもの――
絶対的な存在に接近することが出来ないといふ、逆説的な精神構造を持つてゐる。その個人的契機は、多様であるが、
その内的原因を探れば、遠く、古い価値と、それに繋がるところのコミュニティの投影が必ずある。この投影こそが、
内側の人間を外側の人間へ弾き出す力になるのである。
さう考へてゆくと、「われわれ」は危険ではあるが、誘惑に導く美しさが見えてきはしないか。この危険な誘ひに
私の興味は募る。しかしそれは、悲壮な自己陶酔と紙一重でなくて果して何であらうか。

三島由紀夫「わが同志観」より
0476ナナシズム
垢版 |
2011/03/14(月) 13:39:18.72ID:5GrIRvfy
私は、いやしくも盟約を交はして事を起す同志であれば、動機の深浅、運動経歴のキャリア、性格の相違等を、
ことさら問題にしようとは思はない。男と男が誓ひ、行動を起さうとする集団が、栄辱をそれぞれ等分するのは
当然である。
つまり、日常的な同志愛から出発しながら、いかにして、最終目的のために、目前の甘美な同志愛に耐へ抜く心の
強さを得られるか。同志的決起へと至る極限状況は、ある面において、倫理的憤激の最終的な責任を、自己に負ふか、
他者に負はせるか、といふ方向へ引き裂かれて行かざるを得ない。究極的に、自己に負ふとすれば、自刃があり、
他者に負はせるとすれば、制度自体の破壊に行きつくしかない。
そのやうなクオリティを見分ける判断力は、人間の弱さと強さとの問題でもある。

三島由紀夫「わが同志観」より
0477ナナシズム
垢版 |
2011/04/07(木) 10:57:49.57ID:WtbjdKM1
Q――生、虚構(フィクション)、事実(ファクト)について。
三島:あらゆるものがニセモノ。政治も芸術も、どこかで有効性にすがりついてゐる限りフィクションだ。
事実は死だけ。存在証明の最終的なものは死だ。焼身自殺などは事実の最高。かうした日常性=フィクションに
対して、一人の芸術家が抵抗しようとする時、死しかない。事実としての死。主義(イデオロギー)なんか
問題ぢやない。

Q――現代について。
三島:(中略)知識人が守りたがつてゐたものは何か? 守るためには何かしなきやならない、ことがわかつてきた。
“守る行為”を今まで何と思つてきたか? 暴力が平和を、平和が暴力を守る時もある。暴力の等価性、それが
紛争状態で証明された。デモクラシーは、他の国へ入つて他の国の人を殺すこともできるものだ。ベトナム戦で
はじめて現実を知つたんぢやおそいのだ。日本人は絶対性を好む。相対的、簡易主義に立脚してゐるデモクラシーを
絶対化したところに誤りがある。

三島由紀夫「壮麗なる“虚構”の展開」より
0478ナナシズム
垢版 |
2011/04/07(木) 18:13:01.29ID:7NfgrPDe
でさぁ 今日の晩御飯コロッケだけかよ・・
0479ナナシズム
垢版 |
2011/04/08(金) 17:21:23.18ID:lFUFBuGj
時代は共存共栄に向かってるだろ
憲法改正しても世界は日本に失望する
日本が武力放棄することがどれだけ日本にメリットがあるかを考えるべきだ
中国 朝鮮が攻めてくることもありえない 武力の無い国に攻めるはずも無く攻めれば世界が許さないだろ
竹島 尖閣も武力で守らず話し合いで守るのだ
武力で守れば武力で解決になる
0480ナナシズム
垢版 |
2011/04/23(土) 14:30:02.89ID:vEt8JWc4
日本人は絶対、民主主義を守るために死なん。ぼくはアメリカ人にも言うんだけど、「日本人は民主主義のために
死なないよ」と前から言っている。今後もそうだろうと思う。
(中略)
そうすると何を守ればいいんだと。ぼくはね、結局文化だと思うんだ。本質的な問題は。
というのはね、やっぱりキリスト教対ヘレニズムというようなもんなんだよ。いまわれわれが当面している問題は。
結局ね、世界をよくしようとか、未来を見ようとかいう考えと、それから、未来はないんだけれども、
文化というものがわれわれのからだにあるんだという考えと、その二つの対立だよ。
「文化を守る」ということは、「おれを守る」ということだよ。


十年、五十年単位の考えは、絶対に必要なことだ。なぜかというと、十年、五十年と考えると、今日始めなきゃ
だめなんだよ。
だから一番緊急なことなんだよ。

三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
0481ナナシズム
垢版 |
2011/04/23(土) 14:31:01.14ID:vEt8JWc4
一番長い経過を要する仕事を今日始めて、そしてあしたはだね、三年先のことを始めるというのが、ぼくは一番
現実的な考えだと思うね。


ぼくは文化というものはね、変な比喩だが、金とおんなじことだと思う。とにかく、あぶないときにどっかに
置いておかなければ、いつもこわされちゃう。こんなもろい、こんなものはない。僕はいわば文化の金本位制論者だ。
日本では、昔から金について一番もろくて弱かった独占資本的財閥、戦前のそういう連中はね、どんなインテリよりも
ぼくは、実際に敏感だったと思いますよ。それは昭和の歴史を見てもよくわかりますがね。文化人というのは
いつものんきなんだが、資本家が金をこわがるように、どうして文化人は文化というものの、もろさ、弱さ、
はかなさ、というものを感じないんだろうかね。

三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
0482ナナシズム
垢版 |
2011/04/23(土) 14:31:56.76ID:vEt8JWc4
戦後ずうっと考えてきたことは、文化というものは無力であるということ。これは確かに文学も無力だし、
何も無力だ。だけど無力だから、無力なりに役に立とうという「政治と芸術」的考え方というものに、ぼくは
いつも反対してきた。いまでもぼくは、文化というものは、ほんとにどんな弱い女よりもか弱く、どんな
破れやすい布よりも破れやすい、もう手にそうっと持ってにゃならんのだと思いますね。そっからすべてものの
危機感がくるんだし、それで、そのためには自分のからだを投げ出してもいいと思うしね。


文化がどんなに変様されて、歪曲されても、生きのびるほど強いもんだということは結果論です。

三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
0483ナナシズム
垢版 |
2011/04/23(土) 14:42:07.60ID:vEt8JWc4
天皇はあらゆる近代化、あらゆる工業化によるフラストレーションの最後の救世主として、そこにいなけりゃならない。
それをいまから準備していなければならない。それはアンティエゴイズムであり、アンティ近代化であり、
アンティ工業化であるけど、決して古き土地制度の復活でもなければ、農本主義でもない。(中略)天皇は一番
極限にいるべきだ、という考えなんですよ。ですから、近代化の過程のずっと向うに天皇があるという考えですよ。
その場合には、つまり天皇というのは、国家のエゴイズム、国民のエゴイズムというものの、一番反極のところに
あるべきだ。そういう意味で、天皇は尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。その根元にあるのは、
とにかく「お祭」だ、ということです。天皇がなすべきことは、お祭、お祭、お祭、お祭、――それだけだ。
これがぼくの天皇論の概略です。

三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
0484ナナシズム
垢版 |
2011/04/23(土) 14:44:51.08ID:vEt8JWc4
エリザベスは、亭主が自分の部屋に電話を引いたり、テレビをつけたり、ボタンを押すと飛び上がる椅子を
つけたりするのに、自分は、まだ十八世紀のお茶の作法で、百メートル先から女官たちが手から手へつないだお茶を
持って来て、冷えたお茶を飲んでいる。自分の部屋には電話がない。ぼくは、そういうことが天皇制だろうと
思うんです。日本の皇室がその点でわれわれを納得させる存在理由は日ましに稀薄になっている。
つまりわれわれが近代化の中でこれだけ苦しんで、どこかでお茶を十八世紀の作法で飲んでいる人がいなければ、
世界は崩壊するんだよ。


世界の行く果てには、福祉国家の荒廃、社会主義国家の嘘しかないとなれば、何がほしいだろう。それは
カソリックならカソリックかもしれない。だけど、日本の天皇というのはいいですよ。頑張ってれば世界的な
モデルケースになれると思う。それが八紘一宇だと思うんだよ。

三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
0485ナナシズム
垢版 |
2011/05/20(金) 12:49:57.66ID:s0iSu8Th
僕は今でも吉田茂は偉い人だと思うけど、明治以降の日本の歴史で、あんなに日本人の欺瞞をうまく成功させたのは、
あの人だけでしょう。それはどこから学んだかというと、イギリスですね。日本の政治家は少なくとも正義、
真実あるいは誠実という顔をしていなければならなかったのに、吉田茂の時代には国民全体が欺瞞の精神に
味方をした。あんなにアメリカ人をもてあそんだ人はいないよ。それにまたみごとに乗せることができたのは、
イギリス的な教養が彼にあったからだけど、イギリス的な教養は日本の昭和の歴史のなかでは、いつも無力だった。
いつも国家主義者の怨嗟の的であり、日和見主義、無力の良識、不決断の象徴であった。 ところが吉田茂は、
そのイギリス的な教養を逆に使って、欺瞞にうまく役立てた。これは近代史のなかで、面白い時代だと思う。

三島由紀夫
野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より
0486ナナシズム
垢版 |
2011/05/20(金) 12:50:22.36ID:s0iSu8Th
あんなに日本人のなかで、欺瞞がうまくいった時代はなかったと思う。それからあとはだめです。政治家が
どんな欺瞞をやっても、国民がついてゆかない。国民の考えていることと、欺瞞とがみごとに一致した時代は
もうこないでしょう。今はただ欺瞞と腐敗があるだけで、国民はだれもが味方をしていない。あなたも、そして
僕も怒っているのは、それですよ。欺瞞のまま、これからどこへゆくかということは心配でしょう。

三島由紀夫
野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より
0487ナナシズム
垢版 |
2011/05/20(金) 12:50:51.41ID:s0iSu8Th
僕は最近、神風連を興味をもって調べたんだけど、あれは絶対に勝つ見込みがない戦争を仕掛けたんだね。
しかも日本刀だけしか使わない。鉄砲は外国からきたものだから、汚れているといって使わない。熊本の鎮台に
対して戦うんだ。初めは奇襲で少し勝つけど、相手は鉄砲をもって攻めてくるから、所詮、勝負は決まってるわけだ。
なぜ日本刀だけで、負けると解ってる戦争をやったか。僕はね、それはやっぱり彼らがインテリゲンチャだった
からだと思う。インテリゲンチャというものは、そういうものなんだね。つまり計算して、こうだからやると
いうのは生活者の考え方なんだね。生活者の考えと、インテリゲンチャの考えはいつも違うんだ。あなたが
どっちの立場に徹するかということは大問題だと思う。

三島由紀夫
野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より
0488ナナシズム
垢版 |
2011/05/20(金) 12:51:13.66ID:s0iSu8Th
生活者に徹すれば、日本は価値のない国、戦争にも抵抗できないという生活者の知恵でみるだろうね。神風連の
事件は、生活者にはできないもので、日本の近代インテリゲンチャの思想の源流なんです。(中略)
あなたがもし、もう一つ芸術家の立場を完全にもたなければならないということになったら、生活者の知恵だけでは
足りない何かが出てくる。そのときはバカなことでも、絶対に敗北するとわかってる戦いでもやらなければ
ならなくなってくる。


言葉だけの思想的な主張ないしは思想的な説得力には、僕は昔から疑問をもっている。腕力があり、剣があって、
初めて自分の思想が貫かれるのだろう。最後に人間の顔と顔とが、ぴたっとむかいあったときは、言葉は役に
立たないと思う。やっぱりそのときには剣がものをいうだろうね。文筆業者はそこへゆくまでのことを一所懸命、
言葉で考えてる人間なんだけど、それで言葉が最終的に役に立つと思ったら間違いだと思う。

三島由紀夫
野坂昭如との対談「エロチシズムと国家権力」より
0489ナナシズム
垢版 |
2011/06/05(日) 11:13:25.37ID:C29gkwpu
0490ナナシズム
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2011/06/21(火) 11:40:59.57ID:e5hrbLWe
今の時代はますます複雑になって、新聞を読んでも、テレビを見ても、真相はつかめない。そういうときに何が
あるかといえば、自分で見にいくほかないんだよ。


ぼくの考えをいうと、「わだつみの像」というのは、ある悲しい記念碑ではあるけれども、どこに根拠があるかと
いうんだ。テメエはインテリだから偉い、大学生がむりやり殺されたんだからかわいそうだ、それじゃ小学校しか
出ていないで兵隊にいって死んだやつはどうなる。「きけわだつみのこえ」なんていうセンチメンタルな本を誰かが
作為的に集めて、平和主義の逆の証明にして、ああいう像をおっ立てた。全学連は、何だかわからないんだけれども、
この野郎、大学の進歩教授と一つ穴のムジナだろうと、ひっくり返しちゃった。(中略)この次ひっくり返すのは、
広島の「過ちは繰り返しませぬから」の原爆碑、あれを爆破すべきだよ。これをぶっこわさなきゃ、日本は
よくならないぞ。
「きけわだつみのこえ」なんていうのは、一つの政治戦略だ。前からぼくは反発していた。

三島由紀夫
鶴田浩二との対談「刺客と組長――男の盟約」より
0491ナナシズム
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2011/06/21(火) 11:41:32.97ID:e5hrbLWe
三島:いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。だいたい、“右”というのは、ヨーロッパのことばでは
“正しい”という意味なんだから。(笑)


鶴田:ぼくはね、三島さん、民族祖国が基本であるという理(ことわり)ってものがちゃんとあると思うんです。
人間、この理をきちんと守っていけばまちがいない。

三島:そうなんだよ。きちんと自分のコトワリを守っていくことなんだよ。

鶴田:昭和維新ですね、今は。

三島:うん、昭和維新。いざというときは、オレはやるよ。

鶴田:三島さん、そのときは電話一本かけてくださいよ。軍刀もって、ぼくもかけつけるから。

三島:ワッハッハッハッ、きみはやっぱり、オレの思ったとおりの男だったな。

三島由紀夫
鶴田浩二との対談「刺客と組長――男の盟約」より
0492ナナシズム
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2011/06/29(水) 23:38:34.35ID:QC5szZz3
三島:戦後教育は、死ぬということを教えてないね。客観状勢がどうとかということは、ぼくは必ずしも信じない。
(中略)客観状勢が熟すのを待つというのは、ゲバラがいちばん嫌ったろう。革命の客観的条件というのはないんだ、
それを熟させるのが革命家だ、という考えだろう。それを熟させるのは精神だよ。それがあれば、なにかが
かもしだされてくる。


三島:ぼくは、戦後の人間というのは、新左翼でもなんでも、西洋人になっちゃたんじゃないかと思うな。
西洋人はそんな行動(犬死)はとらないよ。必ずリミットがあるんだ。
けっきょく、人間の生命ほど尊いものはない、という考えだよね。その考えが、どっかで掣肘するんだ。

野坂:だから自分の生命ほど尊いものはないんであって、実際問題としては、人間なんて他人が何百人死のうと、
どういうことはないわけでしょ。彼らは、そういうことがはっきりわかっている人なんですね。

三島:ウン、そうなんだよ。

三島由紀夫
野坂昭如との対談「剣か花か」より
0493ナナシズム
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2011/06/30(木) 12:39:22.64ID:aGVlNESq
(『詩を書くのが趣味の交際相手の男性が女々しく思えて許せない』という相談者に)
 美輪明宏『文学者でも例えば三島由紀夫や中原中也なんかは男らしかった思うけれど…。
貴女ももっと本をお読みになったらどうかしら?』
 相談者『(憤然として)読んでますよ』
 美輪明宏『どんなのを読んでらっしゃるの?』
 相談者『秋元康とか』
 美輪明宏『(一瞬判らず)あきも……(ピンと来て)オホホホホホwwwww』
 相談者『?』
0494ナナシズム
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2011/07/08(金) 12:09:47.40ID:ir6FUQyw
未来を信じないということはだね、つまり自分が終りだということだろう。自分が終りだということは、あとに
続くものを信ずるということなんだ。あとに続くものを信ずるということと、未来を信ずるということは、完全に
反対の思想なんだ。
未来を信ずるという思想は、自分をプロセスと規定するものだよ。高見順がああいう気の毒な一生を送ったのは、
そういうことなんだよ。
ただしね、自分が終りだということは、谷崎潤一郎もそうだったろうな。川端さんもそうなのかもしれない。
人のことをいっちゃ卑怯なら、おれもそうだ。(笑)あとに続くものを信ずるということは、絶対に未来に対して
自分をプロセスと規定しないことだよ。


滑稽だということは、客観的に滑稽ということなんだ。(中略)客観的に滑稽であってもいいと思うんだ。
しかし主観的に滑稽だと思ったら、人間負けだよ、そういうことだけは絶対やっちゃいかんと思う。

三島由紀夫
いいだももとの対談「政治行為の象徴性について」より
0496ナナシズム
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2011/07/15(金) 23:14:06.68ID:uZxJ0Vpz
戦後のいまの世界を見ていますと、たいていのことはフィクションで片づいちゃう。(中略)思想的な激突を
やる代わりにテレビでもって討論会をやる。そんなふうに、だんだんだんだん影がうすまってくるわけですね。
そしてすべてがフィクションの世界にとけ込んでしまって、どこに生死を賭けた大事があるのかわからなくなってくる。
激突しても、これは本当に死ぬ気があるのかどうか、殺す気があるのか、あるいは殺される気があるのか
わからないところで対決する。それが現代ですね。「葉隠」は、そういうものを非常に嫌うわけですね。
そういうのは芸能に携わる人間のやることであって、(中略)武士というものはそういうものじゃなくて、
本当に死ぬということが武士なんだから、そういう点で、河原乞食なんかいくら軽蔑してもかまわないという
考えですね。現代は全河原乞食、一億河原乞食の時代で、政治家から、経済人から、芸術家から、なにから、
やはり河原乞食だと思うのですね、「葉隠」と較べれば。

三島由紀夫
相良享との対談「『葉隠』の魅力」より
0497ナナシズム
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2011/07/15(金) 23:14:43.00ID:uZxJ0Vpz
全学連の運動というのはね、方向がどうあれ、根本は実感主義の復活ということだと思うのですね。これは
全学連のみならず、右の学生もそうなのであって、(中略)自分の成長期に、なんら実感にふれないで大人に
なっていったらどうなるだろう、すごい恐怖だと思うのですよ。われわれは、少なくとも空襲という実感が
ありましたね。それから死体がそこらにころがっているという実感がありました。中世の人間は、「方丈記」も
そうですが、そういう実感の中から初めてフィクションも出てきた。
私はインドに去年行きまして、ベナレスで、癩病の乞食がいっぱい並んでいるところを見て、なるほど弱法師と
いうのは、ここから出たんだと思ったのです。そして芸術の根源というのは、ああいうところにあって、ああいう
恐ろしい実感、あのファクトを一生懸命洗練したり、磨き上げたり、抽象化するから芸術が起こるのであって、
現代みたいにファクトがないところで、どうやって芸術をやっていくのかという危機感は、私どももっているわけです。

三島由紀夫
相良享との対談「『葉隠』の魅力」より
0498ナナシズム
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2011/07/15(金) 23:15:45.24ID:uZxJ0Vpz
たとえば、私は人間関係は、みんな委員会になっちゃったというのです。そしてうそですね。うそでかためれば安全、
謙譲の美徳を発揮すれば安全、安全第一。そして人間関係も、とにかく世論というものをいつも顧慮しながら、
不特定多数の人間の平均的な好みに自分を合わせれば成功だし、合わせれることができなきゃ失敗。これが
現代社会ですよ。
(中略)
現代的コミュニケーション、現代的対人態度というものの中にある毒を清めたいときに、「葉隠」を読めばいいと思う。
「葉隠」をサラリーマンの心得みたいに思うことは、ずいぶん間違いだと思うのです。
ぼくは、もうちょっと人間関係ががたぴししたらいいと思うのです。人間関係全部ががたぴししないから、
集団の衝突になっちゃうのがいまの世の中だと思いますし、いまの近代社会というものの宿命だと思います。
どうも人間関係ががたぴししないで、あまり円滑にすべりすぎるから、一方では衝突が起こるのだろうと思います。

三島由紀夫
相良享との対談「『葉隠』の魅力」より
0499ナナシズム
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2011/07/17(日) 02:33:04.39ID:syrstDqQ
日本人の皮を被った中国人の特徴


電車やバスの中で音漏れさせながら音楽を聞いている。
電車やバスの中で大声で話している。
電車やバスの中で、携帯の着信音量をマナーにしないどころか、大音量で鳴らしている。
携帯を操作しながら自転車に乗っている。
イヤホンして音楽を聞きながら自転車に乗っている。
未だに喫煙禁止区域でタバコを吸っている。
車は軽かミニバンか型落ちのセダン。
障害者スペースに車を駐車する。
客の立場だと上から目線。
普段は気にもしていなのに、大きな事故が起こると吠える。
自分が周囲にかける迷惑は棚に上げて他人の迷惑は叩きまくる。
自分が該当する行為の批判があると開き直り。
何かにつけて右や左に決めつけたがる。
先制で相手を在日やチョンと決めて火の粉を振り払う。
ニートなのに底辺職業者を見下す。
喫煙者に対して必死に叩く。
家庭ゴミの分別ができない。
家庭ゴミをコンビニのゴミ箱に捨てる。
歩くとき靴底を擦り、音を立てながら歩く。
0500ナナシズム
垢版 |
2011/07/31(日) 23:18:46.37ID:hGLqfZRW
三島:(小高根二郎の「果樹園」に)戦争中、丹羽文雄が「海戦」を書いたときに、ぼくを非常にかわいがって
くれた先輩の蓮田善明が丹羽を非難攻撃した話が出ている。丹羽という男はいかに頑冥固陋な男か、海戦の最中、
弾が飛んでくるなかでも一生懸命メモをとって海戦の描写をしている。これは報道班員として任務を遂行して
いるわけで、そのために丹羽は名誉の負傷までしている。ところが蓮田は丹羽を非難して、なぜそのときおまえ
弾運びを手伝わないかといっておこっている。(中略)そこにはかなり重要な思想が入っていて、ほんとうに
文学というのは客観主義に徹することができるか、文学者はそういうときにキャメラであるのか、単なる「もの」を
記録する技術者であるのか、あるいは文学とはそういうときにメモをとることをやめて弾を運ぶことであるのか、
という質問を蓮田がしているのじゃないかとぼくは思う。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より
0501ナナシズム
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2011/07/31(日) 23:19:42.36ID:hGLqfZRW
三島:ぼくはそれは丹羽文雄が悪いとは決していってない。丹羽文雄は己れの信奉している文学の観念に
忠実だったと思う。ぼくは丹羽文雄のシンセリティーを微塵も疑わない。
(中略)総力戦というのは人間をあらゆるフィールドにおいて機能化してゆくものですね。大砲を撃つ人は大砲、
報道班員は文章によって記録あるいは報道し、あるいは軍宣伝のために利用される。そういう近代的な総力戦では
丹羽は正しい任務を果たしている。だけど文学というものは絶対そういう機能になり得ないものだということを
信じたい。
そうすると、文学が絶対に機能になり得ないということを証明するためにはどうすればいいかということになると、
そのとき弾を運べばいいじゃないかという結論になっちゃう。いかに邪魔でも、どいてくれといわれても。
(中略)
中村:それは戦時でなくいまの技術社会でもそうだね。

三島:いまおこっている問題なんだ。それは戦争の話と考えていない、いまおこっているものだ。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より
0502ナナシズム
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2011/07/31(日) 23:20:33.38ID:hGLqfZRW
三島:ぼくはその問題はそういうふうに現代の問題として考えるのだけれども、文学の機能化ということと
文学と行動との問題はいつもからみ合っているというふうに考える。なぜなら、現代技術社会における行動とは
その九九%までが、自分の機能によって縛られているもので、これは戦時中から「職域奉公」という思想で
はじまっていた。文学にしたって同じなので、(中略)文学文学と言っていればいいかというと、それこそ受身で、
しらずしらずのうちに機能化されてしまっているということが現代なんだと思うな。(中略)平和な時代だと、
実に複雑なヴァリエーションに富んでいて、のんびり芋掘りの話を書いていても、文学好きの実業家の消閑の具に
使われているかもしれないから、うかうかしていられぬわけだ。(中略)文学をこういう「しらずしらず」の
機能化から目ざめさせるには、文学外の行動の必要が起ってくるのじゃないか。その弾運びだけが文学だという
状況が来るかもしれないのではないか。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より
0503ナナシズム
垢版 |
2011/08/01(月) 22:45:32.75ID:SVvnelVG
あの時代以降
三島由紀夫達だけが本当の日本人

自衛隊が三島の言うとおりにしていればこんな日本にはならなかった
0504ナナシズム
垢版 |
2011/08/07(日) 16:59:07.25ID:TFuodX0P
三島:つまり、文学者が、言葉イコール行動、文学イコール行動と信じていることは、しらずしらずの機能化に
からめとられる危険があるので、あるとき自分の機能から絶対に離れたところで「何かのため」という行動を
やってみたらどうだ。(中略)
そこで、自分をそうやって文学からあるとき弾き出す力というものを、文学に本質的に具わった逆説的な
(ある意味で健康な)能力と考えるか、そういう力はもともと文学に存在しないと考えるか、で考えが完全に
二分されると思う。蓮田善明はその前者の考え方をした人だと思うし、僕は狭義の文学というよりも、どうしても
そういう広義の文学というものに魅力を感じる。そしてそれは、どちらがより強く文学を信じているか、という
信仰の形の論争にもなると思います。しかし、現実の例は、それほど高尚な話ではなくて、今起っている文学の
機能化というのは、簡単にいえば中間小説化ですよ。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より
0505ナナシズム
垢版 |
2011/08/07(日) 16:59:48.81ID:TFuodX0P
三島:汚れてない思想というものはぼくは文学のなかにあるかどうかは疑問で、汚れてない思想というものは、
もしその思想を信奉すると文学を捨てなければならぬかもしれないという危険がいつもある。それが文学と行動との
問題にぶつかってくる。
(中略)
もし技術社会のなかにおける文学の機能ないし技術ということを考えれば、いまのテレビなどに毒されている
大衆が要求し、その大衆が人生の慰めあるいは疲れ休めとして要求する技術的によくできたおもしろい小説で
十分じゃないか。それ以上に現代読者ないし現代社会は何も要求していないと思う。一部の気ちがいじみた青年は
文学に哲学を求めたり文学に思想を求めたりするかもしれないが、社会はそんなものを全然要求していない。
ですからプロレタリア文学時代よりいまの時代のほうが文学が社会から要求されていないという意識は強かる
べきだと思う。

三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より
0506ナナシズム
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2011/08/15(月) 06:29:44.46ID:???
朝鮮半島で、差別され搾取されていた奴隷階級=白丁。
終戦後のドサクサに紛れ、差別から逃れるため、白丁は日本に密入国。
勝手に戦勝国民を名乗り、朝鮮進駐軍を組織。
日本各地で、殺人・強盗・強姦・暴行・土地の強奪等極悪の限りを尽くす。
そして、不法に占拠・強奪した駅前の一等地でパチンコ屋を開業。
暴利を貪り、蓄財する。
その穢れた金で、低脳私大に進学し免許を得た、朝鮮人の医師・歯科医師が多数存在する。

日本人なら真実を知ろう
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-748.html


0507ナナシズム
垢版 |
2011/08/18(木) 22:07:00.95ID:UePUfZAH
(堤氏の父・堤康次郎氏の)家長というもののすご味を感じたな。冷酷なようだけれども、家を守るということは
ああいうことだね。いまのヒューマニズムじゃちょっと割り切れないが、あの当時、そんなヒューマニズムなんて
言っていたら、みんな三国人に取られちゃいますよ。(笑)


ルース・ベネディクトの「菊と刀」という本がありますが、これほど日本を馬鹿にした本はない。しかし
「菊」というのは文化で「刀」が武道という分け方は面白い。戦後は文化国家というので全部「武」に関するものは
抑圧されちゃった。みんな腰抜けを製造するのが文化みたいになっちゃう。もちろん戦争中のように軍人が威張ると、
軍人自体が腐敗して、頽廃していくんです。(中略)
ほくは、学生にアニマルプライドを持てといってるんだ。(中略)「千万人といえども吾往かん」というときに、
千万人のほうに自分を入れちゃうから、吾のほうがなくなっちゃう。(笑)「楯の会」でも百人が群なんじゃないんだ、
一人一人なんだということをしきりにいうんです。

三島由紀夫
堤清二との対談「二・二六将校と全学連学生との断絶」より
0508ナナシズム
垢版 |
2011/08/18(木) 22:07:49.11ID:UePUfZAH
三島:(二・二六と全学連を)くらべること自体、二・二六の将校への冒涜ですよ。二・二六の栗原中尉というのは、
火薬庫を守るのに将校が不寝番をやるんですが、栗原中尉だけは、いねむりしたところを見たことがない。
なぜだろうというと、従兵が言うには、いつも下着に血がついている、ナイフで突っついていたからというんです。
全学連の指導者はなにをやっていますか。安田講堂の攻防では指導者は前の日にみんな逃げちゃった。人間という
ものはそんなものじゃないんです。やれ世間にがまん出来ないとか、破壊か先だとか、表面的な類似で
二・二六事件をいっしょにすると、冗談言うなというんです。

堤:今の学生には純真さがない。(中略)

三島:人間が悪くなったんだと思いますよ。それは青年の責任でね。大人の教育が悪いという考えは、とても
嫌いなんです。「楯の会」の講義で、「君ら教育が悪いとか社会が悪いとか一言も言うな」とぼくは言うんだ。
(中略)どうして運命を自分で背負わないんですかね。運命はどんな時代だってあるでしょう。背負わない人は
嫌いなんです。

三島由紀夫
堤清二との対談「二・二六将校と全学連学生との断絶」より
0509ナナシズム
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2011/08/26(金) 15:16:15.18ID:???
三島由紀夫氏って「女系天皇も認めるべきだ!」って言ってた人だよね
0510ナナシズム
垢版 |
2011/08/27(土) 09:33:29.09ID:c4Neb5Wb
>>509
三島本人がそういうことを言ったものや触れた発言は残されてはいないです。
ただ、三島死後に楯の会の人達が作った憲法草案の話し合いの記録で、女性の天皇(女帝)も容認するような案にはなってますが、
それは「女系」を続けるって意味とは違うようですよ。
0512ナナシズム
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2011/10/06(木) 10:04:38.53ID:3HKakoTx
0513ナナシズム
垢版 |
2011/10/14(金) 23:01:17.91ID:jjRqXoFt
【反在日国粋主義】の皆様!迫田大治選手(町田/横田スポーツ)の後援会を作ろう!
http://mimizun.com/machi/machi/tama/1317574365.html
【反在日極右国粋主義者】の皆様【皇国の若き雄】迫田大治選手の
後援会へご入会ください!
ご入会のお問い合わせは【迫田大治選手応援ブログ】まで。
ブログはただ今作成中です。近日アップ致します。
0514ナナシズム
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2011/10/15(土) 02:49:52.09ID:aWcZxRqe
フジテレビデモ
花王デモ
要チェック
0515ナナシズム
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2011/11/08(火) 22:10:34.80ID:Vln6Q+qN
0516ナナシズム
垢版 |
2011/11/28(月) 13:57:21.94ID:9RSAWdKB
0517ナナシズム
垢版 |
2011/12/13(火) 12:02:06.04ID:mlxM14bY
0519ナナシズム
垢版 |
2011/12/14(水) 14:42:50.19ID:M9tDz1/E
田舎に住んでる親父!
田舎のお袋!田舎の同級生!会社の同僚のみんな!
http://www.youtube.com/watch?v=eLsZqEyCH_0&sns=em
肛門が開いたまんまのケツマンコオープンリーゲイの俺は
日本最大のホモの町の中野区で彼女と別れて生きて行くよ!

近所や職場でゲイ疑惑がある同僚やホモのウワサがある仲間や友達や親族を見つけたり探したり確認したいなら

この動画を見てくれ!
http://www.youtube.com/watch?v=HcvArkQtoIA&sns=em

各企業の採用担当者や面接官には
俺たち就職を控えてるゲイの大学生が東京の路上で伸び伸びとハシャイでる素の姿をみて欲しい

http://www.youtube.com/watch?v=ewEKGHujCng&sns=em
0520ナナシズム
垢版 |
2012/01/07(土) 14:56:19.94ID:K2zqrRpe
日米不平等条約からTPPを考える | Seetell.jp
http://seetell.jp/15590
0521ナナシズム
垢版 |
2012/01/22(日) 23:01:29.36ID:G+ptnrb4
日本の同性愛者に忌み嫌われ敬遠されてるキモい代表といえば
同性愛者を人間モルモットのように扱う
同性愛研究してる社会人類学研究者。

媚びた笑顔を浮かべながら新宿二丁目のゲイバーに出入りしながら
同性愛者に近づき気安く話かけては

同性愛者の生態を研究対象にして自分の学問的成果と業績のために同性愛者を食い物にし利用してる
【文化人類学者のホモ研究者】

男性同性愛者やレズビアン同性愛者の生態を根掘りはほり聞き出しては
自らの学問的研究成果を発表する学会や論文にて
聞き出した同性愛者の了承もなく
同性愛者の個人情報利用し尊厳を踏みにじる
傍若無人な同性愛者の社会人類学者は気味悪さは抜群で
研究対象にされた同性愛者からは不満や批判が多い。

0522ナナシズム
垢版 |
2012/02/09(木) 23:42:21.46ID:unwaaADh
武士とは死の職業である。どんな平和な時代になつても、死が武士の行動原理であり、武士が死をおそれ死を
よけたときには、もはや武士ではなくなるのである。

三島由紀夫「葉隠入門」より
0523ナナシズム
垢版 |
2012/02/12(日) 20:39:50.78ID:???
日本人を白痴化する漫画・アニメ・ゲームを日本から一つ遺らず追い出そう。
大和民族の誇りを奪う上井草などのアニメ制作会社を廃業に追い込もう。
0524ナナシズム
垢版 |
2012/02/15(水) 02:13:53.47ID:tj7fYvba
また!アナルセックスしてるホモ同性愛者が犯罪を起こしたわ!
ゲイが起こす事件が激増
今度は山形県の介護士の大嶋佳紀(40)が富山の少年を売春と恐喝ですって!
http://m.logsoku.com/thread/engawa.2ch.net/poverty/1329025838/
富山南署は2012年月12日までに、児童買春・ポルノ禁止違反(買春)の疑いで、 山形市寺西。介護士 大嶋佳紀(40)を逮捕した
逮捕容疑は昨年2011月12月26日ごろ、
富山県の少年に会うために訪れた富山市のホテルで少年に現金を渡す約束をし、みだらな行為をした疑い。同署によると、二人はインターネットを通じて知り合い、数回会っていた。
少年は大嶋容疑者から
「自分の言うとおりにしないと、人にばらす!」と言われたため親に相談。親が警察に通報し発覚した。

アナルセックスしてる同性愛者だと公言して当選した、
肛門が開きっぱなしの
ケツマンコオープンリーゲイ議員にも苦情が殺到するわね

0525ナナシズム
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2012/02/19(日) 08:59:59.84ID:???
ところで、目下八巻正治さんについて関心を持つようになってきたのでさまざまなインターネットを閲覧してみるようになりました。
旧来八巻正治さんについては大してわからなかったところもあったけど随分サイトなどに書き込みが存在するものですね。
八巻正治さんはたくさん検索されているように思われます。八巻正治に関して少し調べてみると、八巻正治さん関係の記事が出るわ出るわ。
八巻正治さんについていろいろと言及しているんですね。
0526ナナシズム
垢版 |
2012/03/03(土) 19:50:29.16ID:3ZotlveD
保守
0528ナナシズム
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2012/04/25(水) 19:18:43.61ID:lJBKObr1
公開講座 寺尾克美閣下(退役陸将補)を招いて
**********************

日時: 10月22日(月)18:30〜 (18:00開場)
場所: アルカディア市ヶ谷(私学会館)
講師: 寺尾克美(退役陸将補)
演題: 三島由紀夫事件の真相
会費: 二千円(会員は千円)
講師プロフィール:昭和4年生。愛媛県出身。昭和28年早稲田大学卒業、
保安隊(当時)幹部候補生学校入校、以後経理将校畑をあゆむ。
三島事件当時は41歳の3等陸佐。旧陸軍では経理畑では主計中将が最高位でしたが、
自衛隊では陸将補(少将相当)が最高位です。昭和59年退官。
0529ナナシズム
垢版 |
2012/05/08(火) 00:59:21.21ID:???
三島:韓国人は全て悪!死ね!殺せ!根絶やしにしろ!!
チョウセンヒトモドキには関わるな
韓国人は須らく差別されるべき
それでチョンになんか言われたら「全部お前らのせいだから^^」って言っとけ
多少なりとも脳みそがあんなら改善するだろ
たとえ良い韓国人でもその本質は変わらないんだこれが
韓国人はクズだからな
世のため人のために成敗するのが筋ってもんだろ
韓国人は礼儀知らず恥知らず恩知らずだから世界とは相容れない

三島由紀夫
林房雄との対談「対話・発達途上の朝鮮人」より

0531ナナシズム
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2012/05/31(木) 16:24:40.62ID:???
30歳過ぎてボディビルを始めて「憂国」なんて言い出す馬鹿の見本
実際に格闘技の試合をすれば自分がいかに弱いか、勝負に絶対はないという事が分かったはず

あと身長174cm(10cm以上鯖読み)とかベンチプレス90kgとか見栄を張りすぎ
現実を見ていない
0532ナナシズム
垢版 |
2012/05/31(木) 23:53:12.99ID:5IqDfDOi
三島由紀夫は甘え
0533ナナシズム
垢版 |
2012/06/01(金) 23:48:09.28ID:UNWy2Ek0
綱渡り事件もな
こんなもん読むやつの気が知れん
0534抽象化厨
垢版 |
2012/06/02(土) 02:48:50.78ID:E4i8ObXK
三島の1人勝ちですね、、流石としか云い様が無い

三島の理想は男でありながら女には本質的に敵わない事を理解し、男としての考えでもって失敗(馬鹿)をする男

理論的に考える男にとって女は理解できない事が多い、だから所謂男は女は馬鹿だというが女は考えなくて良いので考えないだけ
女の凄い所は本能のまま生きれる所、感性に素直に生きる所 これは男にはできない男は理論と云う努力で補おうとするが資質的に無理
三島の理論では女は納得しない事への苛立ちと嫉妬は激しい 努力家にとっては辛すぎる現実

次に三島は狂気染みたアイデンティティへの執着を表す
男は理想を語るが大概浅はかで失敗する、それを力や酒や女で晴らす 不器用さこそ男らしさ
それが行き過ぎる程、女にも世間にも理解はされなくなる しかしこれが狙い
理解されるという事はその個性が個性的ではなく平凡な没個性である証 醜態を晒し最後に残りそれでも求める者こそが真の理解者
言葉的には可笑しいが 理解できないがその個性を愛してくれる人 

だから三島は世間の不理解を求め、時代に抗い、女(本能のまま欲する)として男(馬鹿、不器用さ)を愛する試みまでしてみせた
尚且つ著作にその強欲ぶりを表し三島を本当に理解した者だけに寒気を覚えさせ
また残る映像などで自身でそれを体現する行動力を見せつけることに成功した

俺はこれだけの強欲を持ちそれを体現した人物を他に知らない
世の中が三島をホモのキチガイと言えば言うほど三島は笑い 
偶々著作を手に取った者が本意に気付いた時 三島は糞!と悔しがりながらまた微笑むだろう
0535抽象化厨
垢版 |
2012/06/02(土) 02:58:46.18ID:E4i8ObXK
つまり皆、三島劇場に騙されたんですよ

憂国、ボディービル、同性愛、つたない剣術、美しい文体 

全部お芝居 

三島は文体だけなんて本人腹抱えて笑うだろうねw 引っ掛かってるよってw
0536ナナシズム
垢版 |
2012/06/27(水) 06:44:41.47ID:lMVNH1q/


【 おかしなものを吸引・服用・使用すると中枢神経を刺激され後遺症が残る。 】

0537ナナシズム
垢版 |
2012/06/27(水) 18:33:20.24ID:lMVNH1q/

アナボリックステロイドは耐久性の運動競技や有酸素運動における能力の向上をもたらすものとして、
1960年代の初め頃から重量挙げの選手やボディビルダーらの間で注目を集め始めた。

【副作用】
・多毛症:顔、乳首の間、背中、肩、大腿の裏、臍下、殿部などといった、本来は無毛の部分への体毛の出現。
・精神的症状:鬱病的症状、妄想、気分変動の激化、パラノイア、苛立ち。
・行動変化:攻撃性や突発的な暴力衝動の発現。

0538ナナシズム
垢版 |
2012/06/29(金) 20:04:24.70ID:osjWLo6I

コイツ危ないぞ。

ttp://www.youtube.com/watch?v=QrlOpFP-Jk8

ttp://www.youtube.com/watch?v=jZsJQPxcA0Q

ttp://www.youtube.com/watch?v=_PYXrFh3bTk

0539ナナシズム
垢版 |
2012/07/11(水) 10:10:42.13ID:O7/Zxq09
公開講座 寺尾克美閣下(退役陸将補)を招いて
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日時: 10月22日(月)18:30〜 (18:00開場)
場所: アルカディア市ヶ谷(私学会館)
講師: 寺尾克美(退役陸将補)
演題: 三島由紀夫事件の真相
会費: 二千円(会員は千円)
講師プロフィール:昭和4年生。愛媛県出身。昭和28年早稲田大学卒業、
保安隊(当時)幹部候補生学校入校、以後経理将校畑をあゆむ。
三島事件当時は41歳の3等陸佐。旧陸軍では経理畑では主計中将が最高位でしたが、
自衛隊では陸将補(少将相当)が最高位です。昭和59年退官。
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