【考古学】平和な時代とされる縄文人の頭骨に武器によって破壊的に突かれた痕跡、東大が発見 [すらいむ★]
弥生時代や古墳時代に朝鮮半島から流れ着いた頭の狂った醜い一重まぶたの新モンゴロイドに武器で突かれたんだよ >>96
>>97
もちろん縄張り争いはあるだろうが、農耕時代前後では程度が違う
集落規模は家族レベルだろうし多くても100人程度だろう
狩り主体の時代ならばどちらにせよ定期的に移住する必要がある
今だって農耕関係ない時代だから隣人が嫌なら引っ越せばいいだけ >>101
>もちろん縄張り争いはあるだろうが、農耕時代前後では程度が違う
昔の戦争は、負けたほうは男は(女も?)皆殺しで食ってたのが、農耕時代になって奴隷化もするようになったから、
そりゃあ違う、だから何?
>狩り主体の時代ならばどちらにせよ定期的に移住する必要がある
夏の家と冬の家とかは、全部含めて縄張りだっての、そこまで生産性低いんだよ
>今だって農耕関係ない時代だから隣人が嫌なら引っ越せばいいだけ
つい最近までニューギニアとかでは殺し合い食い合いやってたのに、まだ引っ越しとか妄想してんのか そりゃ小競り合いも犯罪もなかったわけがないが、
組織的に大勢の人間を殺傷出来るだけの強力な武器が
縄文の遺跡からはまるで発見されてないからな >>1
元の平和な時代って説がそんなあ…ってごり押しだったしな
そりゃ調査が進めばそうなるよね >>102
頻度だと記載している
・皆殺しは「皆殺しされるリスク」もある
殺したところで貯蔵技術が低い為に得るものもなく利点は少なかろう
リスクが高すぎる
・家族レベルの集落で夏の家冬の家両方の土地を全て管理できまい
広くなればなるだけ土地メンテ消費カロリーが増える
生産性低いなら尚更獲物を求めて移住せねばならない
・足りないものを補い合ったほうが遥かに淘汰圧に強い
・祭祀用に食人や生贄文化が無いとは言っていない
淘汰圧に強いかは別として。 >>105
>頻度だと記載している
程度と頻度の区別もついてないって、、、
>・皆殺しは「皆殺しされるリスク」もある
>>102
>負けたほうは男は(女も?)皆殺し
>殺したところで貯蔵技術が低い為に得るものもなく利点は少なかろう
貯蔵なら、戦争で即死しなかった奴は、手足を折るなどした上でしばらく生かしとくだけだぞ
>リスクが高すぎる
妄想が酷すぎて、何を言ってるのかもはや完全に理解不能
じゃあな 平和な時代だって喧嘩ぐらいあるぞ。父ちゃんと母ちゃんはしょっちゅう喧嘩してた。 ジャワ原人や北京原人みたいに 日本原人が発掘されるだろう。
日本民族は日本列島から生まれた。よって固有種である D系遺伝子はその裏付けでもある。 >>102
そんな事言っても数的な裏付けがないわけでしょ
縄文時代は食人の習慣が広く認められるから
骨を見ても他殺なのかどうかさっぱり分からん
平和だった証拠がない
三内丸山とか集落が大きくなると
縄文時代でも自然死だろうと思われる埋葬が増えてくるが >>103
>組織的に大勢の人間を殺傷出来るだけの強力な武器が
弥生時代はあったわけ?
爆弾でも投下したの? 高地性集落の時代に殺戮が多かったのは間違いない
武士だけ山城を作った戦国時代と違い全員が高地性集落に移動してる
殺害の痕跡もはっきりと骨に残ってる 食べると骨がバラバラになって発掘される
埋葬されるとまとまった形で発掘されるんだよ >>103
昔の武装って、手頃な投石用の石に黒曜石の槍一本とかでしょ
それで何万人も人を殺せなかったのは事実だろうが、そもそも集落の
人口規模が100人とかの時代なんだからそれで十分だろう
武器が投石と槍だから平和で優しい、というわけでもないんだし >>35
縄文と弥生の骨格の差は単に生活様式や食の変化。どちらも人種は同じ
渡来人が本格的に入ってきたのはもっと後世になって古墳時代以降 >>118
>昔の武装って、手頃な投石用の石に黒曜石の槍一本とかでしょ
ってか、その頃は兜や鎧はもちろん盾すらなかったろうから、相対的な殺傷力は金属剣が使えるようになった時代より上じゃね 東大人類学教室が縄文人の食人文化を調べたんだろう
それで日本人は朝鮮人だという結論に達した
これを日鮮同祖論という
そしてこれが韓国併合の根拠になった
東大はおかしいよ
いまから日本人の始祖が縄文人という話をしだすと韓国併合の根拠が揺らぐ
おかしなことを東大というところがするな
そこらへんの頭の悪い日本人をだましたいだけなら、ユーチューバーを使って適当に嘘を垂れ流しておけばいいだろ
東大がやるような事じゃない
本当に東大はレベルが下がりすぎ
おかしな大学
サッ ミ _______
∧_||// ∧__∧ | ∧__∧
(・ω・.||/ <#`Д´> | < >お前らには食人の習慣があった
( _⊃|| ( )/| \( )
し―-J ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `u--u' ジャップは都合よくすぐに歴史を修正する食人民族だ!! >>103
>>118
戦国時代後半に鉄砲や大砲が増えてくる以前と同様に縄文時代の主要な武器は弓
戦国武将の戦いを戦争と呼ばないなら縄文も然り 日本には継続的な食人習慣は無い
中国はきちんとした食文化の一つとして残ってるから本場はやはりあちらだろう
歴史の重みが違う >>121
すべてのセンテンスの意味内容が虚偽であるという、世にも珍なる投稿 >>119
鍵・唐古の人骨のミトコンドリアDNAが縄文人と同じだというからな 孔は頭骨の外面から内面に向かって拡大する、典型的な「刺器損傷」の形態を示すことが判明。近現代であれば、「銃器損傷」でも見られるものだという。
銃ね
縄文時代に組の抗争かな >>30
大雑把に言うと、まず海洋民族越人がやってきて
大陸で戦乱があるたびごとに古代の中国人が来た
呉だの漢だのなんだのかんだの多民族が日本で混血
だと思う >>126
縄文時代じゃそこらにある適当な石を投げてたのだろうけど
投射用にわざわざ選別・作成された投弾と呼ばれるものは弥生時代の遺跡でしか見てないな
縄文時代の遺跡でも出てきてたんだっけ? >>131
大阪市長原遺跡の投弾とか
害獣駆除に使ったと言ってる学者もいて笑える
見たんかと
敵や獲物は選ばずに使えばいい時に使うだろうよ >>126
縄文弥生を通じて致命傷を与えたと判定された遠距離兵器は弓(矢)に限られる
戦国期でも行われた投石は戦術としてはともかく効果の点で主要な兵器とは呼べない 縄文人は人間を食べる食人文化があった(東大)
日本人の始祖は縄文人で大和王権はもともと邪馬台国(NHK,京大)
縄文人に食人文化があったことがバレると具合悪いから修正しよう(東大)←いまここ >>134
食人とかたいしたこたぁねえよ
中国とか当たり前にやってるしなんならレシピまで沢山残ってんぞ >>1
「平和な時代とされる」→嘘
典型的な誘導記事
明らかに広告代理店が言論誘導しようとしてる
だから食人がなかったことにしようというプロパガンダだとバレバレと言っているのだ
日本人はすぐにこういうことをする
本当に嘘つき民族
ろくな民族じゃない
嘘つき歴史修正土人 貝塚とか見に行ったこと無いだろ
どんだけ長期間、食べ放題だったのか驚くよ
呪術的な意味合い無しで飢えもないのに人肉食わないって >>138
中国人に言うてやれよ
普通に食材として扱ってたぞ 現代の倫理とか制約がなければ食べられる物がそこに有るなら食うのでは無いかな。
最初にxxを食った人スゲえ的なのもあるが。 貝塚って名前悪いよね
千葉の加曽利貝塚とか見に行くと貝集落だね
セメントで基礎作ったみたいに貝だらけ
集落の片隅にあるゴミ捨て場に貝を捨てましたというレベルじゃない
1mくらいある貝の層の上に竪穴式住居作ってる
100年以上前に捨てた貝の上に住居
水はけもいいしわざとやってたに違いない
ただしそれでも人も食いたくなる可能性はある >>138
>貝塚とか見に行ったこと無いだろ
>どんだけ長期間、食べ放題だったのか驚くよ
食べ物に困らなければ20年くらいで人口倍増するから、食べ物に困るようになるまでは一瞬 >>137
相変わらずおまエラは具体的なことなにも言ってねーな >>142
環境収容量いっぱいの状態まで繁殖するとして、その状態がイコールで
「食べ物に困る」というわけではない
生物が食べ物に困るのは環境が不安定な場合で、不作などで今まで
養えていた人口分を下回る収穫しか得られなかった時に初めて飢える
環境と人口が安定してる状況では、基本的に飢えることはない >>144
>環境と人口が安定してる状況
>>142
>食べ物に困らなければ20年くらいで人口倍増する
なんでこんな基本も無視して、中身のない長文書くのやら >>144
馬鹿なのかエデンの園の話は他所でやってくれ 貝塚は貝を似て干して
貝塩を作っていた所も多いんだよ
物々交換で木の実や動物の肉と交換していた >>145
「食料が足りている」のと「食料に余剰がある」のとは別の状況なんよ
人間は余剰があればその分人口を増やすけど、余剰がなければ人口は増えない
というか現実に、人間集団が常に人口爆発と飢餓に拠る激減の乱高下を
繰り返していたかと言えば、全くそんな事実はないわけで
別に縄文人が常に飽食していたなんて思わないけど、どれだけ豊かな土地でも
常に人口爆発の末に飢えて人肉食ってたはずだ、なんて馬鹿な話には与しない >>148
>「食料が足りている」のと「食料に余剰がある」のとは別の状況なんよ
なんだ、この馬鹿?
>人間は余剰があればその分人口を増やすけど、余剰がなければ人口は増えない
食料の奪い合いで戦死するからな、だから何?
>というか現実に、人間集団が常に人口爆発と飢餓に拠る激減の乱高下を
人口爆発w
乱高下wwwww
どっからそんな妄想が出てくるのやら 中国は割りと乱高下してるけどな
カニバリは包囲戦とか、基本飢えた時にしかやらない >>150
いやあそこは特に飢えて無くてもある程度の需要と供給はあったみたいだぞ
春秋戦国頃はごく一般的な食材として記録されてるし 臣下に裏切り者の肉を振る舞ったりな
だけどあくまでも一時的なものだろう
第一不味い 戦争関係なく偉い人に自分の子供の肉を振る舞ったりしてるだろ
紅衛兵もブルジョアの校長や工場長をやっつけて食ってたし 劉備玄徳もどっかの奥さんのお肉ご馳走してもらってたな >>153
江戸時代も知らない間抜け。
あと、戦国時代も人口が激増してそこまでヤバい時代でもなかった。 しかし常に自然環境的な身の危険(突然起きる自然災害、飢饉)があったから故の協力関係に根差す文化的成熟度の高さなんで
武力が有るから起きる戦乱だらけの大陸側とは違って"平和"だっただろう事は確か 考古学的成果を上げることに目が眩んで、
バイアスが入っている。天下の東大も劣化した。 狩猟採取で生活していた縄文時代が平和なわけないだろ >>155
まあ、あれは春秋戦国時代の書物からの創作でしょ
劉備ごときにそこまで尽くすアホはいない >>58
「戦争などの殺人行為による」人口当たり死亡率:狩猟採集民族>>近現代の国家
◎農耕(重労働)…領民(労働力)は財産
●狩猟採集…縄張り争いの相手を、追放or皆殺しにすると(奴隷は減るが)自分らの取り分増加
…さて「皆殺しに抵抗無い」のは農耕民・狩猟民のどちらか?
> 昨日までの世界(上) 文明の源流と人類の未来 (日経ビジネス人文庫) [文庫]
> ジャレド・ダイアモンド
> 日本経済新聞出版社
〜
● 暴力や戦争による死亡者の数は、人口比率でみても、歴史的な資料から減少傾向にあるのは
ピンカーの書いた、
『暴力の人類史 上』『暴力の人類史 下』でも指摘されていた。
この本においては、
★ ある程度人口密度高く居住している、ニューギニアなどの狩猟採集民族は、周辺の交易関係があり、
★ 同じ言語を使う他の民族との間で、頻繁に紛争・戦争を行い、殺人行為を行っていることがわかる。
★ その人口あたりの死亡率は 近現代の国家よりも圧倒的に高い。
また、通常、狩猟採集族時代から農耕社会に変化し、資源の貯蓄が可能となってから以降、
その資源をもとに争いが生じると言った説も聞かれる。
▲ しかし、この本によれば狩猟採集民族であっても
▲ 狩猟採集活動をする土地の争いなどを原因として戦争が絶えないとのこと。
なお、狩猟採集民族を観察している西洋人がいる前では
戦争行為を見せないようにすることによって、
◆ 狩猟採集民族は平和的と言った、
◆ 人類学当初の誤解が生まれてきた可能性も指摘されている。 縄文人っていうのはニューギニアから流れ着いた食人文化をもつ民族だった
これはバナナタイプという学説としても有名
最近、テレビでやたら日本人が縄文人だったというふうに誤解させる報道がおおいけど、もともとニューギニアの食人民族だったことは報道しないんだよな 人口は25万人くらいか
全国の縄文遺跡は、大半が東日本に集中しており、縄文期の人口も、このように分布していたと推定される。穏やかに増加する人口は縄文中期(紀元前2~3,000年ごろ)には全国で25万人余りに達した。
人口密度は、関東地方で300人/100km2、その他の東日本でも100人/100km2程度で、狩猟・採集経済社会としては発展の極限に達していた。これに対し西日本では、10~20人/100km2ほどであった。縄文中期以降、全体の人口は減少に転じ、また変動が急激になり、地域による差も出てくる。東日本で人ロが減少したのに対し、西日本では安定して推移し弥生期に顕著な増加をみせる。これは、東日本の人口は狩猟・採集経済の許容限度一杯に達しており、気候の悪化が食物の生産力の低下をまねいたからであろう >>166
心理学の話で又聞きではあるんだけど、西洋の学者が未開の部族に研究のために同行を許可された場合、
他部族を紹介してくれと頼むと「奴らは食人をするから近付かないほうが良い」
と忠告される事が多かったそうだよ
実際には統計的に判別不能な者達を除いて食人をする集団はほぼ存在しなかったらしい
流し視聴してたつべの解説動画で知ったんでこの話自体ソースは存在しないんだがね
研究者の名前は出てたような気がしたが >>166
ニューギニアはごく最近まで食人してたってだけで、狩猟採取で食ってた時代はどこでもやってたよ なお少し北方では
種々の、北方先住民(※和人含む)が、(後から新成立した)アイヌ系の諸民族に制圧されていった
千島アイヌ(※15世紀以後、かなり遅くに新成立した民族)というのは
「オホーツク文化人(★千島列島の先住民)」を、アイヌが漸次同化・征服して新成立したもの
「トパットゥミ(★集落皆殺し・夜襲の風習)」の言葉もあるし、アイヌ系諸民族同士の抗争も凄惨だった >>1
そりゃあ、縄文時代でも殺人くらいあっただろ。 邪馬台国は、宮崎県西都市の西都原(さいとばる)で決まり。
、 お前が開けたんだろと疑えるほどの
学問者は権威失墜したから >>165
>なお、狩猟採集民族を観察している西洋人がいる前では
>戦争行為を見せないようにすることによって、
>◆ 狩猟採集民族は平和的と言った、
>◆ 人類学当初の誤解が生まれてきた可能性も指摘されている。
ってか、その観察してたつもりの西洋人も食われまくってるぞ
食われないようにするための研究方法として十分な食料を与えるようにした研究者だけが生き残った結果、食わな
いって報告だけが残ったってこったね
>>170
>実際には統計的に判別不能な者達を除いて食人をする集団はほぼ存在しなかったらしい
取材の報酬として食料供給したら、そうなるって 太古の時代にも不倫が発覚して
ブチ切れて殺しちゃうことはあったんだろうな >>164
怖いのはその創作かもしれないものが当たり前の最上級のおもてなしとして何の違和感もなく認識されてた文化よな
ごく普通に食べ物として見てたってことだし >>172
いや平和ってのは本当だよ
普通は考古学に明るいなら戦乱の頻度や文化水準で見る >>184
>普通は考古学に明るいなら戦乱の頻度や文化水準で見る
うんうん、いい視点だね
文化水準は食人が当たり前の最低状態で、戦乱は小集団間で起きるからそこまで大規模にはならないが、法の支配
とかないいわゆる私闘だから頻度は滅茶多いわな
で、そのどこが「平和」? >>185
食人を示唆する論拠が圧倒的に少ないと思わないか?
スレをセンセーショナルに受け取っても信憑性に欠けるね >>166
日本人(旧石器人、縄文人、弥生人、古墳人)の南方由来説は風前の灯 縄文人が食人民族だということに気が付いたのが東大人類学教室を作った時に招聘されたモース
それで、モースの学説に基づいてそのご東大は徹底的に縄文人のルーツを調べた
そして、真実は闇に葬られた、、、
なぜなら、日本人はニューギニアで食人をしていただけではなく、なんとウンコを食べていたのだった ウンコは出雲に農耕文化が入ってくるようになって味噌と呼ばれるようになった
ウンコの量には限界があったため、これを人工的に作る必要があったのである
農耕文化はつまり食糞文化であったのだ 食物が足りてれば人口が爆発的に増える根拠はなに?
農耕が始まってからならわかるけど、縄文は採取だぞ TVでやってたのが展示物を見た韓国人の高校の女教師二人がカメラに向かって
縄文時代があったのは分かりましたと繰り返し物凄く
悔しそうに言うシーン、レポーターは??の様子だった
先史時代がないんだってな、台湾はちゃんとあるのに そういえば「縄文時代は存在しない!」って学者とやらが一時期主張してたけどあれはどうなったんだ 日本人の先祖が野蛮だったということにしたい連中がいるようで 食人文化に持続可能性がないことくらい分かるだろうに…
ニューギニアの所謂食人族たちも、1900年代以降に植民者らや宣教師から文明の産物を得られるようになり、そのことによる富の偏在と人口の増加が始まって、村落間の抗争が始まり、霊力信仰と相手への威嚇のために食人を始めたことがわかっている
そのことによりクールー(狂牛病の人間版)が流行りはじめたこと、本人たちが苦しくて仕方なくなってキリスト教に改宗したことで、この習慣は1930年代には急速に消滅した
インドネシアや台湾のも、似た経過を辿っている 闘争したこともあるだろうが自然の脅威が高かった時代、闘争よりも協力が勝ったろう
遺跡の頻度的には協力したものの方が多かろう
これは闘争文化を持つ群れは自然淘汰されたことを意味しよう 鈴木隆雄1999「本当になかったのか縄文人の集団的戦い」
結論としてはあった
発掘された骨に見出されるほど頻繁に
ただし地域差があって特に多いことが認められてるのが北海道 内野那奈「受傷人骨からみた縄文の争い」
傷跡を丁寧に調べてどういう殺傷があったか検討している論文
もはや定説の一つ 縄文時代の人骨は獣骨と同じで解体され集落内に分散して発見されるケースが多い
分散埋葬ではないかというとんでも論文もあるが一般には食料にされたと見做されてる 具体的な証拠に基づいて殺人や食人が議論されてるのに
僕の頭の中の理想社会とその環境に基づいて反論する人が多い >>194
食人自体は頻度は少ないか皆無まで解釈の幅があるんだよなぁ
プレアイヌの一部に食人風習があった「仮説」が提唱されただけで、当時の日本には受け入れられなかった
モースはそもそも日本に進化論を広めた功労者で、しかも科学界の権威を多数日本に斡旋してくれた近代日本科学の恩人なんだよな >>186
>食人を示唆する論拠が圧倒的に少ないと思わないか?
狩猟してるのに人だけ食わないわけがないのに、お前は何を言ってるんだ?
ってか、平和を示唆する論拠が全くないのが、お前の主張な
>>187
南方から前人未踏の地に流れ着いたなら圧倒的に増えるが、一万年前には日本は大陸と地続きでその時移住して
きた人類が既に大量にいたから、誤差でしかないよな いやそりゃ平和な時代に殺される人だっているだろう
人間なんて戦争があろうがなかろうが争い絶えないじゃん >>195
何の根拠もなく、よくそんだけの妄想が書けるな
>>196
当時から頂点捕食者であった人類に対する自然の脅威って食糧難だのに、妄想がはかどるなー
>>201
お前のは論じゃないから、反論なんて無理だろ >縄文時代後期は寒冷化に伴う環境の変化により、木の実、動物などの食料が減少した時代である。
さらに東京、神奈川一帯では箱根山の噴火や富士山の噴火が長期化したため食料の確保が難しくなり、それに伴い急激な人口減少が起きている。
そのため東京、神奈川では縄文時代晩期の遺跡はほとんど見当たらない。
その際、寒冷化に伴う食料資源の減少が少ない海産物を中心に食料の確保をしたため、この貝塚ができたとされる。 食料調達手段としての食人にメリットがなさすぎる
育てるのに手間もかかり、食べたところで病気のリスクも高く反撃のリスクもある
アステカ帝国みたいに儀礼用生贄用なら選択肢もあるだろうが >>203
お前の場合、そう主張するなら食人の頻度について言及する必要があるし
しかもそれを示唆するものが提示されていないではないか
https://www.okayama-u.ac.jp/up_load_files/press27/press-1603330.pdf
https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/633/633PDF/uchino.pdf
上は戦闘頻度へのデータに基づいた直接的な言及
>縄文時代の受傷人骨データから暴力による死亡率を算出し、世界各国の先史・民族文化と比較
(1)約1万年におよぶ縄文時代の受傷人骨データを網羅的・体系的に収集し、暴力による死亡率を初めて数量的に算出した。データ総数は2,582点(人骨出土遺跡数は242箇所)、うち受傷例は23点、暴力による死亡率は1.8%である。
(2)縄文時代の暴力による死亡率は、さまざまな地域、時代の狩猟採集文化における暴力死亡率(10数%、今回の成果の5倍以上)にくらべて極めて低い。
しかも縄文時代の戦闘について「無かった訳では無い」という主張に留める論文でさえも
>相対的に戦力が低い縄文時代の条件では、弥生時代の様な激しい闘争は不可能であり、
例え対立が激しかったとしても、狩猟の延長線上に位置づけられるような未熟な戦術をとる小集団同士であるため、その規模は小さいものである。
一方、弥生時代以降は明確に人を指向した戦術や武器の出現と、集団の大規模化によって縄文時代とは異なる殺傷パターンが生じた。
この違いが縄文時代と弥生時代のイメージを大きく分けているのであろう
と言い切っている
さぁお前の番だよ、反論してみてくれ >>203
無視されづらいように再度レスするが、
俺は「平和を示唆する論拠」を直接お前に提示したぞ
反論待ってるぜ >>206
自然増がなかったどころか減ったってことは、自然増分以上が餓死か戦死してたってこった
で、もしおとなしく餓死するような文化もってる連中がいたとしても、あっという間に淘汰されて消えるだけ
>>207
>食料調達手段としての食人にメリットがなさすぎる
>育てるのに手間もかかり、食べたところで病気のリスクも高く反撃のリスクもある
食料奪い合う敵と戦わないと餓死するって状況で、敵を殺したついでに食うのに「育てる」とか「反撃のリスク」とか、
お前どんだけ頭おかしいんだ?
寄生虫病やプリオン病のリスクも、野生動物食うのと変わらんぞ >>208
>お前の場合、そう主張するなら食人の頻度について言及する必要がある
ない
>https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/633/633PDF/uchino.pdf
それ、
>>198
>内野那奈「受傷人骨からみた縄文の争い」
>傷跡を丁寧に調べてどういう殺傷があったか検討している論文
>もはや定説の一つ
で、結論に、「縄文時代は明確な殺意のもとに狩猟技術を応用した戦闘が行われていた時代であると位置づけ
ることができる。その戦闘技術は弥生時代では廃れてしまう歴史的な戦闘技術であり、「けんか」の類とは意味
が異なる。弥生時代に比べて戦闘技術が発達していないことは事実であるが、それは社会組織と武器に制約
されていたが故であり、縄文時代は縄文社会特有の戦闘行為が行われていた時代であるといえる。」って書い
てある論文なのに、何自爆してんだ?www 縄文人だって狩猟はしてただろうし武器もあるだろ
平和だからと言ってまったく人が争わないわけでもないのに
ボノボやイルカのレイプヤリンチもある
動物だってそうなのに人間・類人猿がやらないわけがない
半端な情報だけで想像をさも事実のように文献や記事にするほうがおかしい >>210
日本人は縄文人の子孫だが
お前は遺跡に対して何を言ってるの?お前らがそこに居るのは俺的におかしいと言いたいの? >>211
>ない
ソースの無さをあっさり認めるんだな
>何自爆してんだ?
いやいや、お前ちゃんと読めよ
その論文は戦闘技術の遷移について結論されているだけでつまり「戦闘の統計的多さ」には言及していない上、
弥生時代の戦闘技術が対人に特化している事を示しているだろうに
俺がなんて書いたか覚えてないのか?
>>184
んでお前からは結局具体的な反論が出てこないな
明らかに縄文時代は "平和" です 朝鮮には歴史思学舎が居なかった
中国や日本のマネして朝鮮の歴史を作り初めたのが
戦後・そこで朝鮮民族は動物の熊が先祖と言い始める
中国も日本もそんなバカなことはあり得ないから止めろと
言うが聞き入れず熊の祖先が朝鮮人が正史になる
本当に正史。今では信じてる韓国人、あまりいないと思うけど
国としてこれを否定はしていない、それが韓国の歴史観
だから日本の縄文文化は誰一人教わっていないし知らないので
発掘や事実に元づく現実を否定するしこうだっただろうの願望で
歴史を語る 弥生時代と比べたら少ないまで主張は後退したようだな
縄文時代は殺し合ったり食人するわけがない
そんな理由がないという猛者はもう現れないのかな >>215
日本人だって先祖は神様だからたいして変わらん
あいつらの問題はそこじゃねえだろう >>216
元々平和だって言われてたところに殺人が日常的に起こってたと吹っ掛けたところに反論されて爆死したのがお前らだろ
主張が交代したのはむしろお前らの方だぞ、笑わせんな というかそもそも上にあるhttps://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/633/633PDF/uchino.pdfには
>縄文時代は弥生時代に比べて殺傷人骨例が圧倒的に少なく、
人を指向した「武器」が存在しないことや、
水稲耕作などの生産形態や社会構造などから起源を弥生時代に求めている。
と冒頭に既に書かれているんで、お前らの指摘する「平和を示唆する根拠が無い、縄文時代は平和ではない」
って観念を言い訳出来てないよな
都合の良い部分だけ抜き取って印象操作するのやめてもらえますか?www
精神勝利に走ってて笑う >>219
>人を指向した「武器」が存在しないこと
それに同意するんだな? 言い訳出来なくなったらイミフな言質取り始めんの笑う
どうせゴールポストずらして精神勝利(意味深)するんだろうなぁ 同意できないなら論拠みたいに引用するのは辞めろよ
論文というのは全体には同意できても個別にはそうでないところはあるもんなんだ
その中でどういう立場でも同意しにくいような
>人を指向した「武器」が存在しないこと
をわざわざ引用したのは何故なんだ
>人を指向した「武器」
って一体何なんだよ
頭の中の理想の殺人武器があるわけなのか
それは猪や鹿には使えないのか >>222
狩猟用途の道具を対人に用いているんだからそもそもピンボケ >>220,222
問題点は対人用途の武器の使用が大規模に行われていたか、という事で
平和であった事の論拠として多数の論文が頻度の少なさを理由に挙げている
「明確に人を指向した戦術や武器の出現と、集団の大規模化によって縄文時代とは異なる殺傷パターンが生じた。」
という文章から都合の良い部分だけ抜き取られてもな、と思う
戦争と殺人は考古痕跡としての被殺人骨の[統計]で語られるんであって、要素としては殺人が前提であり必要条件だろう
だからピンボケで意味の薄い言質なんだよ、良いように扱われる単語を自分から出してると思うぜ 縄文時代末期は飢饉による飢えから食人も起こっていた悲惨な時期なんだ
働き掛けとして、文化的に食人を行っていた大陸側と面白可笑しく比較されるようなものではない 武士という存在を尊敬の念を持って肯定するなら
もっと昔の人がもっと殺し合いしてても別にいいだろ >縄文人の集団的戦い」
>結論としてはあった
>発掘された骨に見出されるほど頻繁に
>ただし地域差があって特に多いことが認められてるのが北海道
もともと北海道周辺は民族抗争が多く、アイヌ系(後発の諸民族)も先住民を制圧して拡大
【オロンコ岩】でも伝承が残る(※オロッコ:アイヌがウイルタを指す際に使う蔑称)
引用元〕「北海道斜里町オロンコ岩チャシのドローン写真測量と3次元モデル作成の予備実験
2.オロンコ岩チャシの概略」
★>アイヌに伝わる伝承が残されている。
>昔この島の上にオロッコ族(トナカイ遊牧を生業とするサハリン北東部の先住民族5))が住んでおり,
>下を船で通るアイヌ目がけて石や木を投げて邪魔をしたが,
>急崖で囲まれた島の地形を利用して防ぎ,なかなか追い払うことができなかった。
>そこで
◆>アイヌはオロッコ族をこの島から下りさせるように,
◆>海草や魚を
◆>鯨のように積み重ねておき,見に下りてきたオロッコ族を皆殺しにした6)。 課題は、
>>1
>平和な時代とされる縄文
を否定することであって、それには、内野論文の結論:
縄文時代は明確な殺意のもとに狩猟技術を応用した戦闘が行われていた時代であると位置づけることができる。
その戦闘技術は弥生時代では廃れてしまう歴史的な戦闘技術であり、「けんか」の類とは意味が異なる。弥生時
代に比べて戦闘技術が発達していないことは事実であるが、それは社会組織と武器に制約されていたが故であ
り、縄文時代は縄文社会特有の戦闘行為が行われていた時代であるといえる。
で十分
>>221
>どうせゴールポストずらして精神勝利(意味深)するんだろうなぁ
だなwww
そんな下手糞な話題逸らしにひっかかる馬鹿はいるはずないから、ID:EMSH3oE1も、お前の自演だろ >>226
それは自衛隊や警察を殺人集団と言ってるのと同じだろ
まったく違う 戦闘行為があった、ただそれだけで平和じゃないというのもどうかと思うよ
現在の日本でも認知されてる殺人事件は年間800件超、それによる死者も200人程度いる
だけどほとんどの人は現在の日本は平和だと言うだろ 平和の感じ方も主観に偏ってるから、結局のところ当時の人達が実際にはどう感じていたかは定かじゃないんだよな
だから客観的に定量化して類推するしかないのは、ある程度仕方ない
縄文時代は精神的に不憫で計り知れない苦痛を味わってきた筈だし、時代が長い分一括りには出来ない
それ以降(弥生~現代)でも "比較的" 他所より平和だっただけで、陰惨・凄惨だっただろう
殺害に次ぐ殺害が歴史のデフォで、神仏の中に歴史として刻まれ美化されて尊ばれているとても身近な出来事なのが恐ろしい
人類史に言及する以上、大半の見解が浅薄に矮小化されると言わざるを得ない >>219
>佐原真・松木武彦の両氏は、縄文時代は弥生時代に比べて殺傷人骨例が圧倒的に少なく、
人を指向した「武器」が存在しないことや、
-中略-
>この両氏の説が定着化して以降、日本における戦争の起源をめぐる研究はやや下火傾向にある。
>近年では縄文時代においても農耕や階層制の存在が認識されるようになってきているが、
>闘争について再度議論されることはあまりなく、縄文時代の人骨に残されている傷は殺傷を目的とした行為による傷ではなく、
>狩猟の際の誤射や流れ矢など、事故による傷と解釈されることが多い。
>そのため闘争の存在を主張し得る希少で直接的な物的証拠である受傷人骨を対象とする研究は、現在までほとんどなされていない。
要するに従来説はイデオロジカルなバイアスがかかっているという指摘だけど >>235
母数の問題だな
例え全てが殺傷人骨でも、人口比に占める割合は少ないとする見解はその上のソースにある
というか>>208を読んでからにしてくれ 餓死する状況でも人は食わんだろう
そこまで生に執着する前に飢えで人すら殺せなくなる
少なくとも草や山菜を取って食いつなごうとするだろう
殺人と飢餓と食人は実は結びつけるのが難しい >>60
20kmの森?
おまえはニュー速か県設けに帰れよ 縄文食人マンはずいぶん時間たつけど
まだ具体的証拠見つけられないの?
犬でも人間でも食べたら骨がバラバラになって
発掘されるって書き込んだんだけど
1万年以上に及ぶ長い間で全く発見されてないのはなんで?
精神的敗北じゃねお前は >>239
>>186,208まででは俺は否定派、お前はまた他所でやってるように立場のすり替えを画策してるな
まさにモースが言及しているのはそのバラバラに発掘された傷跡のある人骨なんだが
貝塚から見付かったその骨は、後に遺棄の可能性に変わったがグレー
そもそも俺も「食人"風習"」自体には懐疑的だ
食人行為自体は否定出来てはいない >>240
訂正 ✕まででは → ○まで遡り見てれば解るが
二度書くが、縄文食人マンはお前
いちいち要らん小物ムーブかますなよ 特殊事例をさも日常的におこなっていたようにすり替えるの止めてくんない? >>234
最初っから何の根拠もなく思いっきり左曲がりの見解を披露して馬鹿にされてたわけだが、この度精神勝利したようで、
おめでとうございます 食人は古今東西あったから
縄文人も飢饉などでカリバニズムはあっただろうけど
風習となると別
風習とはしてはなかったじゃないかな?
大陸のアイヌとイヌイットには
一部集落であったみたいだけど
それが縄文人にも伝わってたかどうかも怪しいし >>243
根拠が提示されなかった事にして浅はかなイメージ操作図ってんの草
お前>>208から翻弄されるだけでなんも反論してないじゃねえか ちなみに俺は具体的な論拠付きで要らん言葉付けずに反論されれば一切反発はしないぞ
右左とか変なワードも出てきたしそういうイミフな思想混ぜるからこうなる
そもそも議論にならん 人骨が解体されて貝殻と一緒に捨てられてるのに
肉は丁重に扱われてたと考える根拠は何なんだよ >>247
問題は食人に至る経緯
縄文人全体での習慣や風習とまで言われるとそれは違う >>244
幕末の島津兵の話とか聞くと怪しいけどな なんだこりゃ
縄文人の頭蓋骨のうちの幾つの事例なの?w
いかにも知能の低下を第八卦のように伝えている内容だね
恥ずかしい 東大の研究費は削っていいよ。
バズれば研究費貰えると勘違いしてるだろこいつら >>249
やっぱり、風習とか、何の定義もない意味不明の妄言を言い出したのもID変えたお前だったか
精神勝利おめでとうございます >>254
風習は定義ではないし特徴で大別出来るんでそれはただの屁理屈
風習とみなす場合にもその特徴で考えられるからお前の指摘は詭弁でもある
むしろ「日本人は食人をしていた」だの「平和では無かった」だの根拠の無い妄言書いてるのはお前の方だったな
俺は根拠付きで示した
そもそも精神勝利に固執してるが学術的な話に勝利もクソも無い >>249
お前に経緯が分かるのかよ
縄文人ですか? 一般に非国家社会の戦死率は大戦時の国家社会をも遥かに上回る >>258
俺は別にIDを自分から変えた覚えはない
むしろお前みたいなすぐ論破されるヤツが相手の時に変わりやすいな
というか今日は木曜だしワッチョイ変わるならIDも変わるわな
都合の良い頭してるから精神勝利とか言われるんだよ、立場すり替えもお前の常套手段だな
カードゲームで負けるとすぐデッキ交換したがるガキみたいだ >>256
お前にソックリ返すぞ
なんで縄文人が平和とは程遠い残虐食人集団だと思ってるの? >>260
全然思っていないです
食人はあった傍証が十分あるのに
ないと力説する人のイデオロギーが馬鹿げてると思うだけです >>261
食人"行為"にハードル下げてて草
ついに敗北宣言か、感慨深い >>262
解体され破損された人骨はそれほど珍しいものではないんです
集落内に分散埋葬したって論文も出るくらいに それなりに限られた範囲に集落が形成されてるんだから、対立も増えはするだろ 普通の征服者にとって、民は後の自分の領民・自分の資産
自分だったら絶対に逃散などさせない(ドリフターズ)
>>102 ・農耕:重労働であり、働いてくれる領民(・奴隷)は財産
・狩猟採集:縄張りの争い相手を追放or皆殺し>>227にすると
(奴隷は減るが)自分らの取り分が増加
つまり、農耕と狩猟採集で、「皆殺しに抵抗無い」のって、、 農耕は水場の確保が絶対に必要なので戦争も辞さない
狩猟は人を相手にするコストが高すぎるので移動するほうが安いし、(イネのカロリーが無いから)人口密度が低い為に移動する縄張り確保のコストが低い 狩猟採集民ってテリトリー追い出されたら滅亡覚悟やぞ >>270
それでも死活問題度は農耕民の方が高い
何しろ農地は限られているからな
土地を絶対に手放さない(手放せない) >>163
狩猟採集民、戦争よくやるし死亡率も高いからな
『文明と戦争』 宿命としての戦争
>アボリジニは多くの集団内、集団間での戦闘を定期的に繰り返していたのだ。
>オーストラリア北部のある部族の研究によると、
>戦争は最も重要な社会活動の1つであり、大半の戦闘は死んだ親族の仇討ちだったという。
>具体例を見れば、大規模な紛争で80人〜100人が1回の攻撃で殺された、
>30人から成る集団が1人を残して全員「穴に埋められた」という記録が多数ある。
>オーストラリアだけでなく、アメリカ北西部からアラスカにかけて住む
>純粋な狩猟採集民において頻繁に起こった凄惨な戦争も紹介されている。
…
>これらの研究を象徴するデータがある。
>それは、「自然状態」における狩猟採集民の成人同士の暴力による死亡率が約15%(男性では25%)にも上るというものだ。
>アメリカ南北戦争では、人口の1.3%が殺されるか負傷しており、
>第一次世界大戦ではフランスとドイツの両国で約3%の人口が死亡したとされている。
>これらを比較すれば、「自然状態」の数値がいかに高いかがよく分かる。 >>268
>狩猟は人を相手にするコストが高すぎるので移動するほうが安いし、(イネのカロリーが無いから)人口密度が低い為に移動する縄張り確保のコストが低い
>>56
>狩猟採取民にとって良い狩り場の確保は死活問題だろうし、人口密度も
>農耕民から見たら比較的低いだけで、狩猟採取民として環境収容限度
>一杯にまで人口はいたはず
>>58
>いたはずじゃなくて、どんな生物でも、限度一杯になるまで増え続けるんだよ
「縄張り確保のコスト」=「その縄張りの先住者の排除」だっての >>275
例証が草原では山岳地の日本に当てはまりはすまい
人口密度が低いことはやはり根拠に弱い
家族数人レベルの集落で山一つが縄張りだからといって毎日山探しをしない
人口密度飽和が来たら殺戮は始まるだろうが、人口密度が低い為に自然減要因(飢え、疫病など)の方が大きい
考えても見るがいい
農村民1000人が抗争して10人死んだ場合と狩猟民100人が抗争抗争して10人死んだ場合を
次に抗争に入る周期は何時になるかな ニューギニアの、狩猟民同士の凄惨な抗争の多さは
まさに
「戦争は最も重要な社会活動の1つ」てことだろう
元ページ)パプアニューギニア:空間の仕切り直しとローカリティの揺らぎ
>植民地政府との接触以前,彼らは、周囲の民族集団との抗争を続けており,
>とりわけ
>狩猟動物の豊富な低地の,より弱小な集団への苛烈な襲撃を繰り返しながら, ならば北センチネル島は殺戮の末に無人にならなければならない
勿論抗争はあるだろうが統一国家が出来ない時代の抗争は根絶やしできないのだから殺し合いしたくても母数がおらん
さっきも書いたが1対1で片方が死んだとしたら殺し合いしたくてももう片方が成長するまで待たねばならない 大体だなあ
エミシやらエゾやらは数百年かけて東北に「移動」せざるを得なくなったわけだろう
農耕民に追い出されたらどう対応するかって考えたら農耕を受け入れないんだったら「移動」しかないわけ
これは狩猟民同士でも負けた方は同様だろう
縄文中期の人口は25万、今の日本の1/500、
3人/10km2の人口密度やぞ
隣の家族に会うまで10km移動しなければならぬ
人口密度は、関東地方で300人/100km2、その他の東日本でも100人/100km2程度で、狩猟・採集経済社会としては発展の極限に達していた。これに対し西日本では、10~20人/100km2ほどであった。 >>276
>例証が草原では山岳地の日本に当てはまりはすまい
>>56
>狩猟採取民にとって良い狩り場の確保は死活問題だろうし、人口密度も
>農耕民から見たら比較的低いだけで、狩猟採取民として環境収容限度
>一杯にまで人口はいたはず
>>58
>いたはずじゃなくて、どんな生物でも、限度一杯になるまで増え続けるんだよ
は草原でも山岳地でも成り立ってる話なのに、お前どこまで馬鹿なの?
>人口密度飽和が来たら殺戮は始まるだろうが、人口密度が低い為に自然減要因(飢え、疫病など)の方が大きい
狩猟採取の生産性は低いから人口密度が低い状態で既に飽和してるのに、お前どこまで馬鹿なの?
>家族数人レベルの集落で山一つが縄張りだからといって毎日山探しをしない
縄張りは、縄張り荒らしを殺すか追い出すために定期的にパトロールするものなのに、お前どこまで馬鹿なの?
>農村民1000人が抗争して10人死んだ場合と狩猟民100人が抗争抗争して10人死んだ場合を
>次に抗争に入る周期は何時になるかな
なんで農村と狩猟と分けてるんだ?
自然増が20年で倍として、1%減なら四ヵ月以内に戻るし、10%減なら戻るのに3年ほどかかるのは、馬鹿でもわかるわな
しかしそもそも、抗争は皆殺しが基本、勝ってるのに敵を皆殺しにせずに後の復讐の機会を与える馬鹿な連中は、いても
すぐに淘汰される >>277
>植民地政府との接触以前,彼らは、周囲の民族集団との抗争を続けており,
>とりわけ
>狩猟動物の豊富な低地の,より弱小な集団への苛烈な襲撃を繰り返しながら,
それ、どう見ても、報告した奴が騙されただけ
狩猟動物の豊富な低地の集団は、他の場所の集団より強いから良い場所を縄張りにできてんであって、弱小
でもなんでもない >>280
自分で正解を書いているじゃないか
自然増が20年で倍として、1%減なら四ヵ月以内に戻るし、10%減なら戻るのに3年ほどかかる
そうだよ
だから人口密度の低い狩猟民が殺し合いするんならそれだけ待たねばならない
その間に自然減条件(寿命、病気など)もあるのでどんなに殺意が高くても再びの抗争に入るのに時間がかかる
それを「日常的抗争」と言えるのか? 縄文は縄文農耕も盛んだったし
本州では「比較的」平和な時期でもあったかもしれん
ただ一般的な話だと
≫『文明と戦争』 宿命としての戦争
>アボリジニは他の地域では2万年前に発明されたと言われる弓さえ発明していなかった。
>弓は「戦争を生み出した武器」とまで言われる重要な武器だが、
>アボリジニの中で弓の不在は戦争の不在を意味しなかった。
>そう、アボリジニは多くの集団内、集団間での戦闘を定期的に繰り返していたのだ。
アボリジニの戦闘・暴力の多さは上に記載があるし
日本の北方でも
アイヌ同士のトパットゥミというほぼ凄惨な襲撃の多さなど伝承に残る あと、一か所に留まると食料が減るから移動して抗争する
程度は違えど
おおまかには牧畜も狩猟も同様の話
ただ獲物が豊富だとあえて争う必要も減るし
強い集団が留まると獲物も減るし
戦国時代の京都近くにいるのが大勢力だらけか、というと違うし
豊かな土地にいるのが強豪か?はちょっとな 牧畜社会は凄く変わってる
狩猟とも農耕とも違う
餌場を共有するから
季節で移動するからその時々で使ってない草原を
自分のものとしてずっと専有しているのが難しい
ステップ草原では契約の神ってのが生まれて
草原の利用についての契約を交わす
これが外交文書の神の名も元での契約に発展して
ヒッタイトやミタンニを通して
メソポタミアやエジプトやユダヤに影響を与えた
時代がかなり下るチンギス・ハンの帝国にも
騎馬民族征服論争で去勢の有無が議論になったけど
去勢羊による羊集団の管理も社会構成に与えてる影響が強い
ヨーロッパには古ヨーロッパで農業と合体して農牧の形で入ったから若干薄まってる
この時日本ではまだ縄文時代 >>282
>>自然増が20年で倍として、1%減なら四ヵ月以内に戻るし、10%減なら戻るのに3年ほどかかる
>そうだよ
>だから人口密度の低い狩猟民が殺し合いするんならそれだけ待たねばならない
なんだ、そんなんでいいのか
なら、今の世界人口は50年で倍で、先進国の延びはもっと緩やかだから、食料生産性の伸び(縄文時代はほぼゼロ)
を考えなくても今のほうが縄文時代より2.5倍以上平和ってこったな
ってか、人口が戻る時間に人口密度は関係ないのに、
>だから人口密度の低い狩猟民が
って、お前みたいな数学音痴じゃなきゃあ、縄文時代が平和なんて妄想抱けないのは、わかった
>その間に自然減条件(寿命、病気など)もあるのでどんなに殺意が高くても再びの抗争に入るのに時間がかかる
自然増って自然死も込みの伸びなのに、お前どこまで馬鹿なの? 抗争っていうのは人々が近くにいないとやらない
人口密度は関係あるだろう
あと縄文時代は人口横ばいで現代は50年人口倍として殺傷事件の発生数の統計を取ってみれば良いだろう
件数見れば1目瞭然だ 殺傷数が縄文>弥生なら遺跡からもそういうデータが必要だ
一つ上でのレスなら縄文の殺傷数>現代の殺傷数だな
それが示せれば縄文時代の闘争社会について示せよう
いちいちこのレスに反論しなくても良い 狩猟採集民どうしの侵略は、アイヌの部族間でも多発したようで
「トパットゥミ」という
アイヌ同士の酷い抗争の多さ・暴力性の強さが伝承にもある
元ページ≫「トパットミ」について
≫ トパットゥミ topattumi 【名】 トパットゥミ。 群盗; かつてあったと伝えられる集団強盗。
※≫ 村ぐるみで他村を襲い、
※≫ 財産を奪って村人をみなごろしにする。 縄文時代に村などあるものか
当時の人口密度は3人/10km2
あるとしても100人程度の移住部族が精々で、保存技術も稚拙だろう
奪うメリットもない
盗賊が発生するのは半定住化する時代からだ >>290
>縄文時代に村などあるものか
いや、日本考古学の常識に真正面から喧嘩売っててカッコイイなおまえ
cf. 三内丸山遺跡 縄文時代って一言で言うけど弥生時代の稲作本格化してから現代日本まで7回もループする期間だぞ
地面眺めてその間岩から砂になってコンクリ塗られるまでの回数数えてみろよ >>291
でそいつらが盗賊やってんのか
日本考古学の常識に喧嘩売ってんの? いろいろな形態があっていいと思うのだが。一律に縄文人はこうであるとするのはおかしいだろ。
食人だってアリ また、三内丸山遺跡では半定住していたと考えられる
狩猟民と定義するのは難しいな
それはそれは長い縄文時代、例外を挙げてそれが当たり前という論法はそれこそ数学ができなかろう そりゃ収穫が無い年もあったやろしなあ なんでそこまで画一的なものの考え方なんやろな いや、食人文化がゼロとは言っていない
もしかしたらあったかもしれないが、
自然淘汰により廃れたと思う つばさの党見てーのに突っつかれたんか
まーな
狂暴だし頭低能というより脳みそが変形してんだろ
遺伝てすげーな
やばいわ >>293
おまえ、なんで間違いを指摘された点は無視して別の点について言い訳してるの? >>299
何を言ってるのが分からない
ならば命題をはっきりさせておこう
・縄文時代の年あたりの殺害件数は、弥生時代のそれより低い >>299
おまえ、なんで間違いを指摘された点は無視して別の点について言い訳してるの? >>300
それとも、本当に自分のこだわっている論点(のようなもの)しか意識することができず他の点についてどれほど指摘されても一切認識できないの? >>290
>縄文時代に村などあるものか
>あるとしても100人程度
いや100人もいるなら、それ、十分村じゃん
>移住部族が精々で
なんでわざわざ移住するのか知らんが、その場合は、移住範囲が全部縄張りな
>当時の人口密度は3人/10km2
人口100人の村を奪えば333km2の広大な縄張りが手に入るから、奪う以外の選択肢ないよな
で、人口密度が低いほど1人殺して奪う面積は大きいから、縄文時代はそれだけ戦争が盛んだったってこったねwww
>保存技術も稚拙だろう
だから、食料の無駄も増え、一人当たりそれだけ広い縄張りが必要だから、人口密度は低いわけだ
まともに計算ができないお前みたいな馬鹿じゃなきゃあ、人口密度にかかわらず、人口100人の村とその縄張りを奪えば新たに
100人の人口を養える縄張りが手に入るって、わかるんだけどな >>300
>ならば命題をはっきりさせておこう
>・縄文時代の年あたりの殺害件数は、弥生時代のそれより低い
ってことにしとけば、殺害件数なんて正確にわからないって逃げられると思ってるのは、バレバレwww
>>228
>課題は、
>>>1
>>平和な時代とされる縄文
>を否定することであって、それには、内野論文の結論:
>縄文時代は明確な殺意のもとに狩猟技術を応用した戦闘が行われていた時代であると位置づけることができる。
>その戦闘技術は弥生時代では廃れてしまう歴史的な戦闘技術であり、「けんか」の類とは意味が異なる。弥生時
>代に比べて戦闘技術が発達していないことは事実であるが、それは社会組織と武器に制約されていたが故であ
>り、縄文時代は縄文社会特有の戦闘行為が行われていた時代であるといえる。
>で十分
で、話は終わってんだよ そりゃ温厚なわしらだって彼女寝取られて喧嘩しただの、爺ちゃんの作った家宝の大事な壺を借りパクされただの
色々ありますワ
by 縄文太郎 6025歳 独身 一万年の縄文時代とたったの六百年しかない弥生時代を並べてること自体がナンセンスなんだよね
縄文時代の遺跡って北海道から沖縄まで一万カ所以上あるんだよね
何せ西暦で二千年しか経ってないのに人類は飛行機旅行したり宇宙に行くまで進化した
なのに縄文は一万年だよ
前期後期くらいは分けてるにしても縄文時代はこうでしたって一万年をひとくくりにして言えるわけない
アタマおかしい >>304
333km2って名古屋市全域くらいだね
100人で管理するのかぁ
100人のうち半数が女子供だから毎日10人くらいが食料も取らずに見回らないとな
三内丸山遺跡ならば山口市全域を支配してるんだね
そんな広さを管理できるわけ無いじゃん
疲れ果てて殺し合い以前の問題だよ
なんか言ってることが非現実的で浮いてるんだよなー
もっと説得力出る仮説を展開してくれよ
その記載内容で命題を覆す論理は無理だな >>307
>一万年の縄文時代とたったの六百年しかない弥生時代を並べてること自体がナンセンスなんだよ
技術革命による生産性の伸びを無視とかwww
じゃあ、たったの600年昔の室町時代は現代と同一視しなきゃあ、ナンセンスだなw
>前期後期くらいは分けてるにしても縄文時代はこうでしたって一万年をひとくくりにして言えるわけない
土地からの生産性が一万年ほぼ変わらなかったからひとくくりにしてたが、稲作という技術革命でそれが激変したんだ
から、分けるのは当然だろ
中国から渡来した稲作技術を持った連中が日本で混血しつつ増えて、稲作が可能な地域(南朝鮮も含む)に広がって
いったのが弥生時代
稲作に使えて人口密度を劇的に増やせる新たな土地がそれなりにあった弥生時代は、縄文時代より平和だったろうね
でも、指数的人口増加であっという間(といっても、北方への勢力拡大にはそれなりの技術革新とかも必要なんで、数
百年とかなわけだ)に土地の生産力は飽和しちゃう
それが古墳時代で、そうなったら、縄文時代の縄張りの奪い合いが復活するしかないから、また、縄文時代のような戦
乱の時代になる
現代が比較的平和で餓死も少ないのも、ハーバーボッシュや遺伝子操作による生産性の改善が近代の人口の自然
増にまだ追いつかれてないからであって、今の世界人口の増加率だと、飽和するのは時間の問題 地球は何度も寒冷期と温暖化を繰り回して来た
平均気温が下がって植生が変わり保存食糧でもある高カロリーな胡桃やどんぐりの様な木の実の取れる広葉樹林が減って
針葉樹林に代わればそこに住む人間も動物も段々と生きて行けなくなってしまう
さらにはプレートの重なる日本では直近の数百年間さえ大地震、大噴火、大津波そして巨大台風までが何度も襲いかかって被害を出してる
それが一万年という途方もない時間の中で無数に繰り返されて来たと考えるのが妥当だろう
日本人の先祖の縄文人は一万年の間、天変地異によって何度も絶滅寸前まで人口が減り、その都度大規模に移動して定住先を見つけまた増えるを繰り返してる筈だ
技術革新が人口増加をもたらしたのはその通りだが、それ以上に日本の自然は厳しい
そこから自然に打ち勝ち飼い慣らすのではなく人の力の及ばぬ大自然の存在を畏怖し共存し、争うより力を合わせて元の暮らしを再建しみんなで生きのびる日本人特有の宗教観や倫理観が生まれたのだろう そもそも争いってのは農業をやるようになって肥えた土地を囲い込み
資産や女を独占して貧富の差が生まれてから始まるんじゃないのか?
縄文時代は定住生活とはいえ、みんなが狩猟採集生活だったので平等でしょ
個人の土地所有の概念などなく、完全に自然の恵みでの暮らしなので大きな争いをする必要がない
肉や魚介類や植物などの食材は日持ちしないものが多いし腐らすよりみんなで協力して獲って来て持ち寄り分け合う方が合理的
寿命は短いし乳幼児の死亡率も比べものにならないくらい高かった筈でそうでもしないとその村その種が絶えてしまう
本能的に種を維持する為に妊娠出来る年齢の間は女性は常に妊娠して子供を沢山作っていただろうし
唯一最大のタブーだっただろう殺人でも犯さない限りは人を殺める必要などない
それどころか歯のほとんどない老人の縄文人の遺骨は年老いた家族に柔らかくした食べ物を与え介護していたことを意味する
繰り返すが度々激甚災害に見舞われる日本列島においては戦争より自然の脅威の方がよほど大量死の原因になる
基本的にはそれは今でも同じだ
>>1のような思考方法は陸続きの民族間で絶えず殺し合いをして来た大陸人的発想だな
縄文人の精神にはまったくそぐわない
日本列島で一万年もそんなことを繰り返してたらとっくに日本人は絶滅して外来の民族と入れ替わってる >>311
まー普通はそう考えるよな
殺人や窃盗することにメリットが無い
もし知らないところから飢えた人が来たら近親交配を避けるために迎え入れるんじゃないかな >>310
なんだこのポエマー?
>>311
>そもそも争いってのは農業をやるようになって肥えた土地を囲い込み
>資産や女を独占して貧富の差が生まれてから始まるんじゃないのか?
>>48
>人口は指数的に増えるから、食料の乏しい年には餓死するか戦争するかしかないのに、馬鹿丸出しだな >>311
>縄文時代は定住生活とはいえ、みんなが狩猟採集生活だったので平等でしょ
そういう連中は、食料の乏しい年に、みんなが平等に餓死して絶滅しましたとさ、めでたしめでたし 人肉食をしないのが当たり前の前提で論を建てる事がそもそも
食い物少ない状況でタンパク質食えるんだぞ 縄文人も、植物質が主食だよ
rarememory.justhpbs.jp/suwajyou6/suwa.htm
> 縄文人の主食は、
> 種実類(しゅじつるい)と根菜類を中心とした植物であることが、今日では定説になっている。
縄文の農耕ってたしか
・最古の東南アジア根菜農耕文化からサトイモ(タロイモの1種)・ヤマノイモ(ヤムイモの1種)等
※自然薯は栽培というより自生
・サバンナ農耕文化からは雑穀の種子農耕
…と様々で
縄文時代の主食サトイモだっけ うほ、うほほってんだから食糧や水源、女で争わない方が不思議(´・ω・`)
おんな、おんなは?やる!ってな猿だぞ >>316
定説がどうの以前に、主食は炭水化物で主菜が肉って当たり前なんだが、お前、主食の定義を誤解してるだろ ●>イヌイットの主食は肉と魚である。
〜
>ノルウェーの人々は、
★>何世紀にもわたり、北大西洋の新鮮な魚を基本の主食として生きてきた[8]。
>まれにエルクやカリブーの
★>肉を塩漬けにして乾燥させたものを主食とする場合もあった[8]。
縄文時代の主食はクルミ・栗・ドングリ等だと思われてた時期もあったな
>主食 (しゅしょく)
◆>日常の食事の主体となる食物。副食の対概念。 >>320
>●>イヌイットの主食は肉と魚である。
>>316
>縄文人も、植物質が主食だよ
と、縄文人の話してんだよな?
主食の役割はカロリー供給だから、カロリー当たりに必要な資源が少なくて済む植物由来の炭水化物に
なるのは、定説もなにも、当たり前のこと
熊だって肉ばっか食ってるわけじゃないわけで、まして、渋抜きとかできる人は、いろいろ食える
>縄文時代の主食はクルミ・栗・ドングリ等だと思われてた時期もあったな
今でも思われてるだろ、ってか、あるものは何でも食べるってば
>◆>日常の食事の主体となる食物。副食の対概念。
で、主食は穀類で、副食は蛋白源である主菜とその他の副菜に分かれるわけだ こんなイメージもあったな。
久山町研究 > 縄文時代というと、狩りで得た肉を主に食べていたというイメージが強いが
スーパー糖質制限食?とやらを
「縄文食」などと何重にも誤って称してた方もいらっしゃる。
もちろん時代・地域によっては魚・肉を主食とする場合も。
北海道礼文島の船泊遺跡から出土した約3,800年前の縄文人の
全ゲノムを高精度で解読しました。
asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1557836458/
> このアミノ酸の変化は高脂肪食の代謝に有利で、
> 北極圏に住むヒト集団ではこの変異した遺伝子の頻度は70%を超えています。
> しかし現代日本人には、この変異はほぼ存在しません。
> 船泊遺跡から出土した遺物の分析では、船泊縄文人の生業活動は狩猟・漁撈が中心であったことが示されており、
> この変異は彼らの生活様式と関連していた可能性があります。
ごく一部に、北方民によくある魚・肉を主食とする場合もあったようだが
一般的には縄文農耕の研究が示すとおりの主食か。 農耕に成功していたら人口が急増してたはずだ
そもそも農耕は失敗することがデフォルトでノウハウを蓄積する機会が無いと無駄骨を折ることになる 『縄文時代に焼き畑農業が行われており、その中心作物は里芋で、
里芋は稲作以前の主食だったと考えられています。
日本に定着した里芋は、タロイモ類の中で最も北方の風土に適した系統のものでした。』
縄文前期から中期:人口急増
縄文中期後半以降、寒冷化で東北のサトイモ栽培も壊滅したとされ人口急減
そこから
弥生時代?に西日本は人口急増、東日本ではそれほど増加しなかった(まだ寒い) ほらやっぱ焼き畑じゃないか
連続耕作できないから移住を繰り返すことになる よそ者が縄張りに入ってきた時に受け入れるか殺すかというのは切実な問題だからな
そら殺す判断になることもあろうよ >>324
> 農耕に成功していたら人口が急増してたはずだ
ここで言う農耕の意味は?
どういう作物を想定? >>328
ここでは定住化を満たす要件、稲作とする >>329
じゃあかなり狭いから
これから稲作と言ってください >>330
それから稲作が陸稲も含むのか
水稲だけなのかもはっきりした方がいい
陸稲は結構時代が遡る可能性も出てきた
水稲は縄文晩期からだろうが
水稲農業革命というのは確かに日本にあったはず 大元の現代人の古代原種が殺し合いで育ったんだからそれしないわけないだろ 集落付近から種子や花粉がたくさん見つかって
縄文時代の栽培がほぼ確定してるのは
ヒエ アワ ソバ エゴマ
緑豆
アブラナ
ヒョウタン
クリ クルミ ドングリ トチ
ニワトコ
です
里芋もほぼ確実だろうと考えられてるけど
考古学的証拠が残ってません
タケノコも竹しか残らないので証拠はないです
アケビやヤマブドウなどの蔓植物もはっきりしません >>331
陸稲が定住化条件を満たすかで判断してください いつの時代も人間は人間だよ
殺人事件が無くなることはないんじゃないかな? 殺人事件が無くなることはない
だがそれ以前に死ぬ要素が多すぎる
平均寿命は20くらいだったはずだ 安倍が銃で撃たれて死んだから今は戦時中か?
1つや2つの骨で社会全体を語れるはずがない。