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インタビューに応じる名古屋大学減災連携研究センターの武村雅之特任教授 撮影=プレジデントオンライン編集部

100年前の9月1日に起きた「関東大震災」とはどんな地震だったのか。『関東大震災がつくった東京』(中央公論新社)の著者で、名古屋大学減災連携研究センターの武村雅之特任教授は「私の分析が発表されるまで、正確な震源どころか、マグニチュード7超の大地震が2日間に6回も起きていたことも知られていなかった」という――。(聞き手・構成=ノンフィクションライター・山川徹)(第1回)

■関東大震災マグニチュード7.9に根拠はなかった

――関東大震災に着目したきっかけを教えてください。

もともと私は東北大学で地球物理学を専攻していました。その後、入社した鹿島建設で、建築設計に取り入れるために地震の揺れを予測する仕組みの開発などにたずさわっていました。ただ正直に言えば、物足りなさを感じていました。理学畑を歩んできたせいか、物事の本質を突き詰めていくような仕事をしたかったからです。

そんな私が関東大震災を研究するきっかけが、1992年12月。岐阜測候所(現在の岐阜地方気象台)で関東大震災の記録が残っていないか探し、発見したことです。

1923年9月1日に発生した関東大震災は、首都圏を中心に約10万5000人もの死者・行方不明を出しました。経済的な被害は、当時の金額で約55億円、現在の貨幣価値では約30兆円です。これは当時の日本のGDPの36.7%。国家存亡の危機だったのです。

私が研究をはじめた当時から都内の高層ビルを建てる上で、関東大震災の揺れや震源を知ることが重視されはじめました。その頃から、関東大震災を起こした関東地震の規模はマグニチュード7.9と言われてきましたが、この値が正しいか誰も根拠を示せなかった。私にとって、それがすごく気持ち悪かった。


※以下省略。記事全文はソース元にて

2023/06/21 15:00
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