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【歴史】沖縄に西ヨーロッパ系の人骨 南城市の古墓群、15~16世紀 異国から渡来か [すらいむ★]
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0001すらいむ ★
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2022/05/22(日) 11:28:05.24ID:CAP_USER
沖縄に西ヨーロッパ系の人骨 南城市の古墓群、15~16世紀 異国から渡来か

 山口県の「土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム」の松下孝幸館長を中心とした調査チームは20日、沖縄県南城市玉城富里の納骨堂にあった石厨子(ずし)から、西ヨーロッパ・中央アジア、朝鮮半島の母系の系譜を持つ人骨が発見されたと発表した。
 15~16世紀の壮年男性のものと推定している。
 南城市役所で会見した松下館長は「沖縄ではグスク時代から異国の人を拒否せず、多様性を認めていたことが分かる。
 『万国津梁の邦』の実態の一部が明らかになった」と強調した。(南部報道部・我喜屋あかね)

沖縄タイムス 2022年5月21日 12:15
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/961919
0079名無しのひみつ
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2022/05/24(火) 02:14:58.40ID:Ql0u42O7
>>1
https://oki.ismcdn.jp/mwimgs/b/b/330m/img_bb4c4a1bc2c4bf266977a3dbc5fbdc61403474.jpg
神座原古墓群と納骨堂の位置
https://oki.ismcdn.jp/mwimgs/7/6/330m/img_7623584dc805e4e3c296ea5da8cfacdb1028840.jpg
石厨子の中から見つかった3体の人骨。中央の頭部の骨から中央アジア・西ヨーロッパ由来、右の頭部から朝鮮半島由来のミトコンドリアDNAが検出された(提供)

 納骨堂は2基あり、開発で取り壊された神座原古墓群(市玉城富里)にあった計78体の人骨が納められている。納骨堂内の石厨子にあった人骨3体のミトコンドリアDNA分析を行ったところ、...

 赤外線カメラで撮影した結果、石厨子は1706年に制作されたと推定される。3体は15~16世紀ごろに生存しており、没後100年近くたっても出自や経歴が伝えられ、石厨子に納められたと考えられる。松下館長は「一つの石厨子に入っていたということは同族として認められ、広い意味で血縁関係があったと判断している」と説明した。
 3体とも頭部の形は異なるが上肢や下肢の骨はほとんど変わらず、同じ生活様式を過ごしたと推測される。西ヨーロッパ・中央アジア由来のミトコンドリアDNAを検出した人骨の男性は大腿(だいたい)骨から身長148センチほどしかなく、かなり低いという。
 松下館長は「西ヨーロッパの人が中国など移動先で子孫を残し、何世代か過ごした後、琉球に渡って家族をつくったことも考えられる。当時の社会情勢も含めて総合的に考えないと答えは出ない」と説明。

 県立博物館・美術館博物館班主任学芸員の山崎真治さんの話 

 アジアだけでなくヨーロッパ系のDNAが検出されたことは驚きだ。亡くなって2世紀以上たってから再葬されたということなので、お墓を整理する際にまとめられた可能性もあり、必ずしもこの3体が近しい関係性であったから一緒に葬られたとは言えないが、この地域に移り住み、地元の人々と共生していた可能性がある。
 ミトコンドリアDNA分析では母系の系譜をたどることができるので、これらの人骨は渡来者第1世代か、あるいは混血した子孫の可能性がある。後者だとすれば、この時代に男性だけでなく女性を含めた人流があったということになり、興味深いデータである。今後の詳しい検討を期待したい。
0080名無しのひみつ
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2022/05/24(火) 02:15:28.71ID:Ql0u42O7
5/21
西欧系人骨 南城の古墓群に 1400~1600年代、風葬か
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1520686.html
古墓群から出土した骨を納める納骨堂の古い人骨78体を調査したところ、西ヨーロッパ・中央アジア由来と朝鮮半島由来のDNAを持つ人骨2体があったと明らかにした。...

 海外由来の2体の人骨は、沖縄を含む日本由来の人骨と一緒に石厨子に入っており、3体とも30~50代の成人男性とみられる。ミトコンドリアDNA分析で調査したところ、それぞれ母系の系譜が異なることが判明した。放射性炭素年代の測定によると、日本由来の人骨は1477~1642年、朝鮮半島由来は1458~1530年だった。西ヨーロッパ・中央アジア由来は測定不可能だったが、松下館長は「ほかの2体と同様の保存状態だったことから同年代とされる」とした。...

・・県立埋蔵文化財センターの片桐千亜紀主任専門員は「・・琉球式の風葬で葬られていることから、ヨーロッパ人だったとすれば、当時の村社会で受け入れられ、良好な関係を築いていたと思う」とした。
0081名無しのひみつ
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2022/05/24(火) 02:17:22.41ID:Ql0u42O7
5/20
南城市の古い墓の人骨 2体は西欧と朝鮮半島由来の系統と判明
https:
//www3.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20220520/5090018344.html

南城市の古人骨異国から来たものか
https://www.qab.co.jp/news/20220520151321.html
 南城市玉城字富里にあった神座原古墓群は開発に伴い取り壊され中の人骨78体は現在、2つの納骨堂に納められています。その人骨78体のうちの3体は石厨子に納められ地域共通の祖先として祀れています。
 人骨を調査した土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムの松下孝幸館長は、石厨子は大清康煕四十五年、1706年に製作されたもので人骨は300年余り前に再埋葬された成人男性だということです。

 松下館長は3体ともおよそ100年、3世代の移り変わりが見られると分析しています。

5/22
沖縄の古墓群で出土の人骨、日本・朝鮮・欧州由来か…「多様性受け入れていた証左」
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220522-OYT1T50217/
 3体の人骨はいずれも成人男性とみられ、放射性炭素年代測定で15~16世紀のものと判明した。石厨子には、1706年を示す中国の年号を書いた墨書の跡があり、3人は再埋葬された可能性があるという。

5/22
琉球王国に朝鮮、欧州系が定着か
15~16世紀、DNAを分析
https:
//nordot.app/900999171075162112?c=39546741839462401
5/23
朝鮮や欧州系、琉球に定着か
15~16世紀の骨分析
https:
//www.nikkei.com/article/DGKKZO61019620S2A520C2CT0000/
0082名無しのひみつ
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2022/05/24(火) 02:19:32.87ID:Ql0u42O7
5/21
【毎日】沖縄県南城市の古人骨3体、15-17世紀の日朝欧に由来 DNA分析で琉球王国への異国人到来が判明 [みの★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1653097548/523-525
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2022/05/20/20220520k0000m040243000p/9.jpg
15~17世紀ごろの3体の人骨が納められていた石厨子=沖縄県南城市教育委員会提供

 ヨーロッパ由来の母系を持つ人骨が納められた経緯を、松下さんは「ヨーロッパ人か、ヨーロッパ人と中国人の間にできた子孫が中国などから船で来たのではないか」と推定する。
 沖縄県うるま市の勝連城跡(国指定史跡、12~15世紀)ではこれまでに3~4世紀ごろの古代ローマ帝国のものとみられる銅貨4枚が見つかった。うち2枚は14~15世紀と推測される地層から出土し、当時盛んだった海外との交易で持ち込まれた可能性があるが、今回の調査結果からは人の移動もうかがわれる。
0083名無しのひみつ
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2022/05/24(火) 02:20:07.01ID:Ql0u42O7
>>82
5/20
鉄砲伝来より前にローマ帝国と交流? 沖縄で発見の人骨が示すのは
https://mainichi.jp/articles/20220520/k00/00m/040/247000c
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2022/05/20/20220520k0000m040245000p/9.jpg
ローマ帝国のコインとみられる銅貨。右向きの肖像があるのが確認できる=沖縄県うるま市で2016年9月26日午後3時13分、佐藤敬一撮影

 沖縄県南城市で15~17世紀ごろのものとみられるヨーロッパ由来の人骨が見つかったことで、9年ほど前に県内で発見されたある出土品に再び注目が集まっている。うるま市にある世界遺産「勝連城(かつれんじょう)跡」の14~15世紀の地層から出てきたローマ帝国のものとみられる古い銅貨だ。種子島(鹿児島県)に漂着した船に乗っていたポルトガル人により鉄砲が日本に伝えられたのが1543年。それよりも前に沖縄にはローマ帝国のコインがもたらされていた。
 うるま市教育委員会の2016年9月の発表によると、13年度の調査で勝連城跡から小さな円形の金属製品が10点見つかった。専門家による分析の結果、ローマ字やアラビア文字、人物像が確認された5枚のうち4枚が3~4世紀のローマ帝国時代の銅貨(直径1・6~2センチ、重さ1・5~3・6グラム)とみられることが分かり、うち2枚は14~15世紀と推測される地層から出土した。また、5枚のうち1枚はオスマン帝国の銅貨(直径2センチ、重さ1・2グラム)とみられ、「1687年」に相当する暦が刻まれていた。...
勝連城は12~13世紀に築城され、14~15世紀に中国や東南アジアとの交易で栄えた。ローマ帝国時代の銅貨2枚が見つかったのは、まさにこの時期の地層からだった。...
 うるま市教委によると、出土した金属製品10点のうち残り5点が何だったのかは今も分かっておらず、ローマ帝国などのコインが勝連城にたどり着いた経緯も謎のままだ。...
今回、15~17世紀ごろのヨーロッパ由来の人骨が見つかったことは何を意味するのだろう。...
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