古代中国史を書き換える4千年前のシーマオ遺跡、謎のヒスイと要塞

■初期の中国文明はどのように変遷したか、新たな見方を提示

 中国の黄土高原の砂ぼこりが吹き荒れる丘に、朽ちかけた石垣がある。
 近くに暮らす人々は長らく、この石垣を万里の長城の一部と信じていた。
 無理もない。
 2000年以上前に北方民族との最前線として造られた万里の長城は、黄河が北に大きく屈曲するちょうどこの辺りを通過している。

 だが、ここでは場違いなものも見つかった。
 ヒスイだ。
 破片だけでなく、円盤や刀剣、笏(しゃく)などに加工されたものも見つかっている。
 ヒスイはここ陝西省最北部では産出せず、最も近い産地でさえ、およそ1600キロも離れている。
 万里の長城の特徴とも合わない。オルドス砂漠に近いこの不毛の地で、なぜヒスイが大量に見つかったのか?

 中国の考古学者チームがこの地を発掘調査したところ、意外なことがわかった。
 その石垣は、万里の長城の一部ではなく、壮大な要塞都市の名残だった。
 発掘は今も行われているが、高台にあるピラミッドやその周囲を取り囲む全長10キロを超える防壁、壁画やヒスイの工芸品に彩られた聖なる場所、そしておぞましい生け贄の証拠が見つかっている。

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

ナショナル ジオグラフィック日本版 8/23(日) 7:21
https://news.yahoo.co.jp/articles/f18ec8ee90373df248205031651bcf14c4ce2d97