イスラエル考古学庁(IAA)は先週、エルサレム西部のアロナ地区にて、約2700年前のユダ王国の遺跡を発見したと報告しました。

遺跡からは、古代ヘブライ文字で「王の所有物」を示す印章が押された壺の取っ手が120点以上見つかっています。

この印章は、市民が税としての貢租を納める際に印字される印であり、遺跡が徴税したものを貯蔵する「税務署」のような場所だったことを示します。
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■「ユダ王国」とは?

紀元前922年頃、ユダヤ人国家である「ヘブライ王国」の北側勢力が、「イスラエル王国」として分離独立を果たしました。その結果、パレスチナ南部に残されたのが「ユダ王国」です。

エルサレムに都を置き、ダビデやソロモンといったユダ一族が王位を継承したので、ユダ王国と呼ばれます。情勢の不安定なイスラエル王国に比べ、ユダ王国は、ダビデの子孫が代々後を継ぐ安定した国だったようです。
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しかし、メソポタミア北部で力を得た「アッシリア帝国」が南下し、紀元前722年頃にイスラエル王国を征服。ユダ王国は属国となるものの、独立は守られました。

これは、小国のユダ王国が、北のアッシリア帝国と南のエジプトの間の緩衝国になっていたからです。

ところが、紀元前612年頃、アッシリア帝国が滅亡すると、今度は北方から「新バビロニア」が攻め入ってきました。これにより、紀元前586年頃、ユダ王国は滅亡を迎えます。

■壺に記された「LMLK」とは?

遺跡は、エルサレム旧市街地から約3キロの地点に見つかりました。

印章のおかげで年代がかなり正確に特定できており、紀元前8〜7世紀半ばのヒゼキヤ王、マナセ王治世下の施設と判明しています。

似たような印章は、これまでにも他の遺跡で2000点以上見つかっており、今回のも含めて、ユダ王国の行政および徴税システムを理解するための貴重な資料となります。
印章には、ヘブライ語で「LMLK(LamMeLeKh=王に属する)」を意味する文字が使われていました。国に納める税は、現代のようなお金ではなく、ワインやオリーブオイルといった農産物だったようです。

手順としては、農産物を壺の中に入れ、役人たちが印章を押すといった形でしょう。

また印章の他にも、粘土製の偶像と思われる一連のコレクションが見つかっています。女性の頭部や騎馬の乗り手、動物をかたどった像がありました。

これらは一般に、異教崇拝や偶像崇拝に使われたものと解釈されており、聖書によれば、ユダ王国では偶像崇拝が流行していたようです。

研究主任のネリア・サピル氏は「イスラエルで発見された印章の中でも最大規模であり、当時、この施設はユダ王国の行政の中心として機能していたのでしょう」と話しています。

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