旧唐書の説明
日本はもと小国なれども、倭国の地を併せたり
(日本と倭国は別であり、日本が倭国を制圧したとある)


日本武尊の御子みこ、武皷王(タケミカツチノオウ)に従わせて、讃岐の国造に封じ神陵を作らせる(武皷王の神陵は綾歌郡に、神櫛王の神陵は木田郡牟礼町にあり)。日本武尊の御子 仲哀(チュウアイ)天皇の時代神籬ひもろぎを建て封戸を寄らせる。今の神社即ちその御跡である。その後一盛一衰あるが、武家は弓矢の神となし崇敬深い。寛文4年讃岐守高松藩祖松平頼重(ヨリシゲ)侯こうおおいにその規模を拡め、社殿の修築をなし、領地をさき神領に寄し、幕府の朱印地に改めた。明治五年県社に列せられ現在に及ぶ。