長浜浩明氏は、記紀の初期天皇家の系譜について「倭人は歳の数え方をしらない」という
裴松之の注から、春と秋に歳を数える春秋年の適用範囲を調べ、卑弥呼の存在した時代を
崇神垂仁期としているね。ちなみに、神武東征は大阪に河内潟が存在したBC50年までの
史実として捉えており、春秋年の検証から神武即位はBC70年となるらしい。
また、長浜氏は邪馬台国の場所を筑後川下流域の山門郡としている。当然、異論もあると
思うけど、北部九州を治めた邪馬台国と近畿・中国を治めた大和王権が別物という点では
納得できるし、別物なら地政学的に見ても邪馬台国は九州という説が正しいと思う。

そうなると、日本国の記紀に他国である邪馬台国の記載がないのは当然であるし、中国の
歴史書に邪馬台国ではない未朝貢国の記載がないのも当然かと納得するが…。