【邪馬台国】「死せる孔明 卑弥呼を・・・」孔明死去→仲達→公孫氏(朝鮮)征伐→卑弥呼、魏に従属 [しじみ★]
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三国志は2世紀後半から3世紀の中国を記した史書だ。これを基にさまざまな物語が作られた。九州国立博物館(福岡県太宰府市)の特別展「三国志」(来年1月5日まで)に原画が展示される横山光輝さんの漫画で知った人も多いのではないか。劉備玄徳に関羽雲長…。英雄たちのストーリーは魅力的だ。
一、二を争う人気者は諸葛亮孔明だろう。三国志関連の書籍を数多く出している渡邉義浩・早稲田大教授は卒業論文で孔明について原稿用紙400枚書いたそうだ。玄徳に三顧の礼で招かれた孔明は、ライバル司馬懿(しばい)仲達と対陣中の五丈原で234年に没した。「死せる孔明生ける仲達を走らす」。名場面の一つだが、孔明の死は日本の歴史にとっても重要な出来事だった。
当時、中国で最も勢いがあったのは仲達が仕えた魏。魏は西方で孔明がいた蜀と戦い、南で呉と対する。さらに「五丈原」の時は地方政権の公孫氏とも争っていた。公孫氏が支配した朝鮮半島の付け根あたりは伝統的に倭(わ)(日本)との関係も深い。ここの銅剣は、弥生時代の倭の銅剣に影響を与えたとされる。
独立しようとする公孫氏の討伐を魏は試みるが、うまくいかない。孔明死去で蜀の脅威が減り、切り札仲達を指揮官に投入した。仲達は238年に公孫氏を滅ぼし、翌239年、邪馬台国の女王・卑弥呼の使いが魏にやって来る。公孫氏滅亡がなかったら、少なくともこの年に使者が魏に来ることはなかっただろう。
魏志倭人伝は約2千字の漢字で記される。正史「三国志」にある各国伝の中で最長だ。渡邉教授によると、三国志以外の中国正史では倭の記述が最長のものはないそうだ。「邪馬台国という“大帝国”がはるばる貢ぎ物を持ってきたのは仲達の功績。だから編者の陳寿は倭人伝をいっぱいまとめなければならなかった」と渡邉教授は言う。
三国志は仲達の孫、司馬炎が建てた西晋の時代に作られる。仲達は「高祖」と追号され「王朝の創始者」になる。皇帝と同格だ。中国の皇帝はその徳を慕って異民族が貢ぎ物を持ってくるとされる。邪馬台国の遣使は、仲達が皇帝と呼ぶにもふさわしいことを証明する絶好の素材だった。仮に公孫氏を滅ぼしたのが仲達でなかったら、倭人伝は重視されず、卑弥呼は歴史に残っていないかもしない。「死せる孔明−」は「卑弥呼を残す」と締めることもできる。
「三国志」はあくまで中国の話。だが日本の古代史論争とも密接に絡み合う。そんな視点で特別展を見るのも面白い。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/548439/ >>2
日本は公孫氏(朝鮮)に従属していた
公孫氏が滅亡することで魏に従属できるようになった
これにより魏志倭人伝で卑弥呼の名が残った
つまり公孫氏が滅亡していなかったら卑弥呼の名は歴史になかった 魏志倭人伝の編者の陳寿の父親は、
「泣いて馬謖を切る」の故事で有名な馬謖の参謀だったらしい >>4
公孫氏は朝鮮人とは関係ないよ。そもそも鮮卑や鳥垣と向き合っていた後漢末期の氏族。朝鮮人はその鮮卑よりも遠い所に住んでいたのだから。 >>7
誰も朝鮮人の話はしていない
魏に至るルート上に公孫氏がいたということ。
公孫氏の支配域は遼東から朝鮮の西側にかけて
当然地理的に日本から見たら朝鮮という認識 >>5
三国時代の400年後の唐の時代に編纂された晋書に記載された話
晋書は急いで書かれたうえに怪談まで収録した内容に信ぴょう性が疑われる歴史書だ
そもそも、史官のない蜀の歴史が散逸するところを、それを惜しんだ陳寿が諸葛亮の文集を編纂したことで諸葛亮の偉大さが世間に伝わるようになった
史料を冷静に分析すると、後世の小説に感化された熱狂的蜀ファンは大好きな孔明がほんの少しでも批判されるのが我慢できないので、陳寿を矮小化することで孔明の欠点を無かったことにしているとしか思えんね >>11
中級者にありがちな間違いだが、
本人が名乗ったり他人に呼ばれたりする際に「諸葛亮孔明(姓+名+字)」ではなく「諸葛孔明(姓+字)」が正しいが、
文書や歴史書などに記載される際は「諸葛亮孔明」で問題ない。正史にも「徐庶元直」とはっきり書かれている。 山葡萄原人→ エベンキ → ワイ族 → 前世センジン → ザイニチ 創x
なりすまして国をパクる ソウタイカクメイ 記事の後半のほうが日本史的に重要だけどあんまり知られてない。
さきだって訪れた(西域の大国である)大宛使の朝貢礼を仕切ったのが皇族中でも元老格の曹真で、
中華的にはるかに存在感が薄い倭使を最高格の金印で迎えたのは
司馬一族が実権において皇族にならんだことをアピールするためだった。
奴国の例も踏んだのかもだけど、唐突な大国あつかいは魏内部の政治力学の成分が強い。 >>1 邪馬台国は存在してないに等しい。よって、邪馬台国論争は今後やめてくれ。 卑弥呼はクマソであって大和とは敵対してたの、戦前の研究で明らかにだったのに、何故現代の自称古代史研究者は混同するのかねぇ。
日本史と国史の差なのかねぇ。 >>16
By
邪馬台国資料を焚書した天皇家と宮内庁より >>13
山田太郎大臣みたいな表記かね
日常では山田大臣と呼んだり大臣と呼んだりして場所によっては山田太郎と呼んだりけど
真面目な記録では山田太郎大臣と書く、みたいな >>4
公孫氏は華北だから地理的に朝鮮に隣接してるだけで朝鮮じゃないんですけど。
あと、公孫氏は騎馬軍団なんだが、朝鮮人は馬なんて乗らん。民族的にも朝鮮と関係ないのだが。 >>20
これは遼西の公孫氏じゃなくて全く無関係に割拠した遼東のね。
遼西を亡ぼしたのは袁紹。 倭人は呉の太伯の子孫であると自称しています。邪馬台国は高い確率で呉と修好していたでしょう。
魏がほぼ大陸全体を制し、公孫氏が滅ぼされたまさにそのタイミングで卑弥呼は魏に使者を送っています。
卑弥呼、邪馬台国は大陸や半島の事情によく通じていたと思われます。 朝鮮とか穀物も収穫できない地で繁栄する要素がない。 平和過ぎて面白くないから、小説を描いたら歴史だ!と言うキチガイが現れたでござる いいかげん魏書問東夷伝倭人條というようにしたほうがいいんでないか?
いつまで魏志倭人伝などといってるんだよ >>1
劉玄徳、関雲長、諸葛孔明、̪司馬仲達、
もしくは劉備、関羽、諸葛亮、司馬懿、のどっちかで書けよ
と書こうと思ったけど、後半で司馬炎って出てくるから、
後者で統一せえよ >横山光輝さんの漫画
横山漫画に限らず漫画の宿命だが、
物語の多彩な登場人物に比べて、
漫画では皆さん似たり寄ったりの顔。
見る側としては一人が何役も兼ねて演じている感じ。
頭が混乱してしまい、早い段階で挫折した。 >>13
じゃあ後半で出てくる司馬炎も
司馬炎安世て書かなきゃじゃないの? 朝鮮の位置の一部にかぶるだけで
朝鮮半島の一部にいたが正しい
卑弥呼も日本列島の一部にいたで正しい >>32
横山漫画は特にパターン少ないだろ
兜とか切れ長の目でなんとかやりくりしてる
でも味が有るんだよ ロマンもへったくれも無くなるような妄想は小説くらいにしておいて
ニュースや学説などという事にするのはやめてくださいね
まじ腹が立ってくるから 西暦230年。
呉の孫権は、諸葛直と衛温に武装兵1万を率いて夷州(台湾)・亶州(沖縄・種子島・日本)へ
向かわせ、現地の調査と現地民の捕獲を命じた。
約1年後、諸葛直と衛温は帰国したが、亶州へは遠すぎたため到達できなかった。
成果は夷州の現地民を数千人連れ帰っただけであった。
こういう物騒な事件が、魏に使者を送る前に起きている。 ってか、なんで海の向こうに何があるかわからない時代に
そんな交流があるんだよ、、それが本当不思議 劉備玄徳は董卓討伐連合の時、公孫氏の軍営に属して出陣したんではないか
それで、軍幕に並んだ諸将にお目通りかない顔を売ることができた >>25
宗像神社があるぐらいだしな。海洋民族がいたのは確か。 >>40
台湾の人さらいの話に驚いた卑弥呼が帰順の意を示すため大急ぎで
使者を立てたんやろなw たまたま公孫氏の帯方郡にあいさつにいってた倭人が、
魏に言われて半ば強制的にあいさつしに洛陽に連行されたんだと思うな。
魏の東方支配や簒奪したての曹丕に箔つけるのにちょうどよかったから、
倭の内情関係なく親魏倭王にしちゃったんだと思う。 >>17
卑弥呼女王はクマソじゃないよ〜〜〜
ヤマタノオロチ族 吉備出身です〜〜 >>9
意味がわからない。公孫氏の歴史的評価を日本から見る必要があるのか?そして日本から西は全部、朝鮮だと当時の日本人が思っていたとでも笑
それに日本が朝鮮に従属云々の一文は何なのかな?韓国人の歴史ファンタジーは醜いな。 >>31
司馬炎は武帝か司馬安世でええから前者でもおk ジャーンジャーン!!
「げぇっ?!」からヒミコにコンボ繋がりましたわ >>17
戦前は強い日本を鼓舞していたので、中国に貢物をした卑弥呼を大和朝廷とは
無関係にしたかっただけ。
邪馬台国がヤマト国であるのは明白のこと >>23
卑弥呼の時代に朝鮮半島にいた人と今の朝鮮人は無関係だけどね >>45
南方ルートでは日本列島まで航行できなかったのだから、その時点では情報は伝わってない そもそも、誰がヤマタイ国という音読みを作ったんだ?
普通に、ヤマト国だろうが。
話が終わっちゃったら、
日本の歴史業界の飯の種が減るからって、
ずーっとわかんないフリしてんだろ?
恥ずかしすぎるわ >>59
相変わらず無知なキナイコシ乙
魏志倭人伝に登場する邪馬壹(壱)はシャマイと読む
倭人がシャマイまたはシャマダーと発音していたので中国がその漢字をあてただけだ
邪馬をヤマと読むのは日本語読み 邪馬台国は公孫氏を大陸の窓口として国交を結んでたってこと 『諸君!』 2006年4月号
なぜスパイ防止法を作らないのか
佐々淳行(初代内閣安全保障室長)
http://www.bunshun.co.jp/mag/shokun/shokun0604.htm
諸葛孔明が予言した「倭の国」の弱点
中国の対日工作は、政治家や高級官僚、学者、オピニオン・リーダーをまるごと
洗脳獲得してしまう、忍者の世界でいうと「上忍」の工作で、役所に深夜侵入して
金庫の中の秘密書類を狙うといった「下忍」の工作はしないようだ。だが『三国志』を
ひもといても、中国は古来、諜報・謀略工作活動の華麗な実績をもつ強敵である。
大軍師、諸葛孔明は、弟子たちから「東夷・南蛮・西戎・北狄のうち、東夷の『倭の国』
を破る手だて如何?」と問われたのに対し、「倭の国は剽悍勇武、正面攻撃をすると
恐るべき敵だが、謀りごとをめぐらし、内通者を獲得し、後方から攪乱すると分裂して
容易に破ることができる」と答えたと、『三国志』は誌している。
今日の日中関係を思うと、諸葛孔明は驚嘆すべき洞察力の持主といわざるを得ない。 >>58
南方ルート否定って半島経由正当化のための詭弁だろ。
黒潮と季節風で台湾から九州まで4日だというのに,往来無しとはオカシイ。 >>65
だったら亶州へは遠すぎたため到達できないはずがないんだよなあ、って話では
まあ孫権軍の人狩り行こうぜ部隊は夷州の数千人で満足しちゃったと考えた方が妥当だと思う
1万の兵に数千人の捕虜含めると動かすだけでも大変になる
遠いことを理由にしてサボっただけでしょ >>1
>三国志以外の中国正史では倭の記述が最長のものはないそうだ。
??? >>69
衛温と諸葛直は任務を果たせなかったために処刑されてしまったのだから
さぼったとかはあり得ない話 >>73
三国志の外国伝各国のうち日本の記述が最長。
隋書の外国伝各国のうち日本の記述が最長? 朝鮮辺りの方が長いのでは? 大体前漢後漢の漢は漢人達カナン人達のヘブライ人達の国
公孫はヘブライ人で邪馬台国卑弥呼はキリスト十二支族のユダ族のヘブライ人
ヘブライ語のセム語の漢字で記されたヘブライ人達が書いた魏志倭人伝の邪馬台国
邪馬台国が四国剣山にあったことは日本のみならずイスラエルやアメリカ政府も知ってること
敗戦後アメリカGHQが四国剣山にキリスト十二支族の奇祭があることを知って発掘調査
仁徳天皇陵と同じく発掘調査して遺跡や遺骨を持ち帰りアメリカ博物館へ納めてる事実
イスラエルのキリスト十二支族の後追い調査でも日本へユダ族が渡来した事実も突き止め
ユダ族の秦一族が八幡神社を全国各地に作ってることもイスラエルは調べてるわけで
日本に古くから住んでる秦一族の末裔が四国に居るが
剣山のことも知ってるわけで
キリスト十二支族の奇祭が何故あるも突き止めてる
在日達はそんな事実が判明してることさえわかってないから誤魔化しコメントで九州だの近畿だの言ってる
もう皆知ってるんだよ
大昔から邪馬台国が四国剣山だと
朝鮮人達だってわかってるからお百度詣りに四国に来ては剣山に来てウリナラキリスト詣りをしてる 古代でも大麻が古代イスラエルのユダ族の儀式そのものもを邪馬台国の卑弥呼が使ってたわけで
日本に渡来したユダ族の大麻の儀式に使用したのも邪馬台国の儀式と全く同じなのは
邪馬台国がヘブライ人ユダ族達だから
日本の縄文人達アイヌが7300年前の九州桜島のカルデラ噴火の影響で縄文人達アイヌが日本から離れて
世界に散らばった縄文人達アイヌが山岳崇拝の神道で出来上がったのがピラミッドなわけで
日本にも自然の中の山をピラミッドになってる場所がたくさんある
メソポタミアのヘブライ人達シュメールやイスラエル王国のキリスト十二支族のユダ族もまた日本へ帰って来た縄文人達アイヌの弥生人
日本語のひらがなカタカナもまたヘブライ語
日本の文化の神社や鳥居や相撲や神楽といった文化もまたヘブライ文化
日本民族のバンザイの叫びはヘブライ語でユダヤ
神への感謝の意を表してるもので
日本民族がユダヤ民族と言われる所以
その事実がイスラエルのユダ王国のユダ族もまたアラビア海から海ルートで沖縄に渡来したキリスト十二支族のユダ族
日本に渡来したユダ族の大麻の儀式に使用したのも邪馬台国の儀式と全く同じなのは
邪馬台国がヘブライ人ユダ族達だからで
邪馬台国がヘブライ語でマタイの国と言われるのは
ヘブライ語のマタイの意味がキリスト十二支族の人達を意味するからで
ユダ族と全く同じ儀式をしてるのも邪馬台国の民がユダ族そのものだからこそ
邪馬台国が四国剣山にあったので剣山では今も昔の儀式のキリスト十二支族の儀式が行われている 民族ルーツのシベリアエベンキの朝鮮人や中国人の民族ルーツ誤魔化し
カナン人のヘブライ人達を漢字で書くと漢人
漢人はシベリア民族エベンキだった中国人ではなくヘブライ人達カナン人が漢人
そのヘブライ人達は元々日本民族の縄文人達アイヌなわけで
古代ユダヤ民族が日本民族の縄文人達アイヌなのは
日本民族のバンザイの叫びはヘブライ語でユダヤ
神への感謝の意を表してるもので
日本民族がユダヤ民族と言われる所以だからで
カナン人達の遺伝子は日本民族に対し存在してるわけで
アシュケナージのイスラエル人やアラブ人だけではない
そもそも7300年前の日本の桜島のカルデラ噴火の影響で日本の縄文人達アイヌが世界に散らばらなければピラミッドどおろか
世界の宗教のユダヤ教やキリスト教やイスラム教や仏教やヒンドゥ教など無かったわけで
山岳崇拝の神道がなければピラミッド自体存在すらなかったわけだから
日本のテレビ番組でも紹介されてた7300年前の桜島のカルデラ噴火の影響で西日本一帯の縄文人達アイヌが世界に散らばり
太平洋の島々や北米や南米に縄文人の遺骨や縄文土器が数多く発見されてるわけで
本家エジプトのピラミッド
イスラエルのゲリジム山の神殿
ギリシャのアテネのパルテノン神殿
メソポタミアの神殿
マヤのピラミッド
インカの神殿
全て日本の縄文人達アイヌが7300年前の九州桜島のカルデラ噴火の影響で西日本一帯の縄文人達アイヌが日本から離れて
世界に散らばった縄文人達アイヌが山岳崇拝の神道で出来上がったのがピラミッドなわけで
日本にも自然の中の山をピラミッドになってる場所がたくさんある
メソポタミアのヘブライ人達シュメールやイスラエル王国のキリスト十二支族のユダ族もまた日本へ帰って来た縄文人達アイヌの弥生人
エジプトに流れた縄文人達アイヌが山岳崇拝の神道に影響されエジプトにピラミッドがドンドン作られたことも事実
日本語のひらがなカタカナもまたヘブライ語
日本の文化の神社や鳥居や相撲や神楽といった文化もまたヘブライ文化
日本民族のバンザイの叫びはヘブライ語でユダヤ
神への感謝の意を表してるもので
日本民族がユダヤ民族と言われる所以 今現在のイスラエル人はユダヤ人ではなくトルコ北部にいた白人系アシュケナージで古代ユダヤ民族ではない
そもそもユダヤは人種の名前じゃない
そこからして全くわかってない無知な在
ヘブライ語のユダヤは人種名じゃない
神への感謝の意を表す言葉のバンザイ
日本人がバンザイバンザイと喜びを表すのに叫ぶバンザイはヘブライ語でユダヤ
だからこそ古代では日本の縄文人達アイヌをバンザイ民族ユダヤ民族と言ってたわけだから
日ユ同祖の日本民族とユダヤ民族は同じ縄文人アイヌの日本人だからこそ
日本民族と白人イスラエル人が同祖ではない この邪馬台国の地とされる四国剣山
邪馬台国はヘブライ語でマタイ
マタイはヘブライ語でキリスト十二支族の人々のこと
邪馬台国のマタイの国はキリスト十二支族の民ユダ王国のユダ族のキリスト十二支族の人々の国とわかる
その四国にはユダ王国のユダ族の末裔秦の末裔がいる
邪馬台国がイスラエルのユダ王国のユダ族が民であるのと
今も残るキリスト十二支族の奇祭が今も残る
秦の末裔がいる四国には天皇自ら親交のあり話もされてる事実
在日達が誤魔化して邪馬台国が近畿だの九州だの言ってるが
事実を知る秦一族の末裔と
天皇自ら親交のある秦一族の末裔にお会いになってるのが全て
在日達が誤魔化しても戦後アメリカGHQが四国剣山で失われたアークを求めて剣山を発掘
遺跡と遺骨を持ち帰りアメリカの博物館へ収納されてるわけで
全ての歴史事実が判明してる
邪馬台国は四国剣山 邪馬台国の想いを馳せて、最近三国志は公孫瓚でプレイしてるわ >>81
公孫瓚ってなんか関係あったっけ?
俺はむしろ、公孫度・公孫淵を成敗して、曹一族と戦う方向でプレイする 記実をみれば
邪馬台国のある3世紀当時の日本列島全体の人口は当時500〜600万人ほど
中国大陸全体で3000万人ほどからするといかに邪馬台国のある当時の日本が大国かわかる
魏志倭人伝は約2千字の漢字で記される
正史の三国志にある各国伝の中で最長
渡邉教授によると三国志以外の中国正史では倭の記述が最長のものはない
邪馬台国という大帝国がはるばる貢ぎ物を持ってきたのは仲達の功績
当時の日本列島全体はヘブライ人達の国で中国大陸東北部や朝鮮半島もカナン人達ヘブライ人達の国
当時中国や朝鮮半島はヘブライ人達の国でシベリアエベンキの中国人や朝鮮人達はシベリアに居て居ない
だからこそ漢人達カナン人達の漢字がヘブライ語のセム語で日本もヘブライ語だったからこそ
中国や朝鮮半島邪馬台国の日本もヘブライ語で理解し合えたわけだから
今現在の日本と中国と朝鮮がそれぞれ全く違う民族ルーツの全く違う言語の壁がある現在とは違うということ 今現在の状況からすると2〜3世紀当時は日本列島が大国で日本も中国も朝鮮半島もヘブライ人達の国
逆に中国大陸の人達が日本へ船で来ることが出来ない代わりに船を操る唯一の日本が中国大陸との関係を作ってたのが本来の真実
邪馬台国があった当時の日本は中国より大国扱いだったからこそ金印等の贈り物が日本へ運ばれたのでは
朝鮮人達や在日達の考古学教授達が考えてる世界とはまるで違うから
全く事実と辻褄が合わないから邪馬台国の位置も場所もめちゃくちゃ
何故ならヘブライ語の漢字を理解して当時中国と日本と朝鮮半島を理解してなどいないから >>1
中公新書倭国の時代で岡田が書いてたことだろ、これ >>4
公孫氏が史上のような形で滅亡してなかったら、倭国大乱から途絶えた倭国の朝貢の記録も公孫氏に残っていただろうよ。
日本にとっては公孫氏がちゃんと歴史を残してくれていた方がよかった。 近畿パーがとうとうあからさまにネタに走り出したww >>89
こまけえことだが「倭国大乱」は後漢書による誤伝
先行の三国志(の魏志倭人伝)には「相攻伐歴年」とだけあって後漢書が「大乱」とみなした「七八十年」は卑弥呼以前の男王の治世期間 >>93
中国語の欠陥が原因だからあまり責められない
三国志は政治的背景もあって倭の叙述に紙幅を割いてるけど
一般には数ある周夷についていちいち読み込んで文意を把握する手間なんてかけてられないってなところだろう >>91
まぁ実際に同時期の戦闘の痕跡は多数出土してるからね
魏志倭人伝はちょうど争いがほぼ終わって古墳時代が始まろうとしているころだから
大和王権の勃興期の貴重な記述だよなぁ >>95
「同時期の戦闘の痕跡」は吉野ヶ里遺跡じゃねえの?
「大和」王権とは関係ないじゃん
それと7世紀に日本を国号とする国家を記録した古代中国は
日本人の証言に整合性が無いので倭とストレートに繋がっているとはみなしていない 旧唐書では、倭国と日本国(ヤマト)が別記されている。
https://i.imgur.com/LMs5IbV.png
■倭國条 〜631年 (倭国時代末期)
「倭國者,古倭奴國也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
■日本条 701年〜 (畿内ヤマト政権時代)
「日本國者,倭國之別種也。」
(日本国は倭国とは別種である)
そして古代倭国との関係について
日本国使者があれこれ言い訳をする。
「日本舊小國,併倭國之地。」
(小国だった日本国が倭国を併合した)
↑
これは遣唐使に倭国と日本が別国だったという認識が無ければ出てこない言い訳だ。
■参考
遣唐使に参加した伊吉博徳書には、我客(倭国)と別倭腫(日本国)の使節団が
中国で争いを起こしたと書かれている
■結論
この時点で倭国と日本国は別政権でした
やはり日本が統一政権となったのは8世紀という事で間違いない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています