0001しじみ ★
2020/06/08(月) 17:04:39.56ID:CAP_USER中国地質大学副教授の邢立達(Xing Lida)は、2016年にミャンマー東北部産の琥珀のなかから約9900万年前の白亜紀前期の恐竜の尾を発見したと報告し、世界的な注目を集めた若手研究者だ。
邢立達はその後も、同地で発見された琥珀のなかに含まれた、恐竜(小鳥類)の頭部やヘビ・カエル・カタツムリなど貴重な標本の数々を報告。
きらめく琥珀のなかに、生前の姿を保ったまま封入された古代生物の姿はロマンチックかつ華やかで「記事映え」することもあって、彼の一連の発見は欧米圏を中心に評判となってきた。
だが、採掘地付近がミャンマー中央軍とカチン族ゲリラの紛争地であること。標本の入手にあたって現地業者からの「購入」という形を取る点が、非人道的行為をおこなっているミャンマー軍の資金源になりかねないこと。採掘された標本が中国国内の非公式的な博物館に所蔵され、国外の研究者からのアクセスが容易ではないこと──。
などを理由として、近年は欧米圏の学術誌や一般メディアから批判が噴出するようにもなっている。
決定的なのは、今年4月にアメリカの権威ある学術団体・SVP(脊椎動物古生物学協会)がこれらの問題を非難するレターを発表し、標本入手にあたっての倫理的問題を批判するようになったことだ。
■海外の懸念は根拠がないとはいえない
ミャンマーの琥珀の含有物が評判になるにつれ、科学界ではミャンマー琥珀の潜在的な倫理問題についての感心も高まるようになってきています。この問題はさまざまな分野に関係し、きわめて論争が多いものですので、いまのところ学界と社会において統一した見解は出されていません。
一連の科学者たちの懸念は根拠なきものであるとはいえないのですが、だからこそ私たちは各方面からの声に耳を傾ける必要があります。ある事件についてひとつの声しか出てこないのは、実に危険なことですから。
歴史を見れば、漢代より早い時期から、ミャンマーの琥珀は宝石として中国の市場に入っており、さらに一部は中国から海外の市場に広がっていきました。これは歴史上においてビルマ翡翠(ジェダイト)やレッドサファイアが中国や世界の市場に入っていったのと同様の流れで、こうした状況は明代まで続きました。
1627年、オランダとイギリスの東インド会社がそれぞれミャンマーに支社を設置して貿易を始め、やがてイギリスは(ミャンマーへ)武装して侵入して植民活動を展開していきます。
1885年に至って、英緬戦争によってコンバウン王朝は滅亡し、国家全体が英領インド帝国に併合されます。ミャンマー琥珀が(中国へ)北上していく図式にも終止符が打たれ、イギリスが大部分の琥珀を思い通りに独占できるようになりました。
インド地質調査局の記録によれば、1898年から1940年まで、ミャンマー北部の鉱区では83トンものミャンマー琥珀の原料(である鉱石)が産出したといいます。最大のものは岩ひとかたまりが15キロに達し、ロンドン自然博物館に所蔵されています。
第二次世界大戦の発生と、戦後のミャンマー国内の軍事紛争というながきにわたる動乱のなかで、ミャンマー北部の琥珀鉱区はながらく閉鎖されてきました。1990年代の後半にいたり、カチン民族の地方武装勢力とミャンマー中央政府が和平合意に達したことで、鉱区はようやく再び開放されたのです。
しかし、当初は欧米諸国の企業のみが(鉱区ビジネスに)参入し、なかでも名をよく知られていたのがカナダ西部のカルガリー市から来たリーワード・キャピタル社でした。
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https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/0/0/0057f_1413_b3f4da821665799348d59558f92d4306.jpg
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73033