旧日本海軍の高雄型重巡洋艦は「高雄」「愛宕」「摩耶」「鳥海」と4隻が建造されましたが、実は幻の、5隻目の高雄型が存在しました。建造されたのは当時の敵対国アメリカ、しかも砂漠のど真ん中で、といいます。どういうことでしょうか。

■数多の戦果を重ねた高雄型重巡洋艦に謎の「5番艦」

 旧日本海軍には、「高雄型」と呼ばれる重巡洋艦がありました。「重巡洋艦」とは当時、最も大きな「戦艦」に次ぐ強力な水上艦のことで、基準排水量1万トン以下(実際は制限を超えていた)、口径203mm以下の主砲を備えます。高雄型重巡洋艦は1番艦である「高雄」以下、「愛宕」「摩耶」「鳥海」の4艦が建造され、いずれも1932(昭和7)年に就役。太平洋戦争においては主要な海戦の多くに参加しました。

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しかし戦争末期の1944(昭和19)年10月下旬に行われた、旧日本海軍にとって事実上、最後の大規模な組織的戦闘になった「レイテ沖海戦」では、「愛宕」「摩耶」が潜水艦の魚雷を受け多数の乗員とともに沈没。「鳥海」は航空攻撃を受け航行不能となり、自軍の魚雷によって処分という最期を迎えます。このとき唯一、生き残った「高雄」は、シンガポールにおいて艦尾を切断された状態だったものの、浮上した状態で終戦を迎えています。

 艦艇や船舶は、同じ艦型、船型のものを「姉妹艦」などと表現しますが、実は高雄型には「血のつながりのない五女」が存在しました。その名は「ミューロック・マル」、彼女もまた戦争を生き残っています。

「ミューロック・マル」はアメリカ生まれの艦であり、正式名称は「臨時標的物 T-799(Temporary Building 〈Target〉 T-799)」といい、アメリカ陸軍航空隊が対艦爆撃訓練のために、高雄型を模し建造した「標的艦」でした。なぜ数ある旧日本海軍艦艇のなかから高雄型が選ばれたのかはわかりません。

■高雄型「5番艦」、浮かぶは砂漠のど真ん中

T-799の構造は木材フレームと金網からなり、その全長は198mありました。実際の高雄型が203mですから、ほぼ実物大であったといえます。T-799は1943(昭和18)年8月、ロサンゼルスから北北東へ約100km、カリフォルニア州ミューロック陸軍航空基地近郊の、ミューロック乾湖の湖上南端において完成します。

 つまりミューロック乾湖に建造された、日本海軍の船を模した標的であるから、ミューロックの地名に日本の艦船に多用される「丸(maru)」をつけ、「ミューロック・マル(Muroc Maru)」と愛称が付けられたのです。
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ミューロック乾湖はモハーベ砂漠にあり、周囲に比べてやや低い場所であるものの、普段は流れ込むような河川もなく、さらに降水量よりも蒸発量のほうが遥かに大きいため、その名が示す通り干上がった湖です。そして112平方キロメートルにもおよぶ乾いた湖底は、地球の曲率よりも平坦な粘土質の砂漠となっています。陽炎が発生した場合などは、そのひたすら平らな湖底に浮かぶ「ミューロック・マル」が、まるで本当に海上を航行してたように見えたといわれます。

「ミューロック・マル」完成のおよそ半年前である1943年3月、アメリカ陸軍は「スキップボミング」と呼ばれる爆弾投下方法によって、旧日本軍に大打撃を与えています。スキップボミングとは艦船を攻撃する際、低空で爆弾を投下し、「水切り」と同じように海面で爆弾を跳ねさせ船の側面を狙うものであり、高い有効性を実証しました。

 海面に似たミューロック乾湖の、湖底にあった「ミューロック・マル」は、スキップボミング訓練のための絶好の標的となり、P-38戦闘攻撃機のパイロット、およびB-25、B-24爆撃機搭乗員の育成に使われることとなります。


乗りものニュース
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続く)