【まとめ】

・福島・伊達市の住民被曝調査論文が個人情報の扱いでも批判浴びる。

・全住民の同意取得は理想だが、震災後の混乱を知らない人の戯言。

・後世に情報が伝わらない論文撤回は妥当か。市民に問いかけを。


福島県伊達市の住民被曝を調査した論文が批判を浴びている。問題視されているのは、同意を得ていない2万7,233人と不同意の97人のデータが解析に利用されていたこと、および累積線量を3分の1に過小評価していたことだ。論文の著者は早野龍五・東京大学理学系研究科教授(当時)、および宮崎真・福島県立医科大学(福島医大)助教(当時)だ。

論文は2016年12月および2018年3月に“Journal of Radiological Protection”に掲載された。前者は実際の被曝量と空間線量を比較したもの、後者は生涯の被曝線量を推計したものだ。後者で計算を間違えた。早野教授は早々にミスを認めている。議論が紛糾しているのは前者だ。

メディアやネットは早野叩き一色だ。「早野教授は研究者として真摯な対応を(ハーバー・ビジネス・オンライン)」、「市民の被曝線量を過小評価した論文専門家が新たな疑問(朝日新聞)」という感じだ。このような記事を読めば、誰もが早野教授が自らの業績を上げるため、所定の手続きを踏まずに研究を進めたと感じるだろう。実態は違う。

この時期、私も福島県浜通りに入っていた。そして、現在も活動を継続している。早野教授には様々な面でご支援いただいている。私たちは伊達市とは御縁がなかったが、相馬市や南相馬市の被曝に関する論文を発表している。当時の状況がわかる立場だ。ご説明したい。

強調したいのは、当時、福島は大混乱だったことだ。政府はもちろん、福島県庁、市町村、さらに福島県立医科大学(福島県立医大)や医療機関は、被曝対策のノウハウはなく試行錯誤を繰り返していた。

政府は放射線医学総合研究所や日本原子力研究開発機構に指示して、被災地の支援に従事させていたが、中心は福島第一原発周辺の高度汚染地域だった。原発20キロ圏外の相馬市、伊達市、南相馬市の一部をサポートする余裕はなかった。早野教授を含む、有志の医師や研究者が支援したのは、このような地域だった。

当時、被曝を危惧する人はすでに避難していた。残った人は、故郷で生活すると決めていた。彼らの関心は「どれだけ被曝しているか。どうすれば被曝を避けることができるか」だった。内部被曝と外部被曝の評価が喫緊の課題だった。

内部被曝については、南相馬市立総合病院にホール・ボディ・カウンターを導入した。当時、東大医科学研究所(東大医科研)の大学院生で、震災後すぐに現地に入っていた坪倉正治医師が、メーカーはもちろん、自衛隊にコンタクトしてノウハウを学んだ。ところが、どうしても測定値が有り得ない値を示すことがあった。後日、遮蔽が不十分なため、周辺にまき散らされた放射性物質がノイズとなって正確に測定できていないことがわかった。このとき、坪倉医師が頼ったのが早野教授だった。ツイッターでコンタクトしたところ、協力を快諾してくれた。早野教授の協力で、過去のデータの補正も可能になり、南相馬市立総合病院の内部被曝検査は軌道にのった。多くの市民が検査を受け、自らの被曝が低いことを知って安心した。

坪倉医師は、この結果をまとめてアメリカ医師会誌(JAMA)に寄稿し、2012年8月に掲載された。福島の内部被曝がチェルノブイリとは比べものにならないほど低いことを、世界の多くのメディアが報じた。

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