戦艦「比叡」をポール・アレンの調査チームが発見 国産初の超弩級戦艦[02/06]
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■国産として初めての超弩級戦艦であり、昭和天皇の御召艦としても親しまれていた
国産初の超弩級戦艦として誕生した、旧日本海軍の「比叡」。太平洋戦争で沈没し行方が分からなくなっていたが、アメリカの調査チームが2月4日、比叡を発見したとFacebook上で発表した。
調査チームは、マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏が設立した財団。ポール氏は2018年10月に亡くなったが、彼の遺志を継いで調査を継続している。
ソロモン諸島のサボ島北西の海域で、水深985mの場所から発見された比叡は、船体がひっくり返った状態で確認された。船体が大きく破損しているものの、5インチ砲やスクリュープロペラ、かじなどが見て取れる。
■比叡のものとみられる船体の破片
調査に同行していたNHKは2月6日、撮影された比叡の状況から、専門家は「船体のおよそ3分の1が切断されているとみられ、大きな爆発によって沈没した可能性が高い」と分析していると報じた。
■比叡とは?1914年竣工、日本で初めての国産超弩級戦艦
比叡は1914年、初めての国産超弩級戦艦として竣工した。
イギリスのヴィッカース社に建造を依頼した「金剛」と同じ型の戦艦として、図面や技術をイギリスから取り入れ、部品を輸入して日本海軍で初めて日本人の手によって造られることになった。
当初、強力な攻撃力を持つ巡洋戦艦として期待された。しかし、まもなく第一次世界大戦中の1916年5月のユトランド沖海戦で、金剛型よりも装甲が厚いイギリスの「クイーン・メリー」が、ドイツの巡洋戦艦「デアフリンガー」に撃沈され、比叡を含む金剛型の防御力不足があらわになった。
この事件を受けて防御力不足を補うための補完工事に入っていたが、ロンドン海軍軍縮条約より、日本は比叡を廃棄することになった。比叡はその後、装甲を撤去されて練習艦に改造された。
■昭和天皇が乗る艦に。再び戦艦として復帰し、自沈
練習艦として改造された後、比叡は装甲がなくなったことで艦内が広く使えるようになった。また、練習艦となったことで出撃もなく、昭和天皇が乗艦する「御召艦」として使われるようになった。
だがその後、日本は1936年にロンドン海軍軍縮条約から脱退、戦争への道を突き進む決断をした。条約の制限がなくなったことにより、比叡は再び戦艦としての武装を取り戻すことになる。
1941年には、真珠湾攻撃で艦隊直衛艦として空母部隊に随伴。スターリング湾では、アメリカ軍の駆逐艦エドソルを撃沈するなどの戦績を挙げていた。
その後ミッドウェー海戦に参戦した後は、戦況の厳しかったガダルカナル島の戦いに転じるためにソロモン海域に進出。1942年11月13日、第三次ソロモン海戦で連合国の艦隊の攻撃を受けて航行不能となり、船舶の船底などに設けた取水管に使用される止水弁を開放し、自沈したとされてきた。
だが、今回の調査により、大きな爆発を被った可能性なども出ており、なぜ沈んだのかの検証が進むことになりそうだ。
■ポール・アレン、武蔵も発見
今回、比叡を発見したポール・アレン氏の調査チームは、世界各国で沈没した戦艦を発見しており、2015年には戦艦武蔵を発見して大々的なニュースとなった。
http://livedoor.blogimg.jp/jin115/imgs/2/8/2836efeb-s.jpg
https://news.biglobe.ne.jp/international/0206/1049742526/20190206102400041_thum800.jpg
https://news.biglobe.ne.jp/international/0206/1049742526/20190206102412088_thum320.jpg
https://pbs.twimg.com/media/Dyr254OU8AAnXz3.jpg
https://pbs.twimg.com/media/Dyr25iWVAAEOB_S.jpg
https://i1.wp.com/kanmsu.com/wp-content/uploads/2017/12/aX7DNLm.jpg
https://www.huffingtonpost.jp/2019/02/05/hiei-senkan_a_23662544/ 第三次ソロモン海戦
結局舵に被弾して、目前のヘンダーソン飛行場から、ぼこぼこに空襲されるように
なったのが命取りだったんやね。
いくらバルジで固めても、方向舵に当たるとは思わないよね
霧島は、先頭にいたワシントンを見落としたのが、命取りだったな
金剛級巡洋戦艦は、機動部隊と行動を共にすることができたため、使いがってがよく
重宝され、武運に恵まれ、戦歴は華やかだ。 ポール・アレン、数年に亡くなったような気になっていたが、四ヶ月も経ってないのか。
>>23
200人ほどいるフロアでトイレの大が三つしかなかい職場に通ったことがあるが、
あれは悲惨だった。3/200でトイレ大一つあたり67人か。人間扱いしてないよなこれ。 巡洋戦艦は空母時代のコンセプトにはあっていた。陸奥なんか機動艦隊についていけなくて置き去りにされ、ついたあだ名が「燃料タンク」 小学生のときの愛読書が「怒りの海 - 戦艦比叡・西田艦長の悲劇」だった。 >>40
アメリカは実際には潜水艦(による補給網通商破壊)で戦局転換を図ったんだぜ
ニミッツ提督が空母推進のように思われてるがね(原子力空母の名前の連想からだろう)
実際には空母機動部隊の建設より先に潜水艦の建造・運用に力入れた
ニミッツ提督は潜水艦艦長だった(海軍大学での講演は「潜水艦の攻撃と防衛作戦」)から、その価値を米軍の中で一番理解してたんだよ >>87
当時のレーダーはまだまだだったのに、暗号が解読されたせいでトンデモナイエンカウント仕様に
陸軍よりも諜報が下手な海軍とはいえ、怪しまなかったのか? >>87
アメリカすげーな
事実撃沈された海軍の軍艦より民間の輸送船の方が多かったらしいしね
その反省か現代の自衛隊はシーレーンの確保を重視してるし >>32
その日本文化がほしくてバクルのは誰かなぁwww >>82
>>84
よく金剛型以外の戦艦が鈍足で空母機動部隊に云々言われるけど
あれは嘘だぞ?
空母機動部隊だろうが戦艦部隊だろうが、通常時の艦隊航行速度は18ノット
空母に30ノット以上の高速が求められるのは運用の仕方が巡洋艦と同じで
追撃やら遊撃やらすることを前提にしているからであって
特に敵艦を追いかけまわしたり逃げまわったりするのでない限り全速力なんか出さない
20ノットオーバーの高速なんか普段から発揮してたら燃料がいくらあっても足らんよ
金剛型が空母に随伴していたのは単に一番古くて使いつぶせる戦艦だったからにすぎない >>31
艦砲射撃が成功したのは1回目の金剛&榛名だろ。
二匹目のドジョウを狙った比叡&霧島は待ち伏せ喰らって艦砲どころじゃなかったのでは? >>89
暗号解読云々の話は話半分に受け止めていた方がいいぞ
だいたい、暗号解読だけが敵情分析の手段じゃないし
暗号解読と分析にかかる時間を考えると実際には間に合っていない事例の方が多い
ミッドウェーの偽電の一件も実はプロパガンダのための作り話だったという説もある >>95
当時の水上レーダーは大した性能じゃないので、潜水艦があんな精度で待ち伏せできたとは思えないな >>90
商船や輸送船撃沈されすぎて国家運営が破綻寸前まで追い込まれた
占領地広げすぎてまともなシーレーン防衛も出来なかったし上層部がアホ過ぎる
真珠湾で主力艦隊壊滅させれば日露戦争みたいに講和に持ち込めると考えていた時点で詰んでる 山本は真珠湾で勝てばとだけ考えたわけではないし、だが彼でも日本の兵站能力を把握していたとは言いがたいな
珊瑚海も勝ちはしたがミッドウエーで早くも補充がグダってきてたわけで
航空戦力の充実なんてロジックは全く追いつかなかった。つまり彼の早期決着プランは画鋲だった >>92
第二次ソロモン海鮮の時に第二艦隊にいた陸奥は駆逐艦3隻つけられて分離されてしまった
最高速力が遅いと土壇場でついていけないの
第二次大戦の時には27ノットくらいに境界線があって
大和とサウスダコタは当落ライン上で空母艦隊に嫌がられ
長門陸奥は不合格で両艦とも分離の対象になった >>101
水雷戦隊の突撃になぜ戦艦がつきあわなければならないのか?
>>103
古い設計の艦は側面に装甲帯をリベット止めとかで付加していた
新世代の大和は軽量化のために装甲鈑にも応力を分担させる構造になっていて「裸」では航行不能になる 潜水艦のニミッツ(自身が潜水艦乗り)
空母のハルゼー(自身もパイロット教育課程を履修 パイロットとしては成績は悪かったw)
2人の戦略思想家にやられちゃったということか >>106
ニミッツは作戦家ハルゼーは戦術家
無制限潜水艦作戦は前任のキンメル指揮下で発令済み >>61
霧島はアメリカ海軍の公式判定ではサウスだコタに1発しか当ててないことになってるのだが
(不発弾が三番主砲を使用不能にさせただけ)
5、6発は当ててるとする研究者もいるな。
そう、せっかく命中させても三色弾がろくにダメージが与えられなかったために巡洋艦の砲弾だと判定された可能性大。 >>101
陸奥は機関不調で22ノットしかでなかったんちゃうんか? >>93
飛行場砲撃にいっても敵艦隊と戦闘になったら海戦の勝ち負けに関係なく
例外なく砲撃は中止に追い込まれて戦略的には負け、なんだよな。 >>82
日本海軍は戦艦や巡洋艦2、3隻を1群として飛行場砲撃に行って
敵艦隊と遭遇したら必ず飛行場砲撃は失敗しているんだから
一度に2群を投入して前衛は艦隊戦、後衛は飛行場砲撃担当じゃないとうまくいかない気がする。 >>108
三式弾でも上部構造物に当たれば大被害かもね
敵発見と同時に目標を転換して取り合えず三式弾でもいいから発砲した判断は
ミッドウエイ南雲提督の兵装転換での時間浪費に比べれば正しかったね〜 それ以前に艦隊は空母機動部隊をろくに護衛もせず。傍観かまして皆殺し食らったのは何故。まるで大戦果を挙げ続ける機動部隊がポカをやらかすのを待っていたかのようだ。 ロケットの方は金を引き上げたっぽいけど
こっちはまだ金を出してやってるんだな
でも、遺族達は、これで金を引き上げそうな気もする 金剛型が駆逐艦並みに扱う云々と言われていたのは知っているけど、
ときどき見かける、古いので使いつぶしても構わないという話は、
戦争当時の資料にあるものなのか、戦後の軍艦オタクの想像が根拠なのか? >>112
偵察機から戦艦だと連絡きてたのに近藤提督はサウスダコタが主砲を撃つまで巡洋艦と信じてた
飛行場に千発撃ちこむ時に最初の30発が装薬の少ない徹甲弾なのと
戦艦が出てきたときに相手に浴びせる最初の30発が三式弾なのと
どっちがマシか考えりゃわかる気もするが、
提督座談会見るとそういう主体的な判断ができん人だったらしい
建設業界の善良な日本人たちから
永年にわたり生き血を吸ってきた
ゴキブリ立憲民主党の【辻元清美】
パヨク(ゴキブリ在日韓国人)女
さっさと【議員辞職】して
生コン在日ジジイのメカケにでもなれ!
ポール・アレンって何で、こんなに沈没戦艦探しにこだわってたの? >>116
米軍が虎の子の新戦艦まで繰り出すほど土俵際だったとは誰も想像してなかったから
大したハードターゲットの無い飛行場と至近距離での対巡洋艦戦のために徹甲弾を装填しとけというのは酷
ただそこは通常榴弾じゃないの?とは思う 暗闇の中で発砲されたり発砲したり
発射火炎に晒されて
見張りや測的所の観測員の目はさぞかし眩惑したことだろう 第3次ソロモン海戦のあとは日米ともに戦艦を夜戦に投入しなくなる。
旋回速度の遅い主砲があまり役に立たない近接戦闘に投入された戦艦は、実質軽巡程度の戦力にしかならないことがわかったから。
それでいながら、運用コストと修理費は馬鹿高い。 今の海上自衛隊の艦船の主砲の最大口径とかその威力はどれぐらいあるの? ポール・アレンて魅力的な人物だ。
65歳で亡くなったのは残念。 >>119
wikipedia見るといい。
見えてくるものがあるよ。
父親が司書だったってのがどこかで影響してる。
魅力的なひとだ。 英戦艦プリンスオブウェールズ、レパルス、日本の重巡羽黒、軽巡那珂は
違法なサルベージ会社が爆薬で船体をちぎって回収し、クズ鉄としてどこかに売ったらしく
今はもう見る影もないとか
そういう系じゃなきゃいいんだが イギリスの猿真似
元祖パクリ国家の日本は中国韓国の大先輩 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています