大阪府高槻市の高槻城跡から、木で補強した石垣と、泥を入れて敵を動きにくくする複数の穴を開けた障子堀(しょうじぼり)が見つかり、市教育委員会が30日、発表した。キリシタン大名の高山右近(1552〜1615年)が城主を務めた16世紀後半につくられたとみられる。いずれも当時の最先端の技術で、防御力を高めていた。障子堀は西日本最古級。戦国期の高槻城は絵図がなく実態が不明だったが、専門家は「幻の高槻城に迫る発見」としている。

 石垣は長さ約44メートル、高さ約50センチ。下部には当時最先端技術の胴木(どうぎ)と呼ばれる木材を設置しており、地盤の補強を図ったとみられる。

 一方、障子堀は長さ約70メートル、幅約16メートル、深さ約4メートル。攻めてきた敵を動きにくくするために底に方形の穴を設けており、一辺1〜4メートル、深さ20センチ〜1メートルの穴が28個見つかった。土の状況から泥をためていたとみられる。障子堀は戦国期に関東を支配した北条氏が小田原城(神奈川県小田原市)などで取り入れたが、西日本では最古級という。

市教委は、石垣に使われた石や、石垣の積み方から右近時代のものと判断した。

 高槻市立今城塚古代歴史館の森田克行特別館長は「戦国期の『幻の高槻城』の中心付近を明らかにした。障子堀は、右近が臣下になった織田信長の影響を受け、考え出した可能性もある。右近が名築城家だったことを示す」と話す。

 現地説明会は2月2日、午前10時〜正午。小雨決行。問い合わせは市立埋蔵文化財調査センター

■高槻城跡で出土した障子堀の穴と石垣(右)。穴は敵を動きにくくするためのものとみられる=大阪府高槻市
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