【邪馬台国九州説】は「99・9%」福岡県にあった!ビッグデータが解いた「卑弥呼の墓」の謎
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
■『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』、日本神話、考古学資料などを、総合的に統計学的手法で分析すれば、99.9%の確率で、邪馬台国は福岡県にあったことが言える。
■和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」
白鳥庫吉(1865〜1942年)は、明治期の東京帝国大学(現在の東京大学)を代表する東洋史学者であった。白鳥は1910年に発表した論文「倭女王卑弥呼考」のなかで、『魏志倭人伝』の「卑弥呼(ひみこ)」に関する記事内容と、『古事記』『日本書紀』の「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」に関する記事内容とを比較している。そして、この二つの記事内容について「その状態の酷似すること、何人もこれを否認するあたわざるべし」と述べている。
白鳥庫吉の見解を受け継ぎ、それを「邪馬台国東遷説」という形で大きく発展させたのは、東京大学の哲学者・和辻哲郎(1889〜1960年)であった。和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」は『日本古代文化』(岩波書店、1920年刊)のなかに見える。「邪馬台国東遷説」というのは、邪馬台国は九州に存在し、のちにその勢力を受け継ぐものが東遷して「大和朝廷(やまとちょうてい)」になったとする説である。
和辻哲郎氏(1889−1960年)
和辻哲郎や、その説を受け継ぐ人たちの「邪馬台国東遷説」の要点をまとめれば、次のようになる。
(1) 卑弥呼のことが神話化し、伝承化したものが天照大御神である。
(2) 九州にあった邪馬台国が、本州の大和に移動した。神武天皇の東征伝承は、その間の事情を伝えるものとみられる。
和辻哲郎は述べる。『古事記』『日本書紀』の伝える「神武東征」の物語の「国家を統一する力が九州から来た」という中核は、否定しがたい伝説に基づくものであろう、と。
(3) 九州から大和へ移動した時期は、3世紀の後半から、西暦300年前後にかけてのころであろう。
■年代論的根拠
和辻哲郎の「邪馬台国東遷説」にはその後、年代的根拠がさらに詳しく与えられるようになってきている。
(中略)
■天照大御神のいた場所
「卑弥呼=天照大御神」とすれば、天照大御神のいた場所が、邪馬台国であることになる。邪馬台国についての手掛かりを『古事記』『日本書紀』のなかに、たどることができることになる。
『古事記』『日本書紀』は天照大御神のいた場所を「高天の原(たかまのはら)」と記す。「高天の原」は、どこだろう。
いま『古事記』の上巻、いわゆる神話の巻を取り上げる。『古事記』上巻には「筑紫(つくし)」「日向(ひむか)」「胸形(むなかた)」など、現実的に場所の特定できる地名が現れる。その地名の統計をとる。
その結果を図示すれば、図3のようになる。圧倒的に多いのが、「九州地方」と「山陰地方」の地名である。『古事記』の主要なテーマは「九州地方」の勢力と、大国主(おおくにぬし)の命(みよ)が治める出雲を中心とする「山陰地方」の勢力との対立図式といえる。いわゆる「出雲の国譲(くにゆず)り」伝承が中心的なテーマといえる。「高天の原」と重なり合うのは、この「九州地方」、特に北九州地方である。
http://tawayama.net/wp-content/uploads/7f0beb52698951740bca688fe0647a4c.jpg
■「平塚川添遺跡」の出現
『古事記』『日本書紀』によれば、高天の原には「天の安の河(あめのやすのかわ)」という河が流れていた。天照大御神と、その弟の須佐の男の命(すさのおのみこと)とがこの河を中において談判をしたり、神々が「天の安の河」の河原で、会議を開いたりしている。
九州の地図をみれば、現在でも北九州のほぼ中央に「夜須」という地名がある。この北九州の「夜須」の地名は、『日本書紀』や『万葉集』では「安」の字が当てられている。
筑後川の支流の小石原川は、「夜須川」とも呼ばれる。そして1992年に朝倉市(当時は甘木市といった)を流れる夜須川のすぐ近くから、弥生時代後期の大環濠集落跡として「平塚川添遺跡」が出現した。考古学者の佐原真氏は当時この平塚川添遺跡を「学術的には吉野ケ里に匹敵する遺跡」(朝日新聞)と述べている。
https://ironna.jp/article/4548?p=1
続く) >>81
出雲の荒神谷遺跡に埋められていた大量の銅剣も、
祭祀のためなどではなく
大和にちょんけちょんに負けた際に
むりやり武装解除された事の名残だろうな
かつては山陰には強大な勢力が存在したが、
大和に恭順して以降は見る影もない
大和に張り合うもうひとつの勢力の吉備も
桃太郎の鬼退治∴ネ降かなり凋落した >>80
そんな、過去千年以上にわたって日本は帝国ではなかった
みたいなことをいわれても……
卑弥呼が勢力の代表として扱われてたのは事実じゃないの ≫35 百田の本を首相が正月に読んで勉強するんだって アマテラスの物語は縄文時代から語り継がれた伝説を脚色したもの。
鬼界カルデラの爆発噴火をスサノオの暴虐として表現し、それに伴う大粉塵の太陽光遮断を岩戸隠れと表現している。
そして長い復興の歴史を数多の神々による岩戸解放の活躍に例えている。 ハイスコアガールは東京ローカルとNetflixだけだから
まだまだ見てない人多いだろうけどこの人気はすごい >>85
マキムク自体2世紀〜なんだから、2世紀以降の色々の年代の遺物が混じっていてもおかしくない。そもそも、馬具は堀部分からの出土だし。
古墳群の分布を考慮すれば、東征説をとるならは2世紀〜3世紀前半と推定しないと合わない。 >>85
箸墓は元々弥生末期の円墳だったのを
古墳時代に新しく畿内に来た征服者が
前方後円墳に改装したのかもな
この地方を支配するにあたって人々の尊敬を集めている
古代女王(おそらくは台与)の求心力を利用するとともに
自分たちの力の強さを見せつけたんだろ 都合の良いビックデータなら間違えるのも当たり前では?
良く分からんよね、結論を誘導する目的ならできるでしょ?
ビックデータで近畿説。そんなもんでないの?知らんけど。 >マキムク自体2世紀〜なんだから、2世紀以降の色々の年代の遺物が混じっていてもおかしくない。
素人のたわごとw 魏志倭人伝の記述は箸墓のことではないとする根拠の一つに上げられるのが「棺(か
ん)あって槨(かく)なし」という次の記述です。
「其死有棺無槨封土作冢」
(倭人の)その葬儀において「棺」はあるが、「槨」はない。
土を盛って「冢」(つか)をつくる
棺はひつぎです。槨はその棺を保護するもの、外枠みたいなものと考えて頂ければ
いいかと思います。「棺あって槨なし」というのは北九州の墳墓に見られる慣習です。
畿内では棺も槨もあります。
>>90
「聖書」読んだ事ないのか
比較してみれば古事記の神代の出来事のの大部分が聖書からの拝借なのは自明だぞ
そもそも新羅(シルラ、新しいローマ帝国の事)は多文化国家で
キリスト教が既に伝播していて経典もあった
記紀は壬申の乱で旧百済シンパ政権に勝った親新羅政権が作ったもので
そこにそれ以前の歴史の真相を求めるのはナンセンスだ
そもそも記紀の監修したのは
出自が故意に隠されて高天ヶ原の大祭祀神の天児屋根神の
子孫と書き換えられている外国人の不比等であり、その父の鎌足が
乙巳の変でそれまでの史書を意図的に全部焼いたんだからな
地方の神社に保管されていた史書は、籠神社などごく一部を除いて
全部不比等が集めさせて焼き捨てた
そうする事で日本書紀をはじめとする六国史のみが「正史」となった >>73
絶対にない。
仮にヤマト政権が4世紀成立だとしても、小豪族がたった百年ちょいで、
世界最大の古墳を造営する事なんて有り得ない。
しかも並行して奈良や大阪に、多数の古墳を造りながらながら、造営なんて経済的にも人口的にも不可能。
さらに軍事的には391年に高句麗、399年と400年に新羅、
402年と404年に帯方郡に海外出兵してる。
この規模の国家事業が小豪族に出来ると思うか?
少なくとも数百年単位で勢力を拡大して、国力の増大をしない限り絶対に不可能。 >>97
もっとわかりやすく説明してくれ。
何を言ってるのか
いや何が言いたいのかさっぱりわからん。 ヤマタイはなくてもマルタイがあるんだから我慢しとけ 移民や乞食が1代で莫大な富を築く例は少なくない
劉邦とか秀吉とかアメリカの石油王とか例はいくらでもある
天皇家の場合にはハプスブルグや北条家辺りのイメージが近いと思ってる
田舎で食い詰めた貧乏豪族が開拓時代の畿内で一山当てて成り上がったんだろう >>99
多分いた
しかしそれを天照大神だな神功皇后だのと関連付けるのは妄想 東アジア世界で有名な女王卑弥呼の記述が記紀にないはずがないだろう
卑弥呼はアマテラスだよ 高句麗は匈奴の一種フヨ族が半島北部へ来て始めた 其の一族が新羅と百済をつくった 3世紀の畿内はフロンティアだからな
アメリカの開拓時代の西部と同じで、いろんなチャンスが転がっていたんだろう
九州は水稲耕作では数百年先行していたが、すぐに畿内に追い越された 九州米うめえ
近畿どんぐりうめえ
関東シャケうめえ
↓
福岡明太子うめえ
大阪たこ焼きうめえ
東京ペヤングうめえ >>105
言語学会から既に、卑弥呼ではなく日巫女もしくは日御子ではないかと指摘されてる。 >>99
張政など魏の役人が倭国で卑弥呼と会ってるからね。いたよ。 >>85
張政軍が邪馬台国に来てるのは事実だからね。
普通に考えて張政軍は軍馬も連れてきただろうね 皇室の宗廟であり八幡宮総本山でもある宇佐神宮の主神が比売大神
これこそ皇室の祖神であるアマテラス=卑弥呼であり神殿のある岡は卑弥呼の墓との伝説がある
事実、昭和改築の際に神殿の横の巨木の下に巨棺が埋められているのが確認されている
>>90
タウポ火山の大噴火だよ。
西暦181年 ニュージーランドのタウポ火山の大噴火(過去100万年で最大級の大噴火)
西暦181年 『後漢書』によると「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」
西暦182年 『後漢書』 によると「井戸の中が凍ってしまった」異常気象を示す記述は2年続く。
西暦184年 黄巾の乱が勃発
西暦184年 『梁書』によると「卑彌呼という一人の女性を共立して王とした。」
タウポ火山の大噴火の影響で
中国では黄巾の乱が勃発し、
日本では人々が神頼みになり巫女の新女王が誕生した。 >>98
秦の始皇帝見ればわかる
秦はもともと辺境の国だったが中国全土を統一した途端それまでなかったような巨大な陵墓を作った
それは墓であるのと同時に征服のモニュメントだからな
畿内王朝も同様だったと考えても問題ない
あと世界最大と謳ってもほとんどが土を盛っただけだから動員力はともかく技術はあまり要らない
大和地方に水田を開発する為に生じた土を余りを盛ったらデカくなったという説もある >>97
DNAの解析終わってるんだからやめなよ。
旧皇族の遺伝子は、朝鮮や中国にはない縄文系だったんだよ。
あと朝鮮の遺伝子が日本で爆発的に増えた形跡はないが
日本の遺伝子は朝鮮で爆発的に増えてる。
歴史書に書いてある通り日本が朝鮮に進出したことが科学的にはっきりしてる >>117
基本的に九州の代々の王は、
畿内の一大率に支配されて監視されてたわけだから
九州が畿内を征服した可能性はないわ 仮に邪馬台国が九州にあったとしても
遺跡や出土品の調査により
当時の日本の中心は纒向だったと見て間違いない 末盧国から二千里で卑弥呼の都
百里(7km前後)で隣国に行けるのだから畿内説などあり得ない。 古代には「小京都」みたいに全国に小大和が乱立していたんだよ。 >>120
乱暴な論理だなあ。そうであれば明治維新も不可能だから無かった、という話になる。
辺境勢力がなにかのきっかけで中央を征服してしまうというのはよくある話で 、
原因としてよくあるのは天変による人工移動とか、技術革新による一時的な戦力格差 >>7
そんな大切な鏡を移動する時に置いていくはずがないだろ 当時は圧倒的に半島のほうが文明的に進んでいたので
その玄関口である九州北部を押さえた豪族がやはり有利に力を持つことができる
よって後にヤマト王権となる豪族は九州北部をずっと押さえ続け
そこを中心に広がった可能性が高いと思う 天皇家は小集団で辺境から移ってきてそこから覇権取ったんだろ
そう考えるのが自然 明けまして今年も被曝に無関心でよろしく m(・ω・m)
2008年 12808万人 + 5万 △△
2009年 12803万人 − 5万 ▼▼
2010年 12806万人 + 3万 △
2011年 12780万人 −26万 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼
2012年 12752万人 −28万 ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
2013年 12730万人 −22万 ▼▼▼▼▼▼▼
2014年 12709万人 −21万 ▼▼▼▼▼▼▼
https://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/a618afaa0113f2a33fbc495f48a2b8c4
癌、心不全、脳卒中、白血病、糖尿病、認知症、アルツハイマー病 >>1
考古学的事実
・纒向の築造は3世紀初頭で、邪馬台国が文献に登場する時期には
ヤマト王権の前身となる政治連合はすでに誕生していた
・畿内勢力の西進はあるが、九州勢力の東征はない
東遷説は時系列が逆になってしまい、成り立つ余地はない
残念でした >>127
半島のほうが文明的に進んでいたというのは考えにくい。
半島は中国の属国だったり、戦争を繰り返したりしてたので
高度な文明はなかったと考えるほうが自然だし
日本に統治される前の朝鮮は本当に酷かった。 補足だが、九州から畿内への大規模な人の移動があったのは遠賀川式土器の時代
つまり弥生時代初期に稲作の伝搬とともに西日本一帯に拡散した
入植というか、移住だろうな
邪馬台国の時代より1000年近く前のこと ところでスサノオノミコト、アマテラス、大国主、神武の兄等の 古代有名人の墓はどこにあるんだ、見つかっているのか。 >>131
弥生期はさすがに半島のほうが文明は持ってただろ
戦国時代に大陸からの難民が半島に押しやられたわけだし >>130
3世紀中頃にはすでに畿内に大きな勢力があったのは間違いないと思うけど
・九州と畿内がヤマトの2大拠点だった可能性
・後に九州ヤマトが畿内を征服した可能性
・後に畿内ヤマトが九州を征服した可能性
この3通りの可能性があるんじゃないん? 古代日本史の記述した本が焼却処分した時期は、西暦1700年後
朝鮮人が侵略した→歴史書を焼却処分するようにと命令が下った >>110
魏志……卑弥呼(ひみこ)
日本書紀……日孁(ひるめ)
別物だろうね >>136
征服だけじゃなく、どちらかがどちらかを内部からジワジワと簒奪するというパターンも考えないと
会社組織でもありがちな話 新しい歴史教科書をつくる会の目標は敗戦後の自虐史観の是正にあったと思う
思想根底は皇国史観でもあったようだ
皇国史観の過ちが敗戦であり 羹に懲りて吹く膾が自虐史観では是正の方向性も疑わしいもの
正しい歴史を知る努力を先にすべきが この会と思う >>141
そやね
出雲や他にも大きな勢力がいた可能性もあるし
可能性はいくらでも考えられるな >>116
その火山から海嘯がおこり、
宮崎の地層に残っているわけか。
フィリピンで最近起きた火山性の海嘯の
何倍もあったとしたら、宮崎平野からの
東征、東遷の意味み見えてくるし、
なるほど、奈良は、洛陽とそっくりな
自然要塞だな。
そこに、宮崎平野の南から
呉軍がくるわけだから、
魏志倭人伝に、曹魏が
軍事伝書の檄文おくることをみても、
狗奴國や呉軍との争いに、
首都は置きたくないな。 魏志倭人伝部分がまとめられる際に
参考資料の地図の縮尺が異なることに誰も気づかなかっただけだよ
さして重要でもない辺境に関する巻末のおまけのようなものだからな
余計な知識を持たない素人の方がかえって初見でピンとくる
考古学界は自身の成果の主張を大袈裟に喧伝し合う悪循環の果てに
自縄自縛で明後日の方向に突き進んでる >>34
まじかよ知らなかったか忘れてた
クソみてえなことしてんな
俺が知ってる古事記が本物かと思ってたわ 内容通りに地図書いて
それを相似に比較してみろ
行は平坦
陸行は上り基調
水行は分岐の久留米で筑後川と合流
ちゃんと北部九州の地形および会稽東治と一致するから
だいたい中学生でも後の大宰府のそれとわかる伊都国の役割を
糸島に結び付けてる時点で小学生みたいな冗談 卑弥呼なんて呼ぶなよ。
古代支那が周辺国を貶める中華思想で「卑しい」の”卑”を使ってんだから。 畿内説って京大派の妄想に関経連がバックアップしてるだけのゴリ押しの珍説以外の何物でもないわけで。 >>97
藤原不比等が監修したというソースは?
舎人親王でしょ >>25
俺もそう思う
卑弥呼は巫女さんであって神では無いと 邪馬台国は、やまとの国でしょ。それで、大和朝廷天皇家へとつながる。
大和朝廷につながらない邪馬台国って何?
おらが村の村長?
そんなのどこでもあったでしょ。全く価値ない。 >>1
こうやって、九州説はエンタメ路線で頑張ればいい
学者の支持がなく、怪しげな素人が専門家を騙りデタラメなデータ並べるだけの俗説 >>157
九州から東征してヤマト王権に繋がるわけだからなんもオカシイ話ではないな。いずれにせよ起点は九州。 しじみ氏は邪馬台国と名のつく糞スレを立てるのを自粛したらどうだ?
ベイズ統計の意味、分かって書いてるのか?
結果として安本美典氏のまやかしの広報をしているだけだぞ? なるほどな
異世界転生モノに日本語通じるものが多すぎるから異世界は日本にあるってわけだな 日本書紀の中で一書とあるのが九州倭国の文書 奈良により焚書された >>1
卑弥呼が、不細工だったら・・・
誰も調査しなくなりそう・・・
あんまり調査しなくてええよ。こういうのは、空想力があった方が、夢があるから・・・(´・ω・`) 魏史の一里は75mで書かれている 倭人伝も韓伝も然り 周の時代より九州倭国は交易を行ってきた
其の時点で半島南部を支配下に置いていた
勿論 鉄を必要としたから >>70
高句麗は九州倭国の5王の武王と戦った
半島南部は倭国の支配化にあった
鉄の必要性のため 九州に邪馬台国があって奈良に移住したというと九州説の人に否定されるんだけど 間違った前提や仮説からは、何事でも導くことができる。 邪馬台国はやまとの国。
邪馬台国問題は、問題にはじめから答えが書いてあった。
そして、それが纏向遺跡で大量出土の桃の種の年代測定で確実になった。
九州には纏向遺跡に匹敵するものが何もない。
九州説で対抗したいなら、早く纏向遺跡に匹敵するものを探すべき。 >>176
後漢から曹魏にかけて、洛陽の
鋳鏡は、銅がとれてないのが、
特徴的だよな。そのため、「鉄鏡」が
作られて、《太平御览》转引“魏武帝上杂物疏
にもかかれてる。
一方で、顎州、紹興などは、
銅も豊富で、神獣鏡が流行った地域だからね。
そのため、制鏡技術発展して、
細かな紋様をつくれるからね。
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は、洛陽と
直接繋がる鏡だからね。 邪馬台は九州のヤマトだよ それが東遷して畿内にヤマトを移しただけのこと
ヤムタイは滋賀県長浜市にある。というのはジョーダンとして。 使者は道中を記憶されないように目隠しをされて、
外が見えない覆われた輿に載せられて運ばれたかもしれないな。 >>147
ジャップの捏造嘘吐き体質は大昔からということ
レーダー問題も慰安婦に徴用工も日本の主張は全て捏造嘘吐き >>97
この通りかは知らんが、アマテラススサノオツクヨミ・イザナギイザナミなんかの話が北欧神話そっくりなのは確か >>176
邪馬台国は大和対国(大和、倭、と敵対する国)という意味。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています