>>535
オマ屁は「邪馬臺」を何と読むんだ
日本人が文字を持たなかった時代、古代の支那人が自分たちの漢字で書き留めた「邪馬臺」。
日本語の「はひふけほ」は最古の「ぱぴぷぺぽ」が「ふぁふぃふふぇふぉ」を経て
江戸時代に「はひふへほ」に変化したという客観的な証拠がある。

「臺」を「タイ」と読むのは江戸時代の支那の発音だが
古代の日本語には「アイ」や「タイ」という母音連続(=二重母音)も無かった。
二重母音は漢字の発音を支那人のように発音しようと訓練した結果だ。
「海津かいづ」をケーヅという風に単母音化、長母音化しているのは関東東北方言だ。
春秋戦国時代の発音はdɯːでmがひっくり返った形の発音記号「ɯ」は
関東〜福島弁の唇を丸くしないで横に引いたウの発音によく似てる。
即ち「邪馬臺」はヤマドゥだ。